DIOと天国の話

なんか唐突にぐだぐだ話しています。
というか「荒木飛呂彦の漫画術」「悪役の作り方」を読み返していてEoHの件、天国DIOがどうしてもまだよく分からないのと、6部以降の解釈の方法と6部自体解釈について、という話です。まとめというか単に私の考えというか、あとなんで今更ジョジョなのっていう話もしておきますね。

pixivの「その場に留まりたいのなら」を今ちょっと非公開にして書き直していて、あれサイトにも載せないと思うって話もしていたんですが、本当は本にして自分用にする予定だった、というのが一番大きかったので整理しているのですけども、あれけっこう天国と並行世界と転生のネタが大きくあって、公開している部分はギャグっぽいんですが、公開していない後半部分に行くほどディオも花京院も鬱々としだす部分がある中で、もう少し考えた方がいいな、と。
私の思考力が足りない部分が多いのもあって、そもそもどうしても天国に至る方法についてのDIOの発想についてあまり考えないようにしているんですよね……EoHは漫画術でも明確に別ストーリーで脚本を書いたと言われているのと、ゼロからプラスへの話でもあったのですが、私の個人の考えとしてEoHの天国DIOの支配とか真の目的とか天国って3部当時のDIOの考えとは別物では……? というのがどーしてもあって、小説書くときには漫画原作内の設定で考えうる範囲での「天国」とかそういうもので書いているのですが、ある種の逃げだなーという自覚があるので考えてみた。

今更ですが、私自身のジョジョ云々についてです。ジョジョ自体は知っていて、意識して真面目に本誌で読んだのはSBRが最初だったかと思います。けっこう遅い。しかもスティール・ボール・ランが週刊の時だから、どういう意識の仕方だったんだろう。ちょうどBLEACHを本誌連載で追っていた時期と連載開始が重なるのがSBRで、ブリーチの三年目くらいから連載始まったんですけども、ジョジョは6部で完結したと勝手に思っていたので、荒木先生の新連載だと思っていました、真面目に。(6部は後半さらっと本誌で読む感じでした)スティールボールランってタイトルもなんか全然違うしね、くらいに思っていたぐらいだが、これが最初に真面目に読んだジョジョのシリーズだったから、波紋もスタンドも受け入れられたのは良いのですが、良いのだけども……。

という感じでSBRのストーリーがとても面白くてそこからハマった感じでした。ただ学生時代周りにシリーズ読んでる人誰もいなかったのと、なんかなんだろう、いつものように変なところにはまり込んでいったのでずっと黙っていたままここまで来た(七里様にも黙っていたからすごいよねって言われた)。

という前提からですが、以下からほんっとうにまとまりがないので追記に折りたたみます。長いのとだいぶ冗長な点が多いのでお気を付けください。解釈違いだよというときにも石を投げないでください(チキン)

カロリーとかコストの話を急にしだすのもあってか「Cake」を聴いていました。

 

SBRが一巡後の世界って言われても……? と読めば読むほどそうなってしまうのを上手く言葉に出来ないというかなんというか。並行世界のディエゴもそうだし、ザ・ワールドとか『世界』とDIOとの関係とDioとかいろいろあるし、一巡させること自体をプッチ神父は失敗しているよね? とも思っているけれど一巡はしていることになっているんだよね? とも実際そういう前提のもと描かれているとも書いてあるのでいいんですが、うーん、EoHにしろなんにしろ、少なくともやっぱりDIOの考えた天国とやらはプッチの考えた一巡後の「覚悟こそが幸福」な世界ではないよねこれ。失敗しているとしても、ですが。
前に一度「互いに嘘をつく」DIOとプッチの話を書いたことがあるのですが(余裕があれば手直ししてHTMLにしたいです)、プッチとの間の友情ってわりと一方的なものだと思うのですよね……インタビューとかで肯定的な捉え方なのは分かるんだけども、DIOの言うところの友達ってのがいまだによう分からんのと、プッチにとってのDIOって友達というよりはトロフィーに近い扱いの部分が大きいのよなあと思う行動が多くてね(特にアニメだと強調されていた部分が多い)。
それと同時にEoHは「DIOが天国に至ったら」というifストーリーですが、6部でのプッチとのやり取りと、承太郎が燃やしていた日記ってあれ先ほど書いた話でも書いていたのですが「DIOが死ぬ前提の会話」なんですよね。ジョルノをはじめとした子供も、プッチに渡した骨や矢も、DIOが死んだ後に「天国に至る方法」であって、そこに必要なことが書いてある日記についてはDIOが持っているという部分でDIOはプッチのことをどう思っていたんだろう、といまだにこの男の行動原理というか心理が分からん……となります。

少なくとも「やれよ」と言った時に試したことは間違いないのだろうと思うんですよね。あそこで一瞬でもディスクを抜き取る動作を見せればDIOは世界で止めてプッチのこと見限って殺していた気がするなあ、と思う。でも試したのは自分が先だったから謝った、のかなあ、と。
その一方でプッチはプッチで自分の欲望優先で天国に至ろうとした結果負けているので、そのあたりも含めて互いに「信用」とか「信頼」というものはなかったのではないかなと思ってしまう部分はある。
分からないですがプッチはわりとDIOを軽く見ていたのかもしれない、とか思ったり思わなかったり、という。友人としての気軽さ、軽さというよりも、彼の中の重要度? 重要度でいくと自分自身の扱いとの差というか、なんというか。それが良い悪いではなくて、プッチはDIOよりもむしろ「DIOの友人である自分自身」の方を優先するタイプだと思う。それはそれでありだと思うし、唯我独尊のDIO様がそれについて何か言う権利はないですしね。

それに対してDIOはDIOでプッチをだいぶ試しているからそこはお互い様なんでしょうし、試した果てが「自分が死んだ前提で話を進める」ということなんで、試し方の視座がすごいことになってんぞDIO様、という。

という長い迂回でしたが、じゃあ結局DIOの考える天国って何なんだよ? という部分がよく分からないです。
基本的に原作とアニメだけの人間なので、EoHとASBのゲームはたまに引き合いに出すけども小説もゲームも外伝と思ってもあんまりそこまで、という感じの部分があることもあるので、改めて昨年の荒木先生の著書の「悪役の作り方」を読んで、結局DIOにとっての一巡した新世界って何だったんだろうなーと考えていました。
プッチの行動を見るに、日記には「天国に至る方法」は書かれていても「DIO自身がどんな天国が欲しいか」までは書かれていない、もしくはそこまでプッチは必要としていないことになるのかなと思うのですけども(承太郎が読んでいない可能性ももちろんある)、「悪役の作り方」で荒木先生がいろいろ組み立てたキャラクター造形としてのディオ・ブランドーにEoHの天国DIOはあんまり重ならないような? 重なるような? とぼんやり考えていました。
母親についての葛藤についての部分で「必要ない」と先生からはっきりとした記述があったのもけっこうびっくりでしたが(そのわりにあの父親への反発と行動なんだからディオ君もう引き返せないねって思ってごめんね……)、恋愛・セックスとかのとこで「支配」はまだ分かるし、ディオとかDIOそのままですが「別れても特に何とも思わない」という一文が添えられることで個人的にはすごく納得しました。支配そのものが目的で、目的が達成できればその後につていは特に興味がないタイプなんだなあ、と思った。3部のDIO様の恋愛観……あれを恋愛観と呼んでいいのか分かりませんが、まさにそういう感じだな、と思います。
「支配したい」という欲求はあるけれど、一度支配してしまったらあとはどうなっても特に何とも思わない、というのは3部の時にはポルナレフの名前を忘れていたり(影DIOの時)、花京院やポルナレフが寝返っても特段の反応がなかったり(『灰の塔』戦が特殊に見えてくるレベル)、ジョルノのことをまるっきり認識していなかったりするんですよね、あの人……。というか6部への整合性で言えばジョルノのこと忘れていたら困るんですが、子供には必要性があったはずというそれでさえ興味がないというよりも「特に何とも思わない」のだろうなあという部分だと思います。

だから原作で考えた時のDIOってEoHのような天国DIOにはやっぱりならないのでは…? と改めて思いました。
生きることの目的が「支配」であって、それでいて同時に「安心感を与えれば人間は充足する」と分かっているためにポルナレフへの階段でのセリフもそうだし、花京院への肉の芽勧誘時のセリフとその後もそうですが、分かってはいるんだよね、あの人。だからあの階段での何が起こったか分からねーポルナレフのところがDIOの発想を分かりやすくまとめられている感じがあると思うのですが
「私に再び従って永遠に仕えるなら支配してやる」→「そうすれば安心感を与えてやる」→実例(階段を降りたな?)→拒否→「死ぬしかないな」っていう、恐怖している云々引いても激昂するでもなんでもなく、「特に何とも思わないし興味もない」っていう、あのジョースター一行との最終決戦に至ってもブレないんだなあ、と。

逆に戻ることは恐怖だから、承太郎との戦いの中でザ・ワールドの停止時間が伸びていけば「いずれは十分、一時間」というふうに成長を見込んでいくし、「自動車というのは便利なものだが」「このDIOだけだ」「人間どもよ支配してやるぞ」とかの部分からディオ時代からの一番、ぶっちぎりで一番になって絶対這い上がってやる精神が残っているような気がしないでもないですがその結果がこれか……とも思いますが、その一方で頂点に立った後、その後に何かっていうのとかそこにジョースター家の邪魔者を全部消すことが真の目的でそうやって邪魔者のいない世界で世界征服して安心しながら世界や人間を支配ってやっぱり違うような? というかそれはディオ・ブランドーとしては逃避では…? と思ってしまう部分もあるようなないような、と。
この間書いたンドゥールの考察でEoHの話を抜いているのですが、それでもンドゥールだけでなく3部の敵、DIO配下とDIOの関係については考えることがあるのですが、エンヤ婆の最期が分かりやすくはあるし、あの時の信用とか信頼についての発言はあるけれども、その一方でホルホースの扱いであったり、グレーフライに花京院の能力の話を事前にしておいたり(≒あいつぜってーJOJOに関わると裏切る、程度には観察しているしグレーフライの心配もしている)するところや、3部の敵は案外死んでいない(承太郎がまだ高校生なのを加味しているのもあっても)、とかいろいろありますが、なんだかんだ言いながらも、DIOには責任を取るという概念はあったのではないかと個人的に思っています。ただ、グレーフライへの花京院の説明についてはちょっと疑問符が付くのでそこについては「気持ちが悪い」という小話で書いています。あれDIO様死ぬほど性格悪いよなって思っています。いつ読み返してもあの『灰の塔』戦ひっでぇ……。

それでンドゥールの考察でもその前に書いた悪についてのンドゥールの話でも触れましたが、DIOは配下のことについては責任を取る程度のことはすると思うんですよね。責任。だからンドゥールのあれが盲信や妄信ではなくて、本当に大切な人に対する恐怖を含んだ感情なんじゃないかなー、という話をこの間書きましたが、それはンドゥールが自分の悪事(加害とか殺人とかそういうもの)の直接の責任ではなくとも精神的な負荷をDIOに押し遣っている自覚持ってるじゃんあの人。「悪には悪の救世主が」って言ってますが、自分が悪であることの自覚を持っていて、救われたいと思った時に「悪であることを肯定してくれる」ってことは悪事を働くことを許してくれる、責任取ってくれる人がいるっていう部分で、それをさせたくないしさせてしまったら終わりだ、という理性で自害したのがンドゥールだろ? と思っているので、DIOは何だかんだと部下にした相手の責任は取るのでは? と思って、ヴァニラを生き返らせたあたりでもそうだし、ホルホースの件もそうですね。逆にエンヤ婆の件はポルナレフへの発言や対応を見るに後から考えるとある意味当然なのかもしれないとさえ思えるし。

☆突然ですがンドゥールについての考察の付記☆

少し関連するのですがンドゥールおよびヴァニラや花京院などのなんかDIOに狂っちゃった人たちについて
というか先日のンドゥールの自害についての考察の追加

「他者に敵意を抱きつつそのことについて自覚的で有責感抱いている者は、その罪のありようによってだんだんと『自分が他者に敵意を持っている、他者を害そうとしている』という事実そのものを自分の中で否定しようとする」
という精神的な危険性のあるなしがンドゥールがヴァニラと決定的に違うところで、花京院と部分的に共通しているところだし、結局その危険性を自前で責任取って自害したけども、その危険性と恐怖と「自責の念を肩代わりしてくれる人(DIO様)」に殺された、という意味ではンドゥールも花京院もほぼ同じじゃないのか、と思っている話をなんとか説明したいと思いながらなんだっけこれ? と何も思い出せずに書けなかったのですが、今思い出しました(ド無能)。フロイトの『トーテムとタブー』という著作の「強迫自責」というなんかそういうやつにちらっと書いてあった話ですね。たぶん。

☆考察付記ここまで☆

この話もそうなんですが、DIOにとってEoHでも配下にいろいろ渡していろいろやっているあたりでもそうだけども邪魔者がいない世界を征服して支配するとしても、それが目的だとしても、その後の「責任は取る」よね、たぶん……。
一部のジョナサンへの侮辱を許さなかったところもそうだけども。
なんというか、天国ってのがオカルトではなくて精神的なものだとDIOは言っていましたが、それを考えた時にプッチにとっては「覚悟していればどんな運命も受け入れることが出来る幸福な世界」が天国だったんだとしたら、それは確かにEoHでの天国DIOとも一部重なると言えなくもない部分はある。「あらゆる運命に連なる障害である血筋を除外した世界」を作ってからその世界を支配するっていうのはでもまあ、自分でやるよねあの人……?
というなんかよく分からない流れのおかげでEoHの流れが分からないとかなんとか、というのはいったん横に置くとして。

DIOにとっての天国についてですが、あそこで承太郎を殺していれば天国を作ろうと思ったのか? というとまた微妙なところだなあと思うんだよなあと思います。
それにプッチの考えた天国とDIOの考えていた天国は絶対に重なっていないと思うというのはなんかある。覚悟していれば運命を受け入れられて幸せとかディオ・ブランドーは受け入れないので、プッチの考える天国とDIOの考える天国は別物なんでしょうが、だらだら書いてますけども、DIOって日記に天国に行く方法書き始めたのは良いものの、それってそれだけなら逃げとか逃避方法じゃないのか? といまだに思っているのもあって、だから「自分が死んだ後」という前提条件付きでプッチに断片的な情報とアイテムを渡していたのかなあと思ってしまう。そこが既に欺瞞だという部分にプッチが思い至っていたかは分からないですが、少なくともDIO自身は欺瞞だと分かっているからあそこで謝った部分もあるのかなあー、とかなんとか。
だってエジプトのあそこで承太郎を殺せていればジョースター家の血縁と因縁は途絶えていた訳ですからね(仗助とジョルノについてはまた別途考えるとして)。
だったらむしろ、ジョースター一行との勝ち負けの出目を考えるよりももっと簡単な方法があった、というかテレンス戦で言ってたのなら花京院の勧誘が半年前でしょ? 承太郎のスタンド発現がエジプト到達の45日前とすると、DIO様が目覚めてスタンドが発現して(矢の件があって)、もあるけども、それ以前からスタンド使いがいて、そのへん勧誘して回って、ダービー兄弟はアメリカだしとかいろいろあるけども、と考えるとジョースター家と戦うことになっていると確信していたのか、それとも別口? と。その辺の設定云々はどうでもいいんです。ただ天国に到達して世界を書き換えてしまえば良かっただけなのではなかったのか、という部分はある。方法知ってる張本人なんだからね。

だからなんかDIOの考える天国という世界の在り方ってよく分からないという。
逃げだったのかなあというのはあるけども(それこそプッチのように自分自身にとって一番心穏やかな形で世界を支配する状態を作り出す感じ)、もう一つが「その場に留まりたいのなら」で考えてみて上手くまとまらずに今下げて考え直しているのですが、全体的な責任とかコストを負うものだったのでは? というのはある。SBRで出来上がっていた世界を見ていると思う。
世界をより良くしよう、ということについてはたぶん間違いないと思います。プッチが作る天国というか新しい世界を見ていてもそう思うし、DIOの言動も支配してやるぞ云々でぶっ飛んでる&人間の扱いについても問題しかないけども、上に書いたとおりに配下についての言動や行動を見る限りそこは「世界をより良く亢進させ進行させる」というのは「戻ること」が恐怖のディオとしても前に進む形にするのかなーと。
その頂点がDIOだとしても、前に進むという点は変わりないならば、赤の女王仮説のように進んでいくのはいいけれど、そこに伴うカロリー的なもの、熱量とかコストとかそういう物の消費責任、担保者、支配者、請負う担当責任者、それしかないのではないかなあとぼんやり思って書いた話でした。

世界や宇宙が進み続けるときに「絶対に戻らない」という前提にすると(これがDIOの恐怖となっていことも相俟って前進を前提にすると)、物理学上どうしても証明できない一点が上記の仮説でも何でもいいですが、生物でも宇宙でも、どんな単位でも前進するときにかかるコスト、消費財を誰が支払っているか、だと思う、とSBR読んでいるとまざまざと思うのはあった。それで改めて考えるとこの一巡した世界とやらは失敗しているし、DIOの目指した世界はやっぱりそこなんじゃないかなーと思った。
世界全体のツケは私が払っておくから前進しろ、関係ない、行け、という。

そういうコストの一切関係のないどこかの世界にあるかもしれないしないかもしれない宇宙かなにかに逃げればそれが一番平和なんじゃないですか?

とかなんとかいう話はこの間書きましたね。考えるのをやめた系(ひどすぎる)。

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