そんな感じで左門くんのさもてしというか左門と天使ヶ原の地獄殴り込み後を一話。文中のいくつかの記述はヨナ書より。場所のイメージはヨナ書一章十七節をぼんやりと。
地獄に落ちた二人のはなしです。
いつもより抽象的な話になりました。
ノリ・メ・タンゲレから三話とも最終話その後の話で、毎回違うことを書いているようで同じことを書いているなあと思います。今回はその中で地獄に落ちるに至ったその時というか、なんというか。いつも同じことの繰り返しみたいになってしまうのですが、だけれど天使ヶ原さんがついてきた理由を考えて考えて、どんどん突き詰めてしまうなあと思います。
「へっくしゅん」「おしゃかしゃま」「月光」「蓮」とか。シリアスというか暗いというか。
「月光」の歌詞の「〈私は神の子〉この腐敗した世界に落とされた こんな場所でどうやって生きろと言うの? こんなもののために生まれたんじゃない」っていう叫びがとても左門くんだなと前からぼんやり思っていました(一部英語歌詞を和訳した内容です)。違う違うって叫びながら友達を求めて、求めた果てに出会ったのが天使ヶ原さんで、二人で地獄に落ちる時こそが初めてそれを自覚したときなのではないかな、と。
やはり月光の歌詞から「貴方なら救い出して 私を静寂から」ってアンリさんのように見えて、彼女はその静寂というか、寂滅とかそういうものを飲み込んでいて、その象徴となることをすんなり受け入れるんですよね、神様だから。むしろアンリさんをかき乱して、天使ヶ原さんを拒絶して、戦い続けた左門くんこそ救い出してほしかった側なのかなと思います。そしてその「救い出す」という方法の最後の最後に「一緒に地獄に殴り込み」っていう天使ヶ原さんが好きです。好きですという一言で済まそうとしているのは、話すと長くなりすぎそうなんですが、救い出してほしいと叫んでいたその横に座った、くらいの感覚なんだろうなあと。「それは無理だね」って天使ヶ原さんはあっさり言うと思うんです。天使ヶ原さんが完全な善人ではないとかそういうことではなくて、天使ヶ原さんにとってそれは救い出すことにもならなければ解決にもならないから、とりあえず左門くんと一緒にいてみよう、くらいの感覚で垣根を壊すところがこの二人の始まりで終わりのような気がします。
あと、あとがきというか最後についている英語の短文なんですが、直訳すると「楽園にて。引導を渡す」とかいうひどい内容になるんですが、一応requiemのラテン語の語義の「安息を」というのでタイトルと同じにしたかったという頑張りは認めてあげてください。ラテン語も英語も苦手なんだよ(五体投地)。ヘブライ語なんて無理なんだよ、ヨナ書も久々に読んだんだよ。というところなんですが、この話は手元にあったヨナ書を読んでいて一章十七節あたりの魚に飲まれたイオナと、神に理不尽な怒りをぶつけるイオナについて読んでいたらなんとなく「ああー」と頭を抱えて結果的にこうなりました。丸谷才一ー(違う)。気になった方は丸谷才一の方を読むと読みやすいと思います。いや、どうだろう、原典の方がかえって読みやすい…のか。
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