SEEDFREEDOM感想、閑話休題でイザークとディアッカの話をします。
今回の映画で一番しんどいというか、一番辛いことをやったのがこの二人だと私は個人的にですが思っていて、「なんでだよォォォ!?」って初回鑑賞時からずっと思っています。今も思っています。
まず、イザークとディアッカが出てきた時思ったこと
「あ、二人いるんだ。映像だけかな」
「あ、微妙にしゃべった。ザフトの二人喋るには喋るんだ。」
で、たぶんモビルスーツには乗らないかなー、とか、繋ぎ役かなあー、と思っていたので関さんと笹沼さん出てくれたんだなあ、くらいに思っていました、本当に。
だからじゃないけども、二人が戦闘に出ても軽い感じかな、と思ったら作中で一番重いし、なんなら一番重要な戦闘だったと私は思っています。
だってイザークがやったの「同胞殺し」なんだもの。
ディアッカは割り切っていて「もうやるしかない」「ここまで説得に応じないなら仕方がない」とイザークに繰り返し言うけれど、イザークは最後まで説得を試みて、だけれど最後「Meteor」 が流れる中でってのがド鬼畜なワケですが「軍法に照らして」という理由で同胞を殺すんですよ。
だってこれって初代SEEDの頃からずっとあった、というか作品の根幹に当たる「ナチュラルとコーディネーター」「地球とザフト」という部分を体現しているのが結局イザークの同胞殺しであり、イザークによる「愚か者」という言葉でもあるんじゃん。別にイザークが殺した相手も、もちろんイザークも愚かじゃなかったよ。
今回の映画の主題として、というか全体として「アコード」「ファウンデーション」という明確な敵がいて、だから物語に一貫性があり、話が進む部分はあったと思います。その一方で作品冒頭~キラ暴走は結局ナチュラルとコーディネーターの対立であり、デュランダル議長の「ディスティニープラン」があり、それを継承するとファウンデーションは言ったから、だからそれを否定した「キラ・ヤマト側」主人公側が正しい、みたいに話はもっていけるし、ラクスもキラもアスランもカガリもみんな、生き方は産れや育ちでも運命でもなく、自分で決めろ!という作品のテーマでもあったと思う。そうしてイザークは軍人だし、正義感はあってもコーディネーターだから、ナチュラルとは違う。人間だけど人間じゃない。
そういうのはあるけれど、作中でのラクスとカガリの会話の中で「ディスティニープランに賛同する者がいるのも理解できる」と。カガリはナチュラルで、だけれどある種の選民思想とまでは言わないけれど、「ディスティニープラン」も「青き正常なる」もどちらも「ナチュラルが遺伝子的に正しい」「コーディネーターの方が優れている」というのはあるんですよ、仕方ないの、ある程度。
そういう全部を飲み込んで「自分で自分の生き方を決めていいし、遺伝子で人は決まらない」という作品全体の根幹はずっと繰り返されてきたけれど、そうして映画でも語られたけれども。
その中で、軍属だからという理由で自分自身はコーディネーターで、ナチュラルより恐らく優秀で、殺した中佐からも「なぜナチュラルに味方するのか」「コーディネーターとして生きてはいけないのか」と問われたら、それはイザークくらいになればそっちに揺らぐと思う。それにこの話は映画全体では枝葉末節なのかもしれない。
だけれど、イザークとディアッカは、特にイザークは自分の選択や生き方以上に、自分自身の責任で仲間というよりも最早「同胞」を殺した。それが結局ミレニアムを助けて世界を救って、だけれどキラやアスランやシンみたいに大きく取り上げられなくても、それでもあの二人がジャガンナート中佐を殺したからミレニアムは助かった。世界が助かったレベルの話ですよ。
なんでイザークがそんなことしなきゃならなかったんですかね。
自分の感情よりも世界に対する責任を背負ったのはこの映画の中でこの二人なんだよ。みんなが自分の意思で、感情で、生き方を選んだ時に、責任を果たして同じ仲間を殺して、誰にも褒められなくても世界を救ったイザークとディアッカはこの映画で一番恰好良かったと私は思いました。
どうしてそういうことさせるのォォォ!?!?!?