「物事には入り口と出口が必要だ」ってかなりうろ覚えなのですが、村上春樹の風の歌を聴けかピンボールのどちらかのネズミ捕りについての一節だったと思うのですが、そんなか感じでふんわりとしたちょっと軽く哲学チックなベルアンを更新しました。
門から門へ、というとやっぱり個人的なイメージは漫画版陰陽師の若水を持って健禮門を通る豊受大媛なのですが、それはわきに置くとして。
左門くんは召喚という形で門を開いたけれど、それには終わりがあって、それよりもずっと前から、何千年も戦いという形で愛を交わしてきて、門をこじ開けていたのがベル様なのかなあと。アンリさんはずっといろいろなものを待っていて、いろいろな人間でも悪魔でも、神でもなんでもいいから待っていて、そこに現れたのがベルゼビュートと左門くんだったのではないかなと思うのです。
左門くんは人間で、そうして願いそのものが「友達」だから、アンリさんの運命にはなり得なくて、本当に待っていたのはあの瞬間、ベルゼビュートにつかまっていたアンリさんを最高の使い魔としてベルゼビュートの前に最高の悪神が降り立った時で、それこそがアンリさんの望むことでもあり、ベルゼビュートの望むことでもあったのかな、と。ベルゼビュートとアンリ・マユにとっての門の出口、オメガがあの瞬間だったのではないかなと思うのです。数えきれない年月の果てに左門くんという人間が現れて、天使ヶ原さんという「友達」も現れて、ベルゼビュートはそれでアンリ・マユが弱くなったと糾弾しましたが、そのすべてが覆され、ベルゼビュートが何よりも望んだアンリ・マユがそこに現れた瞬間があそこだったのではないかなあと思うのです。
でも、そこからベル様がプロポーズすることでその門は閉じなくて、infinity、つまりはΩから∞になるのではないかな、と。左門くんは友達なるという実はもう果たされていることを必死に紡ごうとして、アンリさんは恋人になるという無理だと知っていることを紡ごうとして、その中でそれをすべて知りながらアンリさんを自身の命の永遠に例えたベル様は、アンリさんが恐れた終わりをなくした人なのかな、と。だからアンリさんはベル様を愛するのではないかな、と。
さもてしの話もちょろっとするのですが、一緒に地獄に落ちてくれて、その前からずっと、友達、という概念にこだわる左門くんに九頭竜くんたちをはじめとして、いや、てっしー本人も(左門くんは否定するかもしれないけれど)自然と友達になっていっているんですよね。それはたぶん、左門くんにとっても奇跡のようなことなのかな、と思うのです。
そんなことを込めて書いた話でした。
イメージというかBGMは「日出処」をリピートしていて、その中でもイメージは「静かなる逆襲」と「ありあまる富」でした。