通算4個目かな。
先ほど上げたベルアン書いている時も、というかマステマ編からずっと頭の片隅にあったマステマさんのことを書いてみました。あの人めっちゃ哲学だよねって思うので論理的思考っていう方法で見てみたら思った以上に当てはまってヤバいなあと思いました。
マステマ編後、幽閉中のマステマさんの一人称ですがだいぶ狂ってます。
あと表現の自由度を上げまくってみたら取り消し線とか太字とか出て来てしまって小説の体をなしてないというか読みにくいです。
そんな話を追記から。
俺は聖人を愛している。
俺はジャンヌを愛している。
だから彼女は聖人である。
糸を引く人
聖人は俺を愛している。
ジャンヌは俺を愛していない。
だから彼女は聖人ではない。
「演繹法という論理の方法を知っているかい?」
アバドンの深淵で、俺は誰もいないそこで一人、自分自身を相手に、いや、本当はジャンヌ=ダルクを天使ヶ原桜を相手に話をしていた。
「ひとかたまりの糸の束があって、そこからその端を探し、その端を引っぱる。引っぱると糸はするするほどけていく。ほどけていくはずだ」
引っぱった結果がどんなものであるのか、想像を付けて引っぱるんだ。
するとそれはただの一本の糸であったという結論にならなければならない。
「この思考法の最も危険な部分は、前提が間違っている時だ。前提となる仮説が間違っている時、演繹の結論は誤りになる」
深淵に俺の声がこだまする。今まで俺が天に昇らせた聖人たちが沈黙をもって肯定するのが聞こえるような錯覚さえ覚える静寂だった。
「正しい論理を打ち立てた時、真から偽は生じない!であればこの条件を入れ替えてみよう!」
俺はジャンヌを愛している。
俺は聖人を愛している。
だから彼女は聖人である。
ジャンヌは俺を愛していない。
聖人は俺を愛している。
だから彼女は聖人ではない。
この仮説が真なら、この仮説から演繹された結果も真である。
「そうとも、この推論は初めから無効の推論だ」
この仮説が偽なら、この仮説から演繹された結果も偽である。
「さあ、次の聖人を、聖女を、探そう」
深淵に自身の声がこだました。
それが俺の使命。神に課された役割。
かつて天に昇らせたすべての聖なるものの喝采が聞こえる。
「狭き門より入れ!」
俺は糸を引き絞り門を狭くするモノ。
2017/9/5 BGM「記号として」
ある意味マスジャンなんだけど何かが違う愛情と感情の方向性とか改めて思ったわけです。
追記:あまりあとがきで書くのは中身で書けていないからとっても格好悪いのですが、話の中の演繹法が投げっぱなしなのには理由があって、というのは、マステマの聖別に意味はあるのか、ってずっと思っていたのです。聖人の匂いというざっくりした選定条件、その匂いのする者が聖人になれるかどうかはまた別の問題、天に昇らせるのはマステマではなく(マステマという)試練を乗り越えられるかどうかという本人の資質でしかない、と解釈しているんですが、これって
・万人が聖人になり得るが
・すべての聖人は凡夫になり得る
という背反というかジレンマというかそういうものを抱えていて、その一つ一つのジレンマに付き合う気がマステマになさそうなところがとても悪質で好きです。そういう話のつもりでした。
RADの最新アルバムの「記号として」がとてもマステマさんだなあって思うんです、一度聞いてください(ダイマ)。歌詞がマステマさんそのものなんです。そういえば10巻のイメージソング色々はかどりますね!!
追記の追記:「記号として」ですが、YouTubeのRADの公式チャンネルでMV公開されてます!!ちょっと個人サイトにリンク貼るのは憚られるので貼りませんが、公式で見られるのでぜひ!歌詞を見ながら聞いてほしいです。というか人間開花皆さん買ってください…相変わらずすげえいいアルバムです…。
追記の追記の追記
10巻まで読んでたのに今更気付いたんだけどやっぱりマステマの聖別ってかなり無意味なジレンマに苛まれているね…?てっしーが地獄に堕ちるという選択をした時点で(地獄に堕ちるまでの物語の時点で)、物語の開始当初からマステマの聖別ってほとんど無意味ですね。
そして何が恐ろしいかというとその無意味をマステマ本人が一番よく知っているっぽいところですね。
「糸を引く人」としたのですが、元のタイトルは「ラグナロク」でした。てっしーの地獄堕ち(自主的に)はまさに神々の黄昏。(あらゆる神話と自然科学をごった煮にして煮崩れてるこの感じ。)