とかいう。
ASBはやってるとかえってつらくなるなあと思いました。特に親子。
あとポルナレフの人生ネタバレ。
ジョルノの精神性ってジョースター家寄りではあるんだろうけども、精神よりももっと深い部分の衝動とか欲望とかってどっちかというとDIO様に近い気がするよねってよく思います。なんでだろうね……と思ったけども元々がディオの時点でジョナサンはなあー、とかなるのでジョルノはまあそうねぇ、と。ある意味でDIOよりもディオ時代に近いのかもしれない、近くないのかもしれない。それよりジョルノ君のお父さん、ちゃんと認知しなさい。
正反対
恐怖を超越し、他者を支配すること。
例えばそれを生きることの意味として定義した時に、私はそれを達成したと考える。
なぜそれを目標ではなく「意味」と定義するのか。
「私は生まれながらの支配者ではないし、恐怖を確かに持っていた」
だからそこに到達することを意味としなければ立てない程に弱く、そうして意味としなければそれを保ち続けられない程に脆い。
「ジョナサン……いや、ジョジョ。羨ましいよ」
だが妬ましくはなかった。嫉妬ではなく純粋に羨ましいと思っていたのは何故だろうな。
「馬鹿馬鹿しい」
超越出来ない感情が人間のモノだとして、私は別段それをどうとも思わない。
ただ一点、正義と邪悪を切り分けるお前のことは『嫌い』だった。
切り分けることが出来るお前のことが嫌いだったのだろうか。だが、同じ様に正邪を糺せるジョースター家の承太郎には何も思わないどころか、むしろ好感さえ持てる。
「何故だろうな。これを執着と呼ぶのなら」
或いは引き返そうとも思わないが、そう考えながらカイロの通りで空条承太郎に相対しても、お前を憎むように彼に何かを思えないのは――
「まるで抜け落ちたディスクのように」
*
写真を見る度に、父親のようにはなりたくないと何故か思った。それと同時に、父親のようになるのだろうなという感覚と、なりたくないというのとは相反する「そうなりたい」という期待があった。
会ったこともないし、そもそも知らない相手なのに。というよりもなんで写真を持っているんだ、ということもあったし、後生大事にそれを持っている自分のことも分からなくなりそうだったのに。
写真をくれたのは母だった。とんでもない人ではあったし、というか特段の思い入れもないどころか、僕も母に疎まれていたし……疎まれて、で済む話じゃあないんだが。
それにしたっておかしいと思うのは、彼女に疎まれる原因になった僕が出来ても、それからいくら遊び歩いても、再婚相手が出来ても、結局のところ僕の父親にあたるこの男から、本質的に彼女の心が離れることがなかったことだった。
子供が出来たら自由がなくなる、とまで言ってのけて僕を放置したにも関わらず、そうまでなってもその相手に逆らわなかったそれは、今思えば僕の父にはそういう何かがあったのだろう。
「そういう何か、か」
DIOという人にあったのは、それでもたぶん夢や希望じゃあない。それは分かる。
だけれど、そうなりたいと思った。思ってしまう何かがあった。断片的に知り得る限り、どうしようもない、ともすれば母や義父以上のクズにも思えるそのDIOという自分の実父は、だが何がしかのカリスマが……。
「いや、違う。そうではない気がする。父にあるのはカリスマではなくて、もっと」
どうして今更それを言語化しようと思うのだろう、と思ったが、どうにかしなくては、と思ってしまえば止まらない。
自分が子供だから? それとも自分が彼の子供だから?
「カリスマ、救世主。そうじゃあない」
もっと深く、突き刺さるような、それはある意味で僕が求めていたような何か。
「依存性のある何か、かもしれない」
そう思ったら少し背筋が冷えた。結局自分もそうかもしれない、と。父から継いだ力と言いながら、父のことを考えてきたそれは、覚悟と希望と言いながら、結局満たされるその感覚は。
誰かに承認されること、誰かに認められること、誰かに必要とされること。
「たとえば、本当にたとえばですけどね、父さんに必要とされるまでいかなくとも、あなたと関わると何故か満たされるような感覚がする依存性の高い存在なんだとしたら」
あり得るかもしれない、とその古ぼけた写真を見て思った。
「それがあなたの望んだ姿かは、さすがに知りませんけど」
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後書と言い訳
何度か書いていますが、「花京院が肉の芽によってDIOに心酔しコントロールされている」っていうの絶対嘘だと思っているのでこうなっています。
ポルナレフは同じ肉の芽なのにDIOに対する忠誠心というか心酔はしていないこともありますが、エンヤ婆は少し事情が異なるもののンドゥールや、極論はヴァニラですかねー、と思うんですが花京院の場合は肉の芽じゃなくて単純にアニメの描写でもあったけども「安心感」だけだろ、とかなんとか。まあ最初の保健室も、カイロでDIO様に勧誘されてる時も彼、様子は可笑しかったですが。どこをとっても不安になるから花京院が好き(ひどい)。
DIOにあるのはカリスマというよりむしろ依存性でしょうと思います。欲しいものを欲しい時に与えられるという依存性。
でもそれが唯一「ジョジョ」というジョースター家のジョナサンに憧れたというか羨んだ結果なんだとも思うんだよね、最悪の結果にはなったし、ジョナサンとは正反対になったけども。
ジョルノはむしろそういうものを遠ざけているようで、最初のギャングスタに憧れる理由がその希望や仁への憧れだからだと思うと、そういう自分に必要な感情や存在を求めていくという点では父親と同じだし、父親と正反対なんだなあと思います。
追記
DIOというかディオ・ブランドーにとって「実の家族」はほとんど忌み嫌うべき存在というか、大雑把に言うと父親のせいで母が死んだのだし、母のために父を殺したのだけれども、それでも母に対しての鬱屈した感情というのが止められなかったのは愛情を与えられなかったということもあるけれども、それにしたってディオが母親に抱く鬱屈した感情ってのが難しいよねと思うから、何となくそういう目線でジョルノを見てしまうのはあるかもしれない、ないかもしれない。センテンスが長い。
ディオはそうまでして父に尽くした母を馬鹿だと思っていたし、それを含めて「蔑んでいた」つもりなんだろうけども、衝動的な部分で「嫌っていた」訳ではないことが分かってしまうからどんどん方向性がおかしくなっていくというか、そういう気はします。
ジョルノについて、というかDIOの子供について「DIO(吸血鬼になってからは特に)にとって女性は道具で食糧」のため、「なぜ相手の女性が生き残れたのか不明」と書かれますが、最終的に6部で何だかんだと理由は出てくるものの、なんだろう、ディオとかDIOにとっての自分の中の不全な部分、一番自分が乗り越えたかった自分の家族という形のこの人の根幹って「親から愛情を得られなかった」ことよりもむしろ「母親を守れなかった」に近いし、さらに言うと守れなかったを通り過ぎて「母親に愛情を与えられなかった」まで行きかねないなー、と思います。
ジョナサンとの対比でディオの生い立ちや悪辣さがありますが、その中でどうにもディオは最初から「与える側」だったのかなあとは思ってしまう。生まれながらに与えられていたジョナサンを羨んでもそうあろうとしないで奪おうとしたというよりも、むしろ「与える側」だったのかなあと。それが悪性のものだとしても、その結果がDIOになっていたのかなあと思う。
そうであれば、3部のDIOにとって肉の芽にしろカリスマにしろ、忠誠心や莫大な金銭で部下を掌握しているように見えて、実際には「何かを与えられたい」という欲求を満たしているだけのように見えなくもないし、そういう欲求を持った人間だけが集まっていたようないないような。
花京院なら安心感、ポルナレフなら復讐、マライアなら魅力、ンドゥールなら救済、ヴァニラなら忠誠
全部「与えらえて心地好いもの」を与えているだけだとしたらかなり依存度と悪性の高い存在なんだけども、その一方で「悪には悪の救世主が必要なのだ」とかなんとかいう台詞もありましたが「必要なものを必要な時に与えられた」という側面を真っ向から否定できない部分は主人公というか正義側の空条承太郎にもあったんだよね。
それでDIOが満たされるかはまた別の問題、と思いますが、そうだけれども「与える側」の存在なのかなあと思いました。ジョナサンは受け取る側で持っている側だからね……。
だから、ASBやっていてこの親子の掛け合いはちょっとしかないですけどもDIOがジョルノに「気に入った」と言うのと、ジョルノが「あなたから受け継いだ力」と言うのはやっぱりジョルノに与えているのだけれど、与えたものを使えていることを「気に入った」と言っているのは多分ジョルノだけなんじゃないかなあー……とは思う。
ヴァニラは「惜しい」でちょっと違うというか与えたというより不可抗力だし、プッチ神父は与える前にDIO自身が死んでしまったのもあるから、実際に与えてその結果として真っ当に成長したのが「自分の息子」だとしたらDIO様としてはどーなんですかね?とはよく考えます。