なんか誤解を招きそうなので(傷と悪意について・ンドゥールと花京院)

さっきの館側からの話と昨日の日記にも注釈をつけているのですが、暴力と暴力的なものの違いというかなんというか、すごく誤解を招きそうなので一応追記で弁明しておきます。ちょっとだけ構造哲学のまわりくどい話になるのと先程の話の後書なので追記。

先程の話、「痛い」で花京院が指摘しているのは『暴力』についてです。それに対してDIOが実行したのは『暴力的な行為』です。
「見えない世界」でンドゥールがDIOによって肯定されたのは『暴力的な行為』の行使であり、同時にそれをDIOから行使されることに恐怖しています。
「無垢な魂」でテレンスが花京院に思ったのは花京院典明が本質的に『無垢で暴力的な行為』の片鱗を持っていたと思っているという意味です。

という言い訳。
大変面倒な話にはなるのですが、暴力は暴力です。人を殴ったり、罵詈雑言を浴びせたり、そういうもの。
対象があって、肉体や精神を損なうもの。それが物体なら物体を壊す行動。
比例して暴力的な行為はそこに対象や意味がないもの、と措定しています。無垢で無意味で、特段の意味も理由もないもの。
ただ、それによって付く傷について、それに伴う悪意については比較衡量しがたいものだと思っています。少なくとも私は、ですが。どちらか一方の方がより重い、とする哲学者であったり心理学者も多いですが(純粋な分、無差別な分重いという意見もあれば、ターゲッティングによる罪の重さを示す意見もあります)、ほんっとうに私は個人的に、どちらも比較できないと思います。
根本的に私自身が痛いの嫌いなんですよね、肉体も精神も惰弱だし、ストレス耐性も低いし。出来るならば平和に過ごしたい人間なので、理由があろうとなかろうと、悪意があろうとなかろうと、何かを損なうものは比較するまでもなく苦手です。

ということを前提の言い訳としたうえで以下。

フロイトかラカンだったはずなんですが、完全にランダムで意味がなく、理由を求めても返答がない理不尽なことには人は耐えられない、とかそういうことが言われます。その話を書いていました。
だから「痛い」で花京院が淡々と言っているように見えて、彼自身が結構必死になって肉体的な吸血という暴力にしろ、精神的な絶縁という暴力にしろ、「腹が減った」とか「元々友人関係だった」という前段の部分を作成しようとしているのは、そこに理由や動機がないと耐えられないから、ということです。
それに対してDIOは別にどうとも思っていないので暴力的な行為というか、殺すにしても「たまたまそこにいたから」以外に理由らしい理由がない。というか理由ですらない。だからその行為に花京院は初めて痛みを覚える、という。
何度か書いていますがそういう意味で低温火傷なんだと思うよ、と。
「見えない世界」でンドゥールが言っているのもそうですが、そもそも彼が自害したのは「DIO様に不利になる」とは言うものの、それだけ自分の存在の無意味さを分かっていたから、そういうふうに扱われる恐怖でしかないと言っているようなものですし。
テレンスは原作で実際に「ジョースターの血に関係ない花京院」という挑発をして、それでもやるか?と勝負に誘いますが、それでも誘いに乗って魂を賭ける、と見込んでいたのはそれこそそういう無作為の暴力の前でも同等のことをやってしまえる程度の人間だと思われていた(自分の魂をそのくらいに扱える人間であると思われていた、という意味でもある)ということでもあるんだろーなー、とかなんとか。

まあ花京院が館にどのくらい関わっていたか知らないんですが、灰の塔のことやハイエロについての知識などから考えるとまあまあ関係はあったのかなあ、とか。
……しかしそうなると、花京院さんちはどのくらいエジプトに滞在してたんだよ……金持ちかよ……。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です