ってそれは囲碁。
お先に。
拍手やブログ拍手ありがとうございます。景望!ベルアン!嬉しいです。そしてメールでご感想などもありがとうございます!とても嬉しいです。落ち着きましたらばしっかりお返事させてください。
そんなこんなで左門くんにマステマとジャンヌ。ジャンヌをすごく捏造していますのでご注意ください。あと眠すぎて・と=がごっちゃになってたらすみません。マスジャン…?みたいな砂糖の入っていないケーキみたいな感じです。(それって絶対ケーキじゃないよね?つまりマスジャンではないと思います)
まめこさんと何ヶ月もメールでマステマ談義しているんですが、マステマのことジャンヌは絶対許さないよねというのとか、無意味なジレンマの話のメールを読んでいて思いついた話でした。例によってイメージソングは「記号として」です。彼の聖別の無意味さというかね、そういう。あと「長く短い祭」もちょっと入っているかな、と。「とこしえと刹那の出会い」とかね。
タイトルはそういうことがあったという聖句から。旧約です。
ジャンヌさんの論理はうろ覚えウロボロスです。あれめっちゃすげえ論理なんだけど正確な記述が思い出せなかったです。聖句の方は解釈が合っているか不安ですが、そのような話だと認識していて書きました。解釈間違っていたら申し訳ないです。
全ての引き金はまめこさんのメールです…(安定の責任転嫁)。ほんとにまめこさんのマステマ論すごくて思わず話書いちゃいました。
よく、赦すがゆえに交わらないとか、愛し合えないとか、唯一許さないのがマステマとかまめこさんと語るのですが、じゃあジャンヌさんはそうとして、マステマさんはどーなのよ、と。ジャンヌと同じ匂いってことはジャンヌ基準になっているくらいには鮮烈なワケで、と。で、思ったのがジャンヌさんが許さないならマステマもじゃね?というマステマ側に立って考えてみたマスジャンみたいな砂糖・甘味料不使用ケーキがこちらです。
諸般の事情で徹夜してしまったので超絶眠いので起きたらちゃんとしたあとがきをここに書きに来ると思います。たぶん、きっと、おそらく。
↑そういうことで書きに来たので追記に入れておきます
追記
そういう訳で書きに来ました。
前の演繹法の話でも書いたし、まめこさんも仰っているのですが、マステマはジャンヌが聖女である限り愛することができるんですよね。でもそれは個人的な恋慕ではなくて、聖人を愛し、天に召し上げるのがマステマの役割で使命だから。役割や使命を淡々とこなすというか、従うというか、そういう部分でなら聖女ジャンヌを愛することはできる。でももし、個人的に愛してしまっていたら、それはジャンヌが聖女ではなくならないといけないのでは?と。聖女は悪魔を愛しちゃいかんのか、という問題もあるのですが、聖別という聖なる行いのマステマを愛することはできても許すことはできないような気がします。その一方で、たくさんいる聖人の中からマステマがてっしーに感じ取ったのは「ジャンヌと同じ匂い」なワケで。それってつまり聖人というカテゴリの中に「聖人:ジャンヌ」という特別カテゴリが設置されてしまっているということではないのかな、と。それは期せずしててっしーと一致したというよりは、そういう聖人だけを探し求めていたのかなと。それってもう聖別でも何でもないですよね。
だから、ジャンヌが許さないでいてくれることが唯一、マステマの行いが聖なる行いであることの担保なのかな、と。もしジャンヌに赦されていて、ジャンヌのことを個人的に好きだという感情がマステマに許されたら、彼の聖別は個人的な好悪によって成り立っている、ということになって、それはやっぱり聖別ではなくなってしまうのではないかなという。それはたぶんマステマ自身も望まないのでしょう。神に仕える悪魔として絶対そのラインは超さないと思います。だから、その感情を赦されても絶対に聖なる行いとして成立させるために今度は逆に悪魔を赦した聖人を赦さないといういたちごっこを始めるのかな、と。
互いに赦さないから成り立つ関係性ってものすごく重いですね。赦してしまったら成り立たない二人。