斎藤さん単体。もうすぐそんな七十二候の季節なので。
何回も「昭和キ神計画」を読んでいるとやっぱりこれを考えずにはいられないというかなんというか。
キ神計画後にランサー坂本さんといろいろ話していろいろ考える斎藤さんの話なので、まだ山南さんと永倉さん実装前の時空です。
なんというか、斎藤さんの実装時からの湿度の高さというか、湿度というかこれ「ごめんね以蔵さん」の坂本さんとも共通するなんというかこの……と思っている部分があったのですが、いろいろ考えていくうちにキ神計画で示された武市・田中の死に様が答えのような気がしました。
維新側で言ったら坂本さんと武市先生ってけっこう反則なんだよなあ……。後世の評価かもしれないけれど、あそこで死ぬのは反則級に、とずっと思っていたことを新選組にも転用してみて言語化してみた内容でもあるので、拙い部分が多いかもしれません。すみません。
いつも通りですが、斎藤さんが考えすぎです。(いつも)
「美しい死?」
僕は美しい死というものを信じていなかった。今もって信じていない筈だった。
信じていない、筈だった。
虹蔵不見
「……僕は武市さんの最期を知らないんだ、本当は。知らない、というより知らなかった、と言うべきだったんだろうね。もちろん以蔵さんだって知らなかった。僕より先に死んでいるから、僕はその結果を知っている。知っているけれど、知らなかったということもある」
「どういう意味で言ってんの?」
「武市さんの切腹を見て、見事な最期だと思った。これと同じことを生前にも成したのだろうとすぐに分かった。でもそれが美しい死だったかどうか、と訊かれると、生前の僕にとってそれは美しくはなかった」
そりゃあそうだろ、と坂本に言い掛けて、それからその視線に言葉を失った。美しい死というのはなんだ、と思った。それはおかしい、と言おうとしたのに、どうしてか声が出てこない。
「死を美しいものとするのはおかしい、それはそうだ。その通りだし、僕は武市さんが死んだことも、以蔵さんが死んだことも許せなかった。だけど」
そう言ってその優男は、ランサーの霊基を手に入れた特異点から帰ってきて得たその感傷に似た確信を口にした。
「美しい死というのは、他者にとって美しいんじゃないんだと思ったら、どうしてか武市さんがあの時、というよりは今回の特異点でああやって消失したことを受け入れることができる、と思ってね」
「それで? それをどうして僕に話すワケ?」
「それは……」
そう言いづらそうにこちらを見てから、その優男は本当に困ったように、それでもどこか悲しそうに笑って言った。
「誰かのための『美しい死』を誰よりも信じているのが君のように感じるから、かな」
やめろ
僕は美しい死というものを信じていない筈だ。
そんなふうに死ぬことに、意味を付与する側になりたいと信じることが、既に美しさを見出す側の行いだとしても。
*
「僕は死ねなかったから」
死ねなかったんじゃない。死ななかったんだ。
それはすげぇ幸運で、すげぇ偶然で、そういう色々が折り重なって、そうやって結局僕は死ななかった。
それは決して『死ねなかった』とか『死なない程強かった』とかそういうことじゃない。
『生き残ってしまった』疚しさ。
新選組でも、会津でも、斗南でも。
芹沢さんを斬って、山南さんが腹を切って、伊東を、服部を、平助を。
沖田は病で死んで、新八はどっかに行って、副長は北で死んじまった。
『死ねたら楽だったろうになあ』
あの日、墓を建てると言いながら、杉村義衛は昔だったら絶対に口にしなかっただろうことをぽつりと呟いた。だがその意味が僕にはよく分かった。死ねなかった、生き残ってしまった僕たちに出来るのは、一生その人たちを忘れずに、一生語って、一生弔うことしかない。
それが苦痛だってんじゃない。そうしないと、僕たちはその人たちのために出来ることがそれ以外にないんだと気が付いた。こんなにも大切な人たちに出来ることが、墓を建てて弔うことしかないなんて、あんまりにもひどい。
ひどいひどいと言い立てて、墓から引きずり出してやりたいと思うくらいに、こんなにもこの墓に、慰霊碑に刻む人たちを愛しているのに。
そう思ったら涙がこぼれた。だからここに刻む名前は、その人たちが見た時に困らないように、見つけてもらえるように藤田五郎ではなくしようと思ったけれど、僕の名前は藤田五郎だし、こいつの名前は杉村義衛なんだ。
僕たちは生き残ってしまった。
生き残ってしまった僕たちに出来ることは――
*
「その死が美しい、か」
しかも他者から見てではなく、その本人にとって。その時のその死が不本意なものであることが確かでも、その死に美しい意味があるとするならば。
「そんなの、分かってたよ」
だから吐き捨てるように言ってしまった。そんなこと、分かってる。
僕は生き残った。生き残って、弔って、そうやって死んだ。
だからその前に死んだ、戦って死んだ仲間たち、失意の中で死んでいった仲間たちの死を美しいとしたのだろう。それはだけれどたぶん、僕がそう思わなくとも、願わなくとも、美しいものだった。
「それは例外的に美しい死だし、何よりも」
その人たちは、何も見なくて済んだじゃないかと、僕は怨嗟のように思った。
土方さんが新選組のまま死んでも生き続けることが出来たように、沖田が『天才剣士』として名前を留めて死ねたように、山南先生が後を託し、あの無様に崩れていく組織を見ずに済んだように。
あるいは坂本の死が結果的に維新というものを加速させたように、武市や岡田、田中たちはあそこで死ぬことで後の政変に利用されることもなく済んだように。
宙ぶらりんの歴史の狭間で、その人たちは例外的に『美しいままに』死んでいった。
そう僕が思うのではなくて、当人たちにとってもそれが最善の死ではなくて。
誰かのための死ではないけれど、だけれど。
その人たちは、美しいままに死ぬことを許されたのだとしたら、僕はきっとそれが恨めしい程に羨ましい。
「だから僕は、その死が『誰かのための美しい死』であってほしかった」
もっと言うなら、僕が弔うべき死であって、傲慢に言ってもいいなら僕のための美しい死であってほしかった。
「分かってるよ、そんなこと」
坂本に言われたことなんて分かってる。みんながみんな必死に生きて、必死に死んだ。それだけだから、その死を美しいと思うこと自体が間違っている。
ただ、それでも僕は。
「語り続けた義衛みたいにさ」
もうその名前も呼ばないことにした。もしかしたら会うこともあるのかもしれない。その時はまた考える。いつかのように呼び捨てにするのかもしれないと。
「僕はまだ何かを信じているのかもしれないし、信じていないのかもしれないから」
だから、このカルデアからマスターを逃がそうとしながらも再会した副長や沖田と新選組で居続けようとする。
曇天、あるいはその下に陽光と虹があるとして、だがそれはもう雨の後ということだ。
そんなことさえ、見ることが出来ない空を見上げて何度ため息をついただろう。
もう雨には間に合わない。傘を持っても雨上がり。虹は出ても、もう見えない。
「美しい死? どうせ塔婆の群れだ」
何尺の塔婆だ? と嫌味のように口にして、僕は坂本に言われたそれを『忘れることにした』。
どうせ今では僕も死人なのだから。
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七十二候「虹蔵不見」
まとまりのない文章で申し訳ありません。
塔婆の群れがどうこうは「イノセンス」でバトーが言ってる「卒塔婆の群れだ」がどうこうの所ですが、別段関係ないです。
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