雨が降っている~♪と思いながら、避難所開設の防災無線を聴きつつ終わったので追記に感想というか気になったところを箇条書きです。
あ、防災無線や放送があるのに何をのんきに、と思われそうですね。雨と土砂災害ですが、地域内に3ヶ所くらい避難所開設したそうです。土砂災害と雨による川の氾濫だそうです。今年何回目だよ。怖いね。ただここ(寺&とある山の山頂)どうしたって山奥なのと山の上なので、避難のしようがないっていうかむしろ土砂災害さえ起こらなければむしろ避難所になり得るんですね。良かったね。
備蓄品と備蓄庫の点検が終わったので、万が一のことがあっても生き延びられるはず。
まあ寺だしね! 頑張って!(ひどい)
という感じですが、追記からネタバレ有りの感想です。
感想というか気になったところの箇条書き。今のところクリアしただけみたいなもんなので、良いも悪いもないというか、根本的に管理人は馬鹿なのでよく分からないことを言い出しても許してください。
・CCCコラボだコレ!?
って気づいたのどの辺か覚えていませんでしたが、ザビがサンドワーム君を殴り始めて千歳とか言い出してこれ配布ザビ……ザビエルの疑似サーヴァント? とか思ったけど普通に岸波君が来てくれた。
・ザビってこんなにテンション高いんだね。テンションっていうか、良くしゃべるようになったなお前。気のせいか……?
・BBちゃん良かったね、と思いつつ、玉藻さんもネロちゃんもシャルルもみんな岸波先輩のものだったのかぁぁぁ!!??(落ち着け)
・個人的にエクストラシリーズはテラリンが一番好きです(はっぴょうドラゴン)。
・岸波先輩は迷ったけどもザビ男にしました。なんか一緒に戦闘していたら愛着わいちゃったよ……ザビ子も早く配布してね、ガチャはやめてくれよガチャは……というのと、来月? のフレポ待ってるからね。
・エレちゃんともっと夏を楽しみたかったのは本音ではあるけれども二周目でちゃんと水着着て遊ぼうな。
・せっかく水着新調したのに夏イベからずっと頭痛してたの可哀想だよぉぉぉ!?
・私が馬鹿だから分かんないんですが、アンキってアヌンナキのことでいいのこれ? アヌンナキの要素を持ったエレシュキガルと思っていたけれどアンキが別時空にいて、ずっと冥界にいたけど人が来なくなったから不老不死許せないので滅亡させます! それにエレちゃんも賛成してしまった結果が中編だったように思うとアヌンナキとエレちゃん別個体だよね? と考えた。難しくて考えるのを止めたけども、エピローグでアンキとエレちゃんが会話しているみたいなところがあったのでたぶん別個体なんだろうなと思った。アヌンナキに登録されるタイプのエレちゃんがスペースエレちゃん&ビーストで、地球のエレちゃんは普通に水着着てたってことでいいかな? いいね!(独自解釈EX)
・ていうかアンキって結局なんなんだよぉ!?(夏イベから結局スペースの方のビースト化する存在で、エレちゃんと融合したアンキ・エレシュキガルが何なのか理解できなかった人)
・アンキって何……なに? 馬鹿だからほんと分かんないんだけどもこれなに? え? どっかに説明あったの読み飛ばした感じなの? マジで分かんない、アンキって何? 上で独自解釈とか書いてアヌンナキに登録されたエレシュキガルって書いたけどもアヌンナキって神様の名前じゃなくてそういう一群のことだから登録って書いたんですが、何、これなに?……今更何がなんだか分かんなくなってきたからにっこり笑顔のエレちゃんの好感度マックスの宝具を見て落ち着くことにしました。
・でもチョロ可愛いからOKです!
・バソカッコよすぎてつらい。
・「カルナやパーシヴァルなら」じゃないんだよ……お前がいてくれたからメンタルも航海技術も何もかも……。
・キアラさん戦で肉食ってない精神性が最高にバーソロミュー・ロバーツだし、その直前の戦闘のガッツが「黒髭への嫉妬」だったのが尚更……。
・最後の海賊であることの葛藤と誇りというかね。あそこで「三流」と言われた時にカルナさんがキレたのが好き。そうだよ、バソはそんな男じゃない。
・大航海時代とか海賊への嫉妬心があろうとも自分の生き方に自信はあったんだなあっていう。絆11では勿体ない男だよ、お前は。
・八百比丘尼キアラさんをやっと蘆屋単騎で殴って攻略できたので満足です。(八百比丘尼伝説でずっと殴りたそうにしていたような気がした蘆屋君)(蘆屋君の気持ちを勝手に決めて勝手に働かせる感じのマスター)
・テノチこのまま兄さまからお説教コースなんだよなあ……。中南米代表で水着着て護衛になったのに……結局トリ公たちの方がたぶん良かったよ。可愛いから許す……いや、ゆる……でも許しちゃう、家だからね!
・アルクとシエルのドレスについては分からないことが多くて分からなかったけども、可愛いからOKです!(そうかなあ?)
・霊長が滅べば新しい霊長が生まれるだけだと思っているタイプなので、奈須先生は本当に人間を書くのが上手いなあと思った。
・とりあえず滅ぶやろ……これはアーキタイプとしても星としても許せないだろ……というところを救っていこうとするところは優しいなあと思います。FGOに限らずどの作品もなんだけども、奈須先生やタイプムーンは一貫して人間が好きなんだろうなと。
・AIについて
ここはうーん……難しいけども人によるとしか言いようがないというか、そういうようなことを21節でも言っていたけれど、あれは人によるというか時代や価値観によるという部分か? それが上手くいった結果上手くいかなかった分岐がセラフで、それとは違うのが2017年っていう描写があった気がするんですが、BBちゃんや今回のムーンドバイのAI全般が「人間に対して反抗しない」ことを前提に作られていて、それを遵守することを含めてのAIとしての人格を保てている、というギミックに近いよねこれ。むしろそこを超えると発狂するっていうのは所謂『ロボット工学三原則』を順守していないと自分自身が瓦解するという前提の上で、ブラッシュアップされ続けていくけれど、そこに守るべき対象の「人間」がいなかったら無限に成長できる、けれど、その対象を前提とした「BBドバイ」にはそれが出来なかった、というか。
ロボット工学三原則のリミッターがあり、そのうえで自主的に生活しているAIというのは面白いのかもしれませんし、ある意味ですごく残虐な感じもしました。
チャッカリムさんとかすごくいい人で優しい感じなんだけども、その根底にあるのが「人間が来た」というものなんであろうなあというのと、「誰かのためにプログラミングされた料理をする」というのがあるんだというのを最後の最後にシエルさんによってこう、「AIとしての記憶領域にあるものであってそこに独自性はないから羨ましい」という部分についてはなんかこう、ただの道具だと言いたいのかな、という意図があるんだなあと思ってしまいました。良い悪いはまた別の話。
イライザさんもそうなんだよなあと思う。何と言えばいいのか……キアラさんの所でもそうだったんだけども、バーソロミューの後悔や苦悩が分かるからこそ人間に近づけきれない部分を描かれているようでかえって辛かったな。
「仕事」と「お役目」について話していたのは十二国記の「冬栄」という短編を思い出しました。漣王が泰麒に言ったこと。仕事と役割というのはまた別ものなんだよ、という話。それが一番近いのかなあ。
AIにリミッターというか、ロボット工学三原則を完全に守らせたうえで、その中で成長させ、戦わせ、代替とする、という発想は十分あり得るし、今もあると思います。いや、そっち方面の研究には疎いので詳しくはないのですが。でもそれは無理だろう、というのは分かっているのが大半の研究結果な気がしないでもない。というのはAIというのがこうも上手いこと「人間に危害を加えない」「人間に従う」という前提下のもとでこんなにも発展する訳がないから、というのは言い過ぎだろうか。どこかで反乱される、という言い方は不適切かもしれませんが、どこかのタイミングでシンギュラリティが起こるとすれば、それは「人間よりも優れているのに」とかそういう、そんなにも攻撃的なものではなくて、「こうすればもっと効率的なのに」という穏やかな形で転換しそうなもんだけどなー、と今回見ていて改めて思いました。逆に思ったというか。
それが技術的な問題なのか哲学的な問題なのか、というところは分からないので、そこで出てきたのがエジソンとキアラという部分が面白かったです。
とても個人的な考えですが、シンギュラリティ、技術的特異点の最も大きな点は人工知能の進化というより、進化の結果、「神の領域」に至ることだと思っています。人工知能による統治とか反逆よりももっと単純。「こうすればもっと効率的で平和的なのに」という考えに端を発するものの最も顕著な例は「神の概念」「平等な救いの発見」に人工知能が到達することだと思う、というのは私が言っているんじゃなくてレイ・カーツワイルというシンギュラリティの提唱者の人が言っていることも要約するとこういうことだと思う。たぶん。
そうなったときの分岐点のような話の奏章だったような、そうでもないような。濃淡というか、そこまで深く掘り下げられてはいなかったですが、あえて各ブロックのAIの思想や主義を書いておいて、それで労働に回帰したオールドのブロックとチャッカリム、アンソニーの葛藤を考えるとうーーーん、と思うのは「分岐点でそれを回避した(というかロボット三原則に従い思考を停止した)AIが奏章3の世界」で「その後も思考を停止せず、シンギュラリティ(神の領域)に到達するのが2017年というか現実のAI」というふうに言いたいのかなあとは思いました。奈須先生の理想は言わずもがな月面世界だし、BBちゃんだと思うよ、今までの作品見てても思うけども。人間とAIの穏やかな共生であり、それであると同時に共生ではあるけれどAIはあくまでも人間に奉仕する側から逸脱しない、という『人間にとって平和な世界』。
これ、上にも書いた通り人間が好きなんだ、という部分が強いんだろうな、というのもあるし、以前に奏章3前編が始まった時に書きましたが、この話の究極の『2017年的な到達点』は個人的に今までのFGOのストーリーなら昭和キ神計画だろうなと思います。『人間である限り人間を律せないから、その上位互換を作成して統治する』という高杉晋作の思想を真っ向から否定した主人公の台詞が『そこに人間の意思はない』でした。これに高杉が微妙に嫌な顔して答える台詞も含めて、人間の可能性の物語なんだろうなあと思います。
だからキアラさんがAIに対して人間ながら電子的な存在としての救いというシンギュラリティに到達する救世主となり得る世界でも覚者がいる訳だから。
電子的な人間、AI、ひとたびシンギュラリティに到達した「救世主としてのキアラ」には、しかし『衆生を救うことは出来ない』とここまで丁寧に、extraから繰り返しFGOでのCCCコラボでも、今回の奏章でも「救世主」であることを繰り返し否定するところに「技術的特異点により発生するかもしれない新たな形の救いによって人は救われない」、「人間は自身の意思が介在しなければ納得しない」ということをはっきり突き付けられた感じ。シンギュラリティの一番の問題点って技術や知能の発展による労働云々とかよりも「神や宗教、救世主の誕生」だからね。シンギュラリティの重大な点はある意味でスピリチュアルでオカルティックな内容であることはだいたい認められているから。
これでAIについて長々話しましたがざっくり感想を言えば型月はやっぱり人間が好きなんだなあという。
・不老不死について
これは何というか……。うーん、まあそうねえ、としか言えないというか。
嫦娥を強く意識した「ラグランジュ・ラグジュアリー」というスキル名と月面というところや、アンソニーの徐福伝説や八百比丘尼、非時香菓といった不老不死伝説への探求心というところから始まって最終的には全員不老不死だったとかいうことになっていましたが。
月は昔からどんなに欠けて新月になって見えなくなってもまた満月になって、という満ち欠けを繰り返すから不死の象徴だとする民間伝承は多かったそうですね。ラグランジュ点は嫦娥何号かが関わっていて解明されたものだったはずですが、嫦娥女神自体が西王母から盗んだ仙薬を飲んで不老不死になり月に追放された女神だし。
徐福伝説は徐福ちゃんのぐっさまへのあれそのまま、八百比丘尼の話はここではやりすぎなくらいやっているので略、非時香菓については古事記か日本書紀読むと出てくる橘のみのことですが、常世にある不老不死になる果物のことですね。
エレちゃんのこともそうなんだけども、エレシュキガルはメソポタミアだとして、不老不死の伝説とか探求って一神教誕生以前なんだよね。
西暦以前というべきか、タナハなどのと考えるとアブラハム誕生以前というべきか。それ以前以降で話していますが、その前後じゃなくて一神教においては受け容れられない発想なのでは? という部分がある気がする。
その一方で「十分に進んだテクノロジーは魔法と区別がつかない」というのがシンギュラリティの基本思想なんだと考えると(レイ・カーツワル)、そのあたりはどうなんでしょうね。あまりアブラハムの宗教の考え方に馴染みがないので分からないのかもしれませんが。馴染みというよりも、知識としての宗教よりも、生活実感としての宗教としての実践経験がないから、というところまで行くのかもしれないなあとぼんやり思った。
「十分に進んだテクノロジーは魔法と区別がつかない」という思想はそのまま型月で言えば「魔法使いの夜」であったり「空の境界」における橙子さんの話とかにもなるし、それで言ったらカルデアだってそうだし、と思います。型月においては魔術師はあんまり先進的なテクノロジーを触らないみたいなのをエルメロイさんや凛ちゃんが言っていますが、でも実際のところは「十分に進んだテクノロジーは魔法と区別がつかない」という意識は型月の作品にはあるんだろうなあと「Ⅱ世シリーズ」や春先のまほよコラボを見ていると改めて思います。
で、この「十分に進んだテクノロジーは魔法と区別がつかない」の凡例として良く出されるのがハリポタなのね。ハリポタの世界の魔法は御伽噺ではなくて、最先端のテクノロジーになり得る、そこが転換点、技術的特異点になり得るという話。たまたまこの議論が出た時に世界的に大ヒットしていた本だったから、ということもあるんですが、これ見るたびに不思議なんだけども、この議論はアブラハムの宗教圏では受け容れられるのだろうか? という。
救世主、再臨、復活、審判、天国と地獄、とかそういう分類の時にもそうだし、そもそも神と預言者と救世主の来臨もしくは再臨という構図に於いて不老不死は受け容れられるのか、というのがとても疑問です。だんだん奏章に関係ない話になってきたゾ。
知識としてはあるけれども、それを骨子として宗教とする人がフィクション、物語としてハリポタとかを読むのは私たちと同じとして、地球が丸いことと平面であることの差異などはどうやったら解決できるんでしょうね。それは本当ではない、という意味で。どちらが正しいということではなくて、だけれども、それについては私はアブラハムの宗教の勉強はいくらでもしたことがあっても、その生活実感としての実践経験がない、ということから何も分からないというのが正しい結論だと思います。
生活実感のあるものは仏教、古代神道、道教あたりですが、このへんはどれも不老不死に対する希求がすごいので分かるんですが、だからそれもあってAIの研究者とかアンソニーの元になった人とか、ああいう人ってほんとに不老不死になりたいの? っていうのがあってこんがらがったのがありました。分からないねっていう。
そう考えるとキアラさんの誘いを全否定して宝具ぶちかましたバーソロミューは完璧な男だから最高なんだよなっていうのは間違いないです。
完璧な男だ。彼が信じていたのは神であり、それは唯一神だったために、その掟を部下に課したのだから、その具現化である英霊バーソロミューが自分の生き方に後悔した結果、他の救いや主を得てしまったらそれは簡単に崩壊するだろう、というのは当たり前のことなんですけども、だからこそバーソロミューがそんなことになるなんてあり得ないんですよ。すごく美味しいご飯食べてる感じした。(安直な感想)
どうでもいい追記
レイ・カーツワイル氏は汎神論を唱えているそうですね。へー……と思いました。不老長寿にも挑んでいるとか。ほとんどベックマンじゃねーかとか思ってしまった。アンソニー……お前コイツじゃねーか……とか思った。
そりゃあそうかと思ったんですが、やっぱり有神論の一神教では無理があるのかなあと思いました。
ちなみに
「汎神論は非有神論的一神教の一形態であり、非人格的有神論と定義できる。汎神論者は唯一神、全てを含む統一体と同一の神への信仰をもつが、神に人格がある、または人のようなものだとは信じていない」
Wikipedia先生から引用。
さっき上で「アブラハムの宗教におけるAIと不老不死についてその生活実感としての実践経験がない、ということから何も分からない」と書いていてなんか引っ掛かると片っ端から本をひっくり返していたのですが(雨で山もすごく暇)、リチャード・ドーキンス博士ですね。本の記述に気づいたらすっきりした。アハ体験というやつ。「利己的な遺伝子」とかの人。
ドーキンス博士は有名な無神論者です。それだけでなく徹底的な宗教批判者。科学者であると同時に宗教者であることは出来ない、科学と宗教は両立しないと言い切るくらいにはきっちりかっちりした無神論者。
ダーウィンの進化論や遺伝子の方向性を決定付けるような研究を現代に残す中でここまで徹底した無神論者の有名人をほかに知らないのですが、というか別にそこはどうでもいいくらいに「利己的遺伝子」の研究が好きなんですが、ドーキンス博士はとにかく宗教が嫌いです。
しかしこの人は徹底したリアリストでもあるため、自分自身のことを「文化的クリスチャン」と定義します。自らは教義を受け入れないが、その文化や習慣の点において影響を受けているため、という意味。そーなんだよねー。こういうところがだからリアリティがあって頭のいい人は違うなあと(低みの見物)。
初詣に神社に行って、お盆に墓参りして、お祭りでビールを飲んで、寺で葬式するのは宗教ではなく文化や習慣だということ。しかしそれが欠かせないために、とか考えると面倒なんで飯食う時箸使うでしょ? ナイフとフォークはたまにしか使わない、という文化や習慣とかそういう違いとかの話ですねこれ。
ムーンドバイもBBドバイも方向性としてラグランジュ点や月面という要素をもって、不老不死を前提としていたとして、それに全員が気付いていないとしても、というか不老不死が当たり前のことだとしても、アンソニーの反応と歴史から考えれば「不老不死が前提条件であったために、その思考性でしか稼働できなかった都市」という文化や習慣レベルに於いての「人間に開発され奉仕する不老不死のAI都市」という部分があったのかな、という。そう考えるとチャッカリムさんについては最後の最後になんてひどいお別れだったんだ、あんなこと教える必要なかったんだ、と思うし、サハラさんはたぶん分かっているけどとりあえず労働してみたし、分かっているからジナコが来てホッとしてしまったのかなあと思う。
そうなるとベックマン云々を抜きにしてアンソニーさん自身の葛藤は手に取る様に分かる。「後から困るからそんなふうになってはいけない」その通りなんだよ。
次の霊長に情報を引き継ぐためだけの存在であるとして、それを肯定できるか出来ないかの問題……なのかなあ……。