戦国BSRの家三です。3、家康赤の後。徳川さん出てこないし関ヶ原の後なのに石田さん生きているんですけども。その時点であまり良い予感がしない。
主な被害者は孫市姐さんと伊達さんですが、だいたいいつもこの二人が被害者なことが多いよねっていう。
久しぶりに書いたのと短いので分かりにくいです。
タイトルは論語から。
「子曰わく、吾が徒に非ざるなり。小子、鼓を鳴らして之を攻めて可なり」(先進第十一より)
温厚な孔子が珍しくブチ切れて「そんなことをする馬鹿者はもう弟子じゃないから盛大に討ち取っていいよ」って言ってる珍しい文章ですね。雑な訳で申し訳ないですが前後の文章が気になる方は探してくださいね。真っ当なことをしないと人は怒るものですね、という話。
「孫市か」
静かに言われて私は目を細めた。入口に預けた背を離し、歩を進めても男は微動だにしない。
「相変わらず聡い男だ」
「そうでもない。貴様は分かりやすい」
そうか、と呟いて、それからその動かぬ男の正面まで進んだが、やはり彼は坐したまま動かない。
「……困らぬか?」
「さあな。見えぬのだから仕方なかろう。そうあればそうするしかない」
微かに笑った男の眼窩に光はなかった。抉ったのか、潰したのか、そこまでは分からぬが、少なくともそこには眼そのものが存在していない。ただ目が見えぬ、というだけではないというところに乾いた笑いが落ちた。
「用心深いというよりは、今更何を恐れる? 徳川よ」
私がその名を出したら男はその笑みを深めた。微かに浮かべたはずのその笑みは、確かな形で示された。しかしそれが怨嗟でも、嘲りでもないことが私には怖かった。
怖かったのに、我らは……違う、私は戦場で何度もその笑みを見たことがあるという事実が怖かったのだ。
戦場にあって『我ら』は、その男のその笑みを何度も目にした。そうして『私』はその笑みの危ういことを、その笑みの歪みを、いつも恐れていた。
その男の怒りよりも、剣技よりも、叫びよりも、その笑みが怖かった。
それは、明らかな喜色だったのだから。
「家康が私を恐れることなどありはせぬ」
そう、笑ったままに彼は言った。瞳を喪って、ただそこにあるだけの男、石田治部少輔三成、凶王と呼ばれた豊臣の将はただ嬉し気に、笑った。
*
『わりとどうでもいいんだけども』
『どうでもいいならば我らをわざわざ呼び出すまい。お前はそういう男ではない』
そう伊達に言えば、彼は珍しく困ったように、それでいて面倒そうに言った。
『Ah……まあな。三代目に頼みたいというよりは孫市、お前個人に頼みたい』
『なに?』
言われるまでもなく、関ヶ原の後に我らはみな帰農して、雑賀という集団は既にない。確かに様々な禍根が残ることを考えてのことではあったから、それを知っていてわざわざ姫を通して伊達に呼ばれたのがおかしいのだと気が付いてはいたのだが。
『これから先、徳川の世は長く続く。続くと思う。あの馬鹿がやっちまったことだからな、落とし前はつけてもらうつもりだ。そこんところは任せてもらっていい』
この日ノ本を統べるのが徳川だとして、この国を統べることでその落とし前をつけさせると言うこの伊達の剛毅なるところが、我らというよりは私には好ましい、と思っていた。だが。
『だが、そこに問題が一つある。それをお前になんとかしてほしい、孫市』
『私に?』
『……そうだな。オレがやってもいい。いいんだが、お前が実際に見た時にどうするかを決めてほしい』
『なぜそう回りくどいことを言う? 徳川のことであればお前の方が詳しいことは多いだろうに』
そのどこか歯切れの悪い言葉に私がそう言えば、独眼竜と恐れられた男はひどく難しい、それでいて何かを憂える顔をして、それから息をついた。
『その通りだな。だがオレは憐れだと思ってしまった。その時点でオレにその権利はない。だからお前に任せることにした』
意味が分からぬ、と言い掛けた私に男は太刀を投げ寄越す。
『石田三成は生きている。後は任せた』
*
笑った石田の言葉に、私は伊達のそれを思い出し、ふと問い掛けていた。
「石田、聞きたい」
「なんだ」
「お前の目を抉ったのは徳川だな」
「そうだな」
簡潔な答えに、だが私は伊達のように憐憫を持つことは出来なかった。そこにあるのは純粋な恐怖だった。
「もう一つ、聞きたい。お前は徳川がお前を恐れることはないと言った」
「ああ」
「では、お前は?」
「私?」
ふと昏いままのそれが私を見た。確かに石田には私が見えている、そう思えるほどにはっきりとその視線の先に私はいた。
「恐ろしいとも。私が家康を恐れなかったことが今までに一度でもあろうか」
言葉には一片の嘘もない。もとより嘘をつかぬ男だ。嘘をつけぬ男とも言うだろう。
児戯だ。友に裏切られたと叫び、主を失ったと嘆き、剣を取ることを躊躇わぬ男は、だがその徳川家康を恐れるという。
「理非無き時は鼓を鳴らし、攻めて可なり」
唄うように男は言った。違うだろうと思ったのに、言葉が出なかった。そのようなことを考えてはいなかったろうに、と思ったのに。
だが、そうであればこそ、徳川家康という男は石田三成の怒りに触れて、それを受け入れられぬから、こうして石田を生かしてでも、自らの『理非』を、自らに理があることを分からせようとするのだろうと思えば、それはやはり、あの関ヶ原の戦は子供の喧嘩にも満たぬように思われた。
「今更だがな、お前は徳川に怒っていたのだな」
「少し違うな。今も怒ってはいる」
私のそれを訂正した男に呆れながら、私はそれで腹を決めた。この二人がそう思っているのならそうするしかないだろうと思い、伊達に渡された太刀を投げれば、見えてはいないはずだというのに、坐したままでそれを易々と受け止めて、彼はそれを抜いた。
「良い刀だ。惜しいな」
「そうか」
見えずとも分かるのだろう。そうして、それを何に使うのかも分かるのだろうと思ったその刹那には、その首は石牢に転がっていた。
転がる青白い顔と、美しい銀の髪。それを愛していたと言う神に至った男に思った。
「馬鹿な男どもだ」
本当に。
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三成が秀吉を裏切ったことや挙兵理由を分かってくれないのが嫌だから目を抉って軟禁した家康
家康に理があることは分かっているが端的に友人に裏切られたことに怒っているだけの三成
それは双方おかしいし、家康も三成も憐れに思ってしまったから手を出せなくなった政宗
そのどちらも子供の遊びでしかないと分かってしまうし、石田はまだそれが分かるだろうと思ったから刀を渡してしまった孫市
誰も悪くはないけども、でもこれ家康が悪いと思います。
あと徳川さんはこういうことしてるくせにどうせ刑部とか毛利さんとか殺してるからね、あの人。
孔子の論語ですが、弟子の一人が民に圧政を敷くように変節してしまったことについて「そのような非道な振る舞いを行うのであれば、最早我が弟子に非ず、鼓を鳴らし(声を上げて)、討ち取ってしまえばいい」ということなので、どんなに親しくしていた者でもその行いが正道でなければもう縁を切るし、その先は暴力を用いても構わない、という内容の話で出てくる言葉です。
論語には見捨てる、弟子とは認めない、着いて行かない方がいい、まではよくありますが、討てとまで言うのは論語にしてはずいぶん荒っぽくて珍しいのでなんか覚えていましたが、どちらとは言わないけどもとっても関ヶ原の二人ですね。