今更だけれど

剣八二人の話。
更木剣八と卯ノ花八千流の話です。久しぶりにブリーチ語ります。
というのも、突然にぴったりな曲を思い出して、うわあああ!となりながら聴いたから。
いろいろ荒ぶりそうなので畳みます。「無限の闇」という曲です。ニコニコのマイリストで眠っていて、久しぶりに聴いたらもう、剣八に似合いすぎて困った。
という訳で、追記より剣八最期の闘いなどの語りを「無限の闇」で。


久しぶりに聴いたら、どうしたって卯ノ花と更木でした。卯ノ花さん視点。
無間での闘いですが、最初のサビがもう。
『朽ちる私の心を
 糧にして
 咲き誇れ 花
 瞼閉じれば
 無限の闇
 甘やかなる
 柩よ』
というのが、もう、最後の最期の卯ノ花さんと重なって仕方がないです。
‘私’の罪である枷を外すためには‘私’を何度でも殺すしかない、ということを知っている彼女の最期の歓喜の瞬間は、この歌詞のような感じなのかなあと思ってしまいました。自らを踏み越えて、更木剣八が元の彼に立ち戻ることを切望し、それが叶うのであれば、死すら厭わない。闘いのために生き、戦いのためだけに死んでいく、剣八というその名に相応しいのこそ彼女なのだろうと思うのです。
それと同時に、命の遣り取りをして、そうしていつか自分を殺すのは、他の誰でもなく更木の剣八なのだろう、と確信していたのではないかな、と。一つの時代に剣八は一人、それならば間違いなく彼こそが、と思ったからこそなのだろうと思うのです。
『渇望は
 遠き 声』
もやはり卯ノ花さん。更木の強者を、戦いを、愉悦を渇望して、彼女の生を渇望する声が遠くなって、だけれど、それこそが、更木を闘いに立ち戻らせる全てなのだろう、と。卯ノ花さんの「子供みたい」という台詞が好きです。自分がもう死んでしまいそうで、その死をどうにかして止めたい彼に向って思ったことが「子供みたい」という、卯ノ花さんが好き。元の更木剣八に立ち戻った彼の力の前では、自分の死など瑣事に等しいと思っているのだろうな、と。幸せで仕方がないからこそ、笑って「子供みたい」と思えるのだろう、と。
『楽土の果てに
 消えてゆく echo
 彷徨いの echo
 so sweet dream sweet pain ―echo 』
闘いの喜びも、甘やかな痛みも、残響の様に残るだけで、だけれど、残響の残るその闘いの場こそが、二人にとっての楽園なのだろうなあ。闘い続け、殺し続け、甦り続け、戦い続ける、その場所に永遠にいたいのに、いられない。でも、いられないからこそ、更木は刀を得る。
この瞬間のためだけに、全ての力を手にした、とはっきり言える卯ノ花さんは、もう何も思い残すこともないのだろうと。
戦い続け、闘い続けるから、二人とも剣八の名に相応しい死神なのだろうと思いました。
カップリングとか抜きにしてこの二人のエピソードが大好きで、一度書いてみたいと思っています。いつか書けたらいいな。

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