小説で殴れよって思ったけども、ンドゥールの考察日記。ンドゥールさんなのでとりあえず水と思って海の画像入れておいたけどもこれは5月ころ撮った日本海です。ゲブ神とは関係ありません。
考察っていうよりかはンドゥールの長い話を書いていて、いったん整理しないとこれ以上書いていっても行き詰まるな、と思ったのでまとめます。
あと海外にいる先輩(オタク)に花京院の話をしすぎて「いい加減ほかの話しろ!」とブチ切れられたのでンドゥールの長文メール送ったら「知らない人だ。花京院は辛うじて「わたしも同行する」の人だと知っていたが、知らない人の話はやめてくれ」と言われて辛くなったのでここに書きます(ひどすぎる)。
昨日、姉と買い物に行った時もンドゥールの話をしてみたんですが、こちらの思考整理も兼ねながらやってみたら「言わんとするところは分かる」と言われつつも、まだまだだったので、自分でもまだまとまり切っていないな、と。
そういう訳で、追記からンドゥールの話をしています。考察日記です。こういうのも久しぶりかもしれない。
ブルスカとかふせったーとか字数制限があるのと、あんまりこう、他人様に見せても何かなるものでもないし、ぐだぐだ書いているのと、自分の中でンドゥールについて順を追っていたり追わなかったりしながら整理したい、というだけだから気を付けてくださいね。昔日記でよくやってたやつですね。
まず、私はンドゥールが好きです。ここ大事。3部敵キャラではDIO様の次に好きなのがンドゥールなのでわりと贔屓目が入ります、が、ンドゥールは関係ない人殺しているし、スタクルの敵対勢力かつ死亡組なので死んでます。死んでます。ここ大事。花京院と同じく死んでます。しかも自害だからスタクル誰も悪くない。ここも大事。
というところからンドゥールの性格とか含めて考察。
キャラシートというか、身上書きがきっとンドゥールにもあったんでしょうが、そんなもんは公開されていないので考えうる限りの原作+アニメや紹介内容の情報から。今回は新版アニメでOVAではなく、ゲームはEoH省いて、原作とアニメの情報だけで、ということにさせてください。ということでアニオリのDIO様の一瞬だけの頭ポンポンシーンはあるけど、OVAの承太郎への祈りやゲームでのDIO様との共闘はない、みたいな。原作通りに戦って死んだらどうなるか、という範囲でそこに至るまでを考えます。
前置きが長くなりましたが、ンドゥール自身について。
盲目で、出自は決して良くない。盗み、殺人等を行って生きてきたが、それも含めてスタンドが生まれつきあった組のため、特段困りはしなかった。それについて「怖いと思ったことはない」と発言。「警官が怖くない」というのと同列に「殺人」を並べるあたり、恐怖という感覚は分からないが「殺人が警官に咎められる行いで法を犯している」という「怖いことで悪いことである自覚はある」タイプと推測される。
と、推定して私は彼を考えています。
終わってんなー、と悪い意味ではなく、わりと人生詰んでんなーと思うんですが、実際にンドゥール自身が「スタンドのせいで」というセリフも吐いていて、それは無意識の発言なのかもしれませんが、スタンドがあるから容易に生きてきたと言いながら「スタンドのせいで」と言ってしまった部分もあるんですよね。
スタンドのおかげで盲目でもハンデがあっても生き延びられた一方で、その生き延び方は『スタンドのせい』で盗みや人を傷つけ、最後は殺人に至る「悪事」になっていく、という雁字搦めになっていく彼にとって、最期に承太郎に告げた「悪には悪の救世主が必要なんだよ」という言葉の通り、ンドゥールは自分が「悪である」「悪いことをしている」という自覚をずっと、DIOに出会うよりもずっと以前から抱いていたし、DIOに出会って救われてからも、救われた意味さえも自分の悪性を自覚した状態であるからこそ、なんだよなーと思うと、かなり辛い部分はあったのだろうと思います。
孤独というよりは辛さだと思う。
私はよく、花京院の対比としてンドゥールを書くことがあるのですが、互いに生まれつきスタンドがあり、そのために周囲から孤立し、その能力のために生きていく中で苦悩していたが、理解者であるDIOに出会って救われた、という流れが似通っているのはこの二人だと思います。
そうしてDIOにンドゥールが感じたものは『強く深く大きく美しい』。初めて価値を認められた、人を害して、悪事を働く自分のスタンドと自分の在り方、自分が悪事を働くそのこと自体、自分の存在に価値を見出された、それがンドゥールにとって初めての出来事だった、というのはそれは嬉しいとか嬉しくないとかそういう次元ではなくて、この人についていこうというよりも、この人についていかないと壊れてしまうくらいにはもう限界だったのかもしれないな、とも思います。
さっきも書いたけどもンドゥールには自分にスタンドがあって、スタンドを使って悪事を働いている自覚があるのに、そうやって悪いことをしないと生き延びられないから、どんどん盲目であることの対比としての聴力と空間把握能力の精度が上がっていき、自らのスタンド『ゲブ神』との相性が上がっていく。能力が強化されていく。それに対する嫌悪というか、恐怖ではなくて嫌悪とか気持ち悪さがあるから「スタンドのせいで」だし、「警官だって怖くなかった」「悪には悪の」とあっさり自分の悪を認め、悪事を働いてきたことを笑って言うワケであって、その一方でやっぱりどこまで行っても「悪いことをしている」という自覚はついて回っているという部分にこのキャラの怖さのようなものはあると思います。怖さと脆さというか。
自分は悪いことをしているんだ、って徹底的に分かっているから壊れそうで、そうは言ってもそうしないと生きられない環境にいて、だからそうやって生きていることを嫌悪しても、スタンドがあるから生きていけてしまって、そうなるとスタンドのせいで、と思うけれども生きられる以上生きていく、という部分もあって、という中で出会ったのがDIO様だったとしたら、そこで抱いたのは狂信だけじゃないと思う。それはすごく魅力的だったろうし、救いでもあっただろうし、この人のためだったら「悪いことをしてもいいんだ」という危うい部分もあったんじゃないかなー、と。
だからじゃないんですが、私はヴァニラ・アイスの純粋な狂信よりもンドゥールの少し捻じ曲がった忠誠の方が危ないというか、人間的な部分が残っていて、純粋さがない分、危ないところもあるんじゃないかな、とか、怖いな、と思うときがあります。その辺は人の受け取り方次第なので人それぞれなんでしょうが、ンドゥールの忠誠って、「DIO様のために悪事を働いてもいいんだ」という心の支えの部分があるのかな、という、今まで自分が生きるためだけの「悪」であった部分に救いが与えられた、「悪の救世主」が現れた、自分の「悪の担保者」が現れた、というぎりぎりでぐらぐらの部分があると思う。だからンドゥールのやらかしちゃったことって、DIOにはその気があったと思うし、責任くらいはDIO様ね、あの人めちゃくちゃな御仁だけどもなんだかんだ言いながら取るし、後始末はするとは思うけども、ンドゥールは自分が今まで抱えていた悪事への嫌悪感や苛まれていた感覚、自分の悪性を全部「DIO様」に預けて、投げやって、押し付けてるんですよね。そうしてンドゥールの何がって、それを全部分かっていることが彼の最大の問題というかなんというか。「DIO様のために悪事を働く」の部分から「悪事を」を抜けばヴァニラ・アイスになりますけども、ンドゥールはこれが悪いことだと分かっていて、自分は今現在悪いことをしていて、悪の救世主と表現するように、たぶんDIO様も悪い奴だって分かっていて、DIO様のためにやっていることは悪いことなんだけども、DIO様のためになる悪いことだから、今までの悪いこともひっくるめて敷居が下がったというか閾値が下がった、っていう救われ方も少なからずあるんだよな、この男。
だからこそ最後の「死ぬのは怖くない。しかしあの人に見捨てられてころされるのだけはいやだ」に繋がるんじゃないかと思います。3部の敵キャラって案外死んでないじゃんって思う中で、ンドゥールはジョセフの念写を恐れて自害しますが、仮にハーミット・パープルで念写されていても、そうじゃなくてしゃべっていても、DIOはンドゥールを殺しはしなかったと思いますし、生きる道はあったと思います、あの感じだと。その点については前からいろいろ言われていて、それでも自ら死んだところを忠臣と言われるけれども、違う部分もあるんじゃないかなとこのセリフを読むたび、聞くたび思うところはあって、ンドゥールにとっての恐怖とか、「殺される」っていうのは物理的なものではなくて、自殺することも自分で言っている通り「死ぬこと」にも「嫌なこと」「怖いこと」にもカウントされてないよね、多分。だけども、念写されて情報がジョースター一行に渡ってしまったり、自分がうっかり何か話してしまったりしたときに、一瞬でも、ほんの少しでも、「DIO様が自分から興味を失った時」それが「あの人に見捨てられ」た時であり、それは物理的な動作を伴わなくとも「ころされる」に等しいことで、彼が一生のうちで最も、そうして初めて抱いた「恐怖」で「いやなこと」だったから、それから逃げるためにやったことが自害という逃避だったのかな、と思います。
ヴァニラや神父や大統領など、悪の自覚がないとか悪の正当性など、そういったキャラクターが最もドス黒いと表現されることが作中であったり、3部の承太郎や5部のブチャラティのように「何も知らない相手を何も知らないままに利用して、何も見えないままに利用すること」を「吐き気のする悪」と表現することがジョジョの作中では最低の悪としてあるじゃないですか。
その中で6部で承太郎がDIOについて「人の心を動かした」という点について良くも悪くも評価した点って、ンドゥールのことも含んでんだろうなー、とあの墓標ことで思うんですが、そういう無意識の悪や、吐き気のするようなめちゃくちゃな悪に対して、「自分は悪いことをしている」という自覚がある悪ってどういう位置づけになるんだろうなってンドゥールを見ていると考えてしまって、面白いキャラクターだなあとずっと思っています。
その対比があるからこそのエジプト一戦目かつ承太郎もDIOという悪への好奇心にも近い感情を抱くんでしょうし。
悪の自覚はある、悪いことをしてきた、今も悪いことをしている。それで咎められることも分かっている。だがその悪を改める気はない。
これはこれでかなりの悪性を帯びていると思うんです。自覚があって振るわれる悪っていうのは、十分な理性や理解、そういったものに制御されているにも関わらず、そういうものを考慮に入れても「悪であることを選択する」という意思があっての悪です。その悪性は覚悟があっての悪じゃないかな。それはすごく悪いことじゃないかな。やってはいけないことを繰り返してはいないかな、と思うとンドゥールさんはどうなんだろうなあ、と。
そうしてしかも、これまで何度も繰り返していますが「スタンドのせいで」と名前もなかったそれに言ってしまっている彼は、その悪事について、自分のそれに嫌悪を抱いてしまっていた表現が出てきている。ということはDIOに出会って「救世主」とDIOを呼ぶならば「悪事の担保」であったり「悪事の責任を取ってくれる人」という側面もあるワケだと思うんですよ。心が軽くなる、というか、悪を働ける、この人のためなら、悪でいられると思える。だけどこの人にいらないって言われたら「あの人に見捨てられたらもう悪である自分は生きている自信がない、ころされたも同然だ」ということじゃないのかなー、と。
その悪は根深いと思います。自覚のある悪ってどうなんだろうね。それはDIOもそうなんだけどさ、悪いことをしているっていう自分を、でもンドゥールは肯定しきれなかったんだと思います。
などというンドゥールの考察文でした。
書きながら聞いていた曲
「アンハッピーリフレイン」
「ローリンガール」
「ワールズエンド・ダンスホール」
(wowakaさん・三曲ともアルバム「アンハッピーリフレイン・Disc1」より。「こんなに疲れているのにな」とかそういうことを言いながらも気づいてるのに気づかないふりが得意そうだなあと思いました)
「Ob-La-Di, Ob-La-Da」
(Youssou N’Dourのカバーヴァージョン。単純に分かりやすい名前からのイメージソングですが、目が見えてるンドゥールさんがこれ笑顔で歌いながら車運転して買い物行ってたら普通にいい人でしかないのでDIO様は勧誘あきらめて帰ってください。あと笑顔だとこの曲すっげー似合うと思う。まあンドゥールさんが笑うのって死ぬ直前と「ンドゥール様」と自分で言っちゃう時とか承太郎の行動に混乱しすぎて意味不明に笑うのとあとシュートヒムのとき笑ってたか? くらいしかないんですが……)