読書 海幸さんとひびきちゃん

特にやることがないのと、最近仕事以外ではゲームをするか料理をするか経典の整理をするかしかしていなかったので、動画を見ていたんですが、動画……見尽くした感があるのと結構集中力いるんだね……と改めて思った。

そんなワケで30分に1回の休憩で読書しています。眠くなるからね、というのと医者から脳の処理速度的に無理すると入院させるよと脅されたから一日一冊が限度だね。
それで先程上げたように村上春樹さんの「1Q84」を読み終わったから感想を書いたりしていたのですが、次に何を読もうかなと思っています。何がいいかな。

今読みかけなのは
・前九年・後三年合戦の本
・奥州合戦の本
・織豊政権と東国の本
どれも吉川弘文館さんの本で、織豊と東国の本は米沢の上杉博物館でたまたま買った本なんですが、面白いからちまちま読んでいます。ちまちまなのは織田豊臣の頃の戦国以前というか戦国初頭の知識がないからいろいろ引いているうちにどんどん遅くなるから。大変遅いです。
前九年・後三年の役についてと奥州合戦についてはこの間いろいろあって買いました。有難い、有難い。吉川弘文館さんの本は素人に分かりやすいけれど専門的な史料が豊富で助かる🦝。だけどもなぜ私はこの本を持っているのか、と本気で昨日読みながら考えて購入伝票三度見くらいした。だって私これ、長屋王と藤原四兄弟の話してて結果的に買ったの意味分からな過ぎて……。奥州藤原氏の台頭というよりは地方豪族と蝦夷の滅亡の方の最近の通説的なものが読みたかったのですねぇ。長屋王かすってないのが困りますねぇ。

・さすおに 師族会議編
これが一番好き

・古事記・日本書紀・太平記、など
訳本以外持ってるわけないじゃん(それはそう)。磯良さんというか潮干・潮満と龍宮の宝、それに阿知女作法でふと思い出したから持ってきたんですね。
阿知女作法かぁと思いながらぼんやり眺めていました。思い出しただけです。
この本たち、自発的に入手した経緯もよく覚えていないんですねこれが。研究か勉強だったと思いますが、ほんっとうに何だったか覚えていないから、どこに置いたか覚えていなくて、イベント終わってから探し回って結局この間しまったばかりだったと思い出した(頭悪そう)

それでね!ここからが本題なんだけどもね!
海幸彦さんいたじゃんー、ひびきちゃんといると調子狂うって自分で言っちゃったじゃーん……。ひびちかが本物の愛情の百合なのは分かっているんだよ、そこに、そこに海幸さんを入れ込むのは罪深い行為だよ、百合に挟まる男だよ、それだけで罪人なんだよ、それは分かってる、私も分かってるし、おそらく海幸さんも分かってる(分かってないと思う)。
あのシーボルトさんが聖杯を渡そうとした時に起き上がったのは「見損ないましたよ、海幸さん!」って思ったんですが、ていうか単純にこのタイミングで起きるなや、普通にカッコ悪いぞアンタ! と思っていたんですが、いやー……ただのいい人じゃんか……。
弟さんのことも特になんとも思ってないけども、とりあえず呪いは邪魔だから解きたかっただけだっていう……ちゃんと謝ってくれる……だけどもひびきちゃん……そんなん心配になるよな……それに対して最後まで優しい顔して「調子が狂う」とか言っちゃう男かぁ……スキ!! ひびきちゃんを見守っていて欲しい、半径3メートルくらいの微妙過ぎる距離で。そういうのを望みたい……。

「1Q84 BOOK3」まで通読 感想

改めて読んでもこの本は本当に面白くて、没入出来て、一気に読むことは出来なくなってしまったけれど、とても夢中になって読んでいた。
それくらい楽しかったけれど、後に残るのはどうやったって痛みだけで、book3のラストまで読んでも何一つの充足感ももたらさない。ここまでの痛みを伴う話しか書かない、書けない村上春樹という作者は本当に凄いと思う。

技術論的なものは私には書けないし、中身の考察は成され切っているだろうから、個人的なこと。
私がこの本で最初から最後まで一番引っ掛かって、一番怖かったし、一番の原因だと思っているのは、どうやっても「ふかえり」だった。
ふかえりは何もしない。だけれど、この一連の「1Q84年」で起こったことの全ての原因は彼女だと思うし、全てが彼女から始まっていると思う。始まっているのはそうなんだろう、空気さなぎのことからそうだろうし、リトル・ピープルの声を聴くものであり、ドウタを生み出すマザの大元なのだから。
だけれど物語後半から「声を聴くもの」を「さきがけ」は必要としだし、それは「リーダー」だったことになる。あくまで「ふかえり」ではない、と。リトル・ピープルが必要としたのはふかえりだったはずだった。リーダーというか、深田保、深田絵里子の父は、娘の特性を知り、その声を翻訳する役だったからリーダーになった筈だったのが、そのリーダーが死んだ途端、その間にあったこと、穏田の言うことを信じるなら様々な流れがあって、リーダーは「リトル・ピープル」の声を聴けなくなった≒翻訳できなくなったから、ふかえりは既にマザではなく、だから既に「さきがけ」は天吾とふかえりから興味を失い、新たに「声を聴くもの」を受胎した青豆を「確保」し、おそらくは「マザ」となった青豆をも確保することに専心していた。

でもこれ、本当だろうか? 絶対という言葉はあまり好きではないから絶対ではないが、だいぶ違うと思う。
まず、ふかえりは「猫の町から帰ってきた天吾は御祓いをしなければならない」から、という理由から天吾と性交渉を持ち、「私は妊娠しない」という自身の中にある意味で「つばさ」と同じ「ドウタ」のような性質を示すが、それは違っていた。実際にふかえりではないが、その結果として「ふかえりではなく青豆が天吾の子供を受胎した」。「その時にリーダーは死んだ」。
恐らくふかえりはその結果を知っており、自身という「マザの大元」であり、つまるところは神の巫女、リトル・ピープルの巫女である存在として「マリアの処女懐胎と同じものを青豆に授けた」。「処女懐胎の父親は天吾である」。「二人は1984年に帰った」。「少なくともそこは1Q84年ではない」。「そこで『ちいさなもの』は慈しまれ、生まれるのだろう」。

私はこれに恐怖を覚える。

なぜか。ふかえりはほとんどすべてのことを見通しており、リトル・ピープルの善悪を示さず、それを良いとも悪いとも言わなかった。悪ではないし善ではない。それを以てだろう、父であり、教団さきがけのリーダーである深田保は、やはり「善悪の定義以前から我々と共にあるもの、存在しているもの」とリトル・ピープルを定義した。
そうしてふかえりは牛河のことを見通しており、知っていながらカメラに目を向け、「私たちは見られている」と天吾に警告したが、その時に既に牛河の最期を予見していた。最期を予見していなくとも、少なくとも彼女は牛河を見て、牛河に視線を送った。彼を知覚していた。でなければ「憐れむような視線」を彼にするだろうか? それは純粋な憐憫だったと見ることもできる。侮蔑でなく、無関心でなく、憎悪でなく、愛情でなく、憐憫。牛河という存在そのものに対する憐憫。そうであればそれは余計に性質が悪い。自分自身を肯定しえないものに対する憐憫。それは上位存在に与えられた特権だろうし、それを無意識的にせよ、意識的にせよ行うふかえりという少女は、まさに「マザ」、神の巫女であり、リトル・ピープルの同胞であり、ギリヤーク人の考えるところの森の人であると思う。
だからこそ、天吾との性交渉は彼女の意思であるとしか思えず、もっとさかのぼれば空気さなぎを天吾に書き直すことを『許した』ことも、青豆の存在を知覚していたことも、『空気さなぎ』の出版によって父、というよりは自身が巫女として仕える神の声を伝える者が死ぬことも、『青豆が新たなマザで巫女になり、その存在を生むこと』も、『天吾がそれを造りだし、その巫女の新たな神になることも』すべて織り込み済み、というよりは、既に神と巫女である自分の声を伝える者がそろそろ役に立たなくなるから、新たな代役を立てねばらならないことを考えたうえで、『空気さなぎ』を戎野先生の娘に語り、ずっとその機をうかがっていたから彼女はリトル・ピープル、及びその神に許されていたのだろうとさえ思う。

私にはこの1Q84という物語が「ふかえり」が自身の父、自身の巫女としての神の声を伝える者の限界を察知して、新たな伝道者を造りだすための物語に見えた。それは20年前に「天吾」と「青豆」が出会った時から巧妙に仕掛けられた罠であるように感じた。その時から周到に、二人を出会わせて、二人をアダムとイヴ以上に、ナザレのイエスと聖母マリア以上に、天吾を神とし、青豆を処女懐胎させ、新たな「神と世界を作り直す」のがふかえりの物語であり、それは「月が二つある世界を書き出した小説」で以て天吾に引き継がれ、「処女受胎し、天吾との子供を妊娠した」青豆によって引き継がれて、月が二つある1Q84年から月が一つの(今のところ)現実の1984年を侵食し始める。

二人は世界から抜け出したように見えて、ふかえりとその父によって新たな世界に送り出され、新たな世界を侵食し、新世界の神になるだけだと思う。

もっと言うならば二人の親がNHK集金人や証人会、さらに牛河の系譜、田丸の系譜、戎野と深田の学生闘争、その更に以前、そんな近代のことではなく、深田保が言うように、「善悪の定義以前から我々と共にあるもの、存在しているもの」、太古から文明とかそういう以前に人間の存在が自我を持った時点で「宗教」という存在証明を求めてしまった時点まで遡ることが出来る罠かもしれない、とさえ言えるほどに。それほどまでに深く、二人は「いずれ世界を支配し、侵食し、深田絵里子という巫女と、その声を聴く彼女の父が作り出した神の世界を広げる者になるだろう」。

私には「1Q84」はそういう物語に見えました。村上春樹の書く小説にしてはずいぶん趣が違うな、と。Book2までならまだそこから「死」とか「苦しみ」という形で逃げ切ることも出来た中で、Book3まで描ききることで、結果的にその物語が収束した場所はそういうシステマチックな部分だったのではないかなあと思うと同時に、このような物語を書く村上春樹というのはどういうことだったのだろう、という稚拙な考察を置いておきます。考察といっても私の脳の許す範囲&ネタバレというよりは他の様々な意見を入れたくないので、あくまでも私の感想です。後でウィキペディア先生と新聞の過去の書評欄くらいは読みたいですね。

村上春樹は繰り返し「システム抜きの世界」「神抜きの世界」「父抜きの世界」という「父権制イデオロギーの否定」というものを長らく題材にしてきたように思います。スピーチ「卵と壁」は有名になりましたが、あれは「システムというのは遠大なものだし、その中でどう振舞うか」というような話でした。でも「1Q84」を読むとそれは少し違う視点で見るしかないようなものに思えます。
「私は哲学者ではない。私は理性もシステムも十分には信じていない。私が知りたいのはどう振舞うべきかだ。より厳密に言えば、神も理性も信じないでなお、どのように振る舞い得るかを知りたい」(1965年 アルベール・カミュのインタビューの一部抄訳)
Book2まで読んだ時に、掻い摘んで読んだ書評にカミュのこれを引いているものがあったと書きました。「卵と壁」時点で、村上春樹はまさにこのカミュの「理性もシステムも神も信じていない状態で、どのように振る舞い得るか」というものを目指して、その一つの答えが「卵の側に立つ」ということだったのだろうと思います。それはその時までに書かれた作品に共通していたテーマでしたし、何よりこの作品でもBook2のラストに青豆が拳銃自殺しようとし、実際にその時点ではBook2のラストを読む限りでは脳天を貫いて終わったように読める、その時点では実行されたことでした。青豆は「卵の側」の存在として「システムという壁」にぶつけられ、もしくはぶつかり、無惨に文字通り破裂する。卵という存在はシステムという壁の前ではこれほどまでに無力であるが、青豆は確かに「システムの側のリーダーを殺害し、またそれによって天吾を救出した。そうしてシステムのほころびを衝いた」という点において、物語の執筆者としての村上さんは「卵の側」に立っていた。それはカミュが言うように「どのように振舞い得るか」という答えを示したということです。青豆は最後に誓いの言葉を叫ぶ。それは空言でした。だからこそ、「何も信じないままに、それでも世界の中でどう生きるか」という課題を克服した、はずだった。だけれど物語はそこで終わらなかった。

終わらせることが出来なかった、と私には思える。終わらせることが許されなかった。

ここからは推測です。実際に村上春樹さんが考えていることや、この本を書くにあたってのことは知りません。一読者でしかなく、上に書いた通り、これから当時のインタビューや書評を図書館などで仕入れたいと思っています。また、Wikipediaやwebで分かるところまでは調べたいですが、今はまだ自分で出来る範囲でアウトプットしたいので何も調べていないので、間違っているところは気にしないでね。

この本に出てくるいくつかの問題点を整理するにあたって、この物語を書くにあたって、村上春樹は「システム抜きの世界」「理性」「救済」「信仰」「殺人」「戦争」「神」「男女」というあたりのことについて、ある意味で「それは無理だ」という結論に達したのではないでしょうか。確か1Q84は日本では爆発的に売れましたが、海外の評価は話が回りくどいとかでいまいちだったと記憶しています。それはそうだろうと最後まで読んで改めて感じました。それはそうだ。この回りくどく繰り返される言葉の端々にある「申し訳ないけれども」死んでもらう、戦ってもらう、神になってもらう、助けてもらう、書いてもらう、住ませてもらう、生きてもらう、あらゆる「申し訳ないけれども」という修辞が、なんというかこれ、日本人にしか響かないから。日本人というか、なんだろう、ごく狭い地域にしか響かない気がしましたが、それでも書かずにはいられなかったのだろうなあ、と。それは世界性をもった文学ではないというか、もっと単純に村上春樹自身が書きたかっただけな気がします。

で、ここからは更に推測。歴史的事実や、村上春樹の今まで取材してきた事象(事件)や、『物語の中の』歴史的背景を含めて考察していますが、あくまでも「1Q84を書くにあたって、こんなことがあったのではないかな」という考察です。
そこには私の歴史認識も関係ないですし、更に言えば、実際の歴史も、この本で語られることも関係なく、むしろ「1Q84年」「月が二つある世界」という特異な場所と現実、非現実のファンタジーを書くにあたって起こったことへの考察です。
あんまり気にしないでね☆彡

1、1984年という60年代安保闘争と70年代安保闘争の記憶
2、新興宗教(オウムもそうだがエホバやそれに類する「終末論」を含むもの)
3、神とシステムと父と天上の方

このあたりかなあ。加えて「アンダーグラウンド」でも村上春樹は「オウム真理教」を扱っていますが、それよりも更に深化していったのがこの本だったような気がする。その宗教に対して、というよりはもっと表層的な部分になっているように思えますけども。村上春樹のオウムのテロルに対する取材の話は有名ですし、この本にも関わるのでしょうが、オウムの話はいろいろ面倒なのでしません。すみません。

1、安保闘争
前にも十二国記の感想で書きましたが、私は本当に世代ではないので、学生安保闘争については記録や書籍、或いは人から聞いたことがある、というくらいでしか知りません、本当に70年代安保の時に20歳で東大生の人が単純計算で今70代ということになりますからね。60年代安保とかもう訳分からんよ。調べて研究未満のことはしていますから少しは喋れる、程度と思ってね。ということですが、今回の「1Q84」にも深く関わるのではないかなあと思います。東大の安田講堂だの、総理官邸前一斉検挙だのがありましたが、それはこの本にも確かに出てきて、その学生闘争の指導的立場にあった生き残りが戎野先生であり、その友人である深田保であり、そうして片方は学者として生きていき、片方は山梨の山間部にコミューンを形成していく。歯車が狂ったのは深田の娘、絵里子、後の「ふかえり」が戎野のところに逃げてきた時だった。その結果として出版された『空気さなぎ』がコミューンの闇を暴いていき……とこの本の中心的な問題なのですが、安保闘争のことは本当に最初期に戎野先生から深田家のこと、さきがけとあけぼののことを語る時に僅かに語られるだけで、流されてしまいます。
ですが、これがこの本の主軸であるように思えるのです。なぜでしょうね。
思うに今の70~ギリ50代くらいの作家、文科系の作家にとって学生闘争は避けて通れない部分ではあるのではないかなあと思います。小野不由美、高橋源一郎、村上春樹、赤川次郎……枚挙にいとまがないですね。
脱線しますが、小野不由美の「十二国記 月の影 影の海」で語られる学生闘争に関係する部分は本当に数ページ、直接的な描写は数行、一ページに満たないと思います。「壁落人」は学生闘争のさなかに異世界に紛れ込んで、そこで生きている。終わり。
だけれども、その描き方はあまりにも冷たい。「帰りたいと思わなかったのか」という問いに「新天地に来られたことが嬉しかった、時代に倦んでいた」と壁は答える。それはまさしく学生闘争のぐちゃぐちゃな感情だと思います。そうして「せめて門まで日本の話をしましょうか?」という問いに「必要ありません。そこは私が革命に失敗して逃げてきた国です」という一言のあとには何の説明もなく、次の章が始まり壁の出番はその後一切ない。
東大の安田講堂、革命に失敗、時代に倦んでいた、この辺りの断片的な情報から壁は学生闘争に参加し、そのさなかに十二国のある異世界に紛れ込んで定住した、と予測は出来ますが、小野不由美の筆致はそこだけが切り取られたようにあまりにも冷たいと感じます。責めるでもなく、称賛するでもなく、ただ冷たい。
ただ、陽子という異世界の国の王になるべくして連れてこられた少女にとって、新たな国を作ること、国を治める王になること、国を捨てて帰るのか、帰らないのか。剣を持って戦うのか、戦わないのか、というものを突き付ける時に壁落人という、安保闘争、革命、国から「逃げて」その異世界の国に流れ着いた存在を小野不由美は書かずにはいられなかったのだろうなあと思います。ライトノベルという括りのファンタジー作品であえて書くこともなかったのかもしれないのに。
1Q84の中でも語られた学生闘争に話を戻せば、というか、小野不由美の描いたこれが全てで、この考え方が全ての根底にあるのだろう、と思わせるようなものが「1Q84」の根底にもある気がしました。
「学生たちや、先導し、先導した指導者たちは時代に倦んでいた」が「その革命は失敗した」し、「多くの者は責任を取らず逃げ出した」。そうして「その革命というのがなんであったのか、今になっても誰にも説明できない」という。
学生闘争は日本の中の東大とかそういう上澄みとまでは言わないですけどもインテリジェンス層の学生やら研究者やらそういった人たちが主導しての、派閥もいくつかありましたがざっくり言えばマルクシズムでした。共産主義。でもあの状況でアカになる意味はないし、その後の展望なんてどこにもなかった、と思う。
何度か書いているけどもね、マルクシズム、コミュニズムが機能しえたのはそれを提唱したマルクスやエンゲルスが「ブルジョア階級」だったからです。彼らは決して「プロレタリア」ではなかった。そうだというのに「プロレタリアを解放せよ」と言った。そうして近代日本や現代日本ではコミュニズムを共産主義、と訳したし、それを赤と全世界的に呼ぶし、極右(時代によってもしくは極左、これ本当に極端でよく分からない部分はありますね)と呼ばれる政治思想になりましたが、正式な訳語は本来的に「共同体主義」とか「共有主義」というもののように感じます。私はそこまでドイツ語に通じている訳ではありませんが、少なくともコミュニズムと言われて「共産主義」とか大戦時のドイツやらイタリアやら日本やらの帝国主義やナチズム、現代の中国の「共産主義」に通じるところを感じるものは一切ありません。「共同体主義」とか「共有主義」と訳すべきだと思うし、一般的な「コミューン」とか「コモン」から派生した言葉であればそうであるはずだったと思います。だって単純にキリスト教系の教会とかの前にある「住民の共有地」のことを「コモン」と呼ぶわけですからね。私有地じゃなくてそこは共有地ですよーっていうところを「コモン」とか「コミューン」と呼び、それは主義とか主張とか政治思想以前に、もっと単純明快に住民単位の共有地、村の公民館みたいなもんです。公民館っていうと管理者が市区町村になるから更に違ってきて、村とかそういうんで共同で管理するなんかそういう共有の場所です。空地みたいな、村の祭するとこみたいな。それが共産主義になるかい、訳したやつは馬鹿なんじゃないかと思います、別段、マルクスにもエンゲルスにも思想的に共鳴するものは一切ありませんが、訳語としては言語的な意味で馬鹿なんじゃないかと思います(馬鹿はひさめさんだよ)。

で、世界史の授業とかにもあった気がしますが、「囲い込み」が始まって「共有地(コモン)」から追い出された人々がプロレタリア(労働階級、小作人)となり、それを富裕層であるブルジョアが使役するのは間違っている、とマルクスやエンゲルスはぶち上げて、「本来この共有地、及び共有地から得られる財産は彼らプロレタリアのものであるから、プロレタリア、労働者を解放せよ」ということになったわけです。ざっくり。歴史的な背景は抜きにすると、ですが。
これがプロレタリアから発せられたものだったとしたら「私たちの居場所を返せ」という返還要求を呑む者は誰もいなかったでしょうが、実際に奪った側のマルクス達が「彼らに返さなければならない」と言い出したらそれは聞かなきゃならないことだった。だって実際やったことだから、そこには理性やら罪悪感やら、真っ当な感性があれば何となくでもそういう気分になるから。
マルクスの社会主義が大きく受け入れられたのはそういう点が大きかったと思います。あくまでもマルクスは奪う側だった。
ですが、そういうマルクス主義やコミュニズムは第二次世界大戦を境に、というよりは「共産主義の悪用」によって大きく衰退します。衰退という言い方が適切かは知りませんが、少なくとも資本主義経済は立てなおされ、グローバリズムが進み、社会主義的、共産主義的観念は悪とされました。その可否はよく知りませんというか、今現在、私は資本主義経済に生きていて、社会主義経済には生きていません。アンチグローバリズムがどうとか、資本主義の限界とか、いろいろありますが、『今現在』という修辞をつける限り、資本主義じゃないでしょうか。マルクスは資本主義を終わらせて社会主義に移行することを説き、それが受け容れられましたが、それは二度の大戦によって倫理的にも論理的にも瓦解した。
にもかかわらず、日本で60年代と70年代に起こった学生闘争の支柱はマルクス主義でした。
この歪みの恐ろしさというか、特に70年代闘争の方の大学生は大戦を知らない年代です。敗戦後に生まれて、敗戦は知っているが、戦争は知らない世代。そういう世代になぜかマルクスが合致し、そうして流血と死者を伴う闘争は起こった。それは一方的な暴力ではなく、当時の方から聞いただけの話ですが過激派の身内が過激派の身内を殺すことも珍しくはなかったとか。思想が合わない、それだけの理由だったそうです。
部外者だから言いますけども、上に書いた通り、彼らにマルクス主義が扱えるはずがなかったと思います。その頃の学生は「敗戦によって奪われた側」であって「敗戦によって失われた国土や政治的空白を私たちに返せ」と言っているのであって、その後のプランがあったとは思えないからです。それはマルクスの考えた出来合いの社会制度や主義主張ではなく、自分たちで考えた社会制度を持って来なければならない部分だったのだろうと思います。
小野不由美が「十二国記」で指摘していた通りに「そこは私が革命に失敗して逃げてきた国」です。壁落人に革命を成すことは出来なかった。なぜなら彼らは奪われた側ではあっても持っていた側ではないから。ならばもっと違う、マルクス社会主義ではない社会制度を以てではなくては革命は成せなかった。だから流血があった。それに気づかなかったから壁落人は「全く社会制度の違う異国」である「十二国」で暮らすことが出来たし、帰ることを望まない、と。だから同時に、異国に流されて王になることを強要されたように見える陽子は、王になるべくしての冒険譚と成長物語でありながら「日本」と「十二国」の社会制度の違い、思想の違い、宗教の違いを丹念に書いていくし、それはある意味で延王尚隆が言う通り「破綻のない理想的過ぎる社会制度」です。もしかしたら小野不由美の考える「理想的な社会制度」なのかもしれませんが、これは赤川次郎氏の指摘ですが「十二国で上手くいっている国は少ししかなく、どこも内乱かなんかで荒れている」のが現状だから、人が考えた大体の制度は結局破綻すると小野不由美さんは考えているのかもしれません。
1Q84も結局は同じだと思います。違うのは、その革命に失敗した後に戎野にも深田にも逃げ場は日本という国以外になかった。だから戎野は穏当に学者になったが、深田は「全く違う社会制度を打ち立てた」。その社会制度は「ふかえり」という巫女の誕生によって完成します。その巫女「ふかえり」の誕生は、社会制度であり「社会システム」を構築し、破壊し、そうして再構築してあらゆる世界に波及し蔓延させていくとても制度の高いシステム構造だと思います。

疲れたからここまで。

謝罪

X(旧Twitter)の件の謝罪

昨日、唐突にXのアカウント運用を完全に終了し、また、こちらの日記で様々と言い訳というよりは放言めいたことを書いていましたが、それ以前に謝罪がなく、大変申し訳ありませんでした。

何のご連絡もなく、また、鍵アカウントの運用にも関わらずサイトへの移行告知等もなく、アカウントの削除を行いましたこと、改めてお詫び申し上げます。
本件は情報流出等とは一切関係がなく、また、大きなトラブルもなく、私個人の精神的な問題です。それにつきましては各種記事をご参照ください。ほとんどの保護されている記事のパスワードは「yes」となっています。

また、本件においてご迷惑をおかけした方、ご心配をおかけした方、御不快な思いを抱かれた方、通販等の取引の件等、各方面に改めましてお詫び申し上げます。
現在頂いているメール等には順次お返事して参ります。ご面倒をお掛けしている中で、気にかけて頂きましてありがとうございます。

本件につきまして、何かご意見・ご感想等、ご連絡やご叱責等ございましたら、こちらの日記のコメントやメッセージフォームからご連絡ください。
それ以外のフォームは下記になります。

https://fuga777.sakura.ne.jp/mail.html
サイト付属のメールフォームになります。

お返事できる範囲でお返事はいたします。直接のお返事等が必要な場合はリターンアドレスをご記入ください。

ご迷惑をお掛けしております。
心身やデータの整理をしっかり行い、サイトや新しい小説の更新等をなるべく早く行えるように、努力いたします。

緋雨

普通の日記(鎌倉のお菓子)

鎌倉って神奈川でいいんだよね(the田舎者)、神奈川の檀家さんが丁度こちらに帰ってきたからと寄ってくださって、もともとお世話になっている方だったのもあってお話ししたりとか、と思っていたら鎌倉の半月もらったんです。あの有名なお菓子。
「えええ、くれるんですか、箱に入ってますけども」
「そのために買ってきたんだけどもいらない? 美味しいよ」
「いります」(即答)
という流れでお土産に半月もらった。すげーでかい箱で、三種類入ってて選び放題! とか思いながらお茶の時間にちょっとずつ食べているんですが、たまに一枚とか食べることはあってもこんなにたくさんもらったのは初めてかもしれん、と思いながらサクサク食べていたら、ここまではいいんですが、説明書があったのですよ。

あの半月のパッケージに描かれているウサギさんの設定だったんですがね……あ、あまりにも悲惨で、可哀想で……もしよろしければ検索して調べてみてほしいです……お使いうさぎ、といううさぎさんたちらしいのですが、な、なんというブラック労働環境……。
というかね、共感しすぎて泣き過ぎて目が赤くなっちゃうから隠れるために半月もらったって書いてあって……そんなに共感性が高くて優しいうさぎさんはそういう仕事をしちゃいけないしさせちゃいけないよぉぉぉ!
と叫びながらピーナッツ味をうめぇうめぇと食っていた。美味しかったです。

永斎の話

なんかよく分からない話をしてしまったので永斎の話。

斎藤君さ、あれじゃんって思っていたんですが書く機会がなかったんですが、そのうち書きたいなって思っているネタです。訳分からない話してしまったからネタ置いときますね。

はじめちゃんさ、あれじゃん。沖田さんと土方さんと山南さんの時は何となくだけどもこう、「ヤレヤレ」みたいなお兄さんポジションを撮ろうとしている感じがあったじゃん。土方さんとの別れの件もそうだけども、いや、あれも十分クソガキなんですけども。そうして山南さんのことも明里姐さんのことでからかうし、沖田ちゃんには「笑うようになった」みたいなこと言っちゃうし。

その斎藤一が唐突にクソガキになり下がった相手永倉新八、永倉新八だけは別、嫌い! って書いてあったけども、嫌いになる要素がどこにもない永倉さんに対して、しかも今までの新選組キャラで初めて「新八」と名前呼びで、そのくせ永倉さんからは無情にも「斎藤」と言われてるのほんっっっっっとうにさ。
あの感じいつも思うけども、クソワガママだし、クソガキだし、何なら「僕の言うこと聞けよ! 新八はそれが当然!」くらいに思っている節のあるウサギさんですが、思うに甘え方が分からないんじゃないですかね(※永斎の話をしています。ナチュラルに付き合っているのはいつも通りだよ)。

構ってほしいし、我儘放題だし、もっともっとって思ってるけども、だけどその先ってなるとやり方が分からなくて、甘え方が分からなくてじたばたしているんだけども、永倉さんから「素直じゃねえなあ」ってずっと思っている永倉さん。
それはそれで自分も素直じゃないけども、輪をかけて素直じゃないと思っているやつ。
でもその実態はやり方が分からない、甘え方が分からないけど甘えたいだけである、と分かってしまったらそんなん永倉さんべたべたに甘やかすわ。

コンヨハの新刊について

前にSNSで話していたFGOのコンスタンティノス×ヨハンナの本ですが、入稿してから何かあれば連絡しますとあったんですが本来の締切りを過ぎたし、製作中とステータスが変わっていたのでファイルに問題がなかったと判断して(利用したことはあるので普通に大丈夫な印刷所様です)、お知らせだけ載せておきますね。配布に関してはご希望の締切りを取らせていただいたためご了承ください。

完成予定の本

タイトル 『Noli me tangere』
サイズ  文庫サイズ
ページ数 本文72ページ(目次、奥付等含)
作者   緋雨
サークル名「fuga.」
内容
短編再録16話+新録1話(収録順に規則性はありません)
新録「夜」(2023/1/4)

表紙と裏表紙はこんな感じですね。これにクリアPP加工と前後に遊び紙が付く感じです。遊び紙は実際に紙を見ていないため表紙にぴったりとは言えないかもしれないのですが、少し厚みが欲しかったのと遊び紙についても試したいことがあったため採用しました。
お手に取っていただく方には遊び紙の件まではお伝えしていなかったのですが、本文の邪魔になるようなことはありませんのでご了承いただければ幸いです。
ご質問等ございましたらお気軽にお問い合わせください。

なんで急にこんなことを?と言いますと、ちょっと今年3,4冊まとめて本を作る可能性が出てきたのですが、表紙、遊び紙、PP加工等のオプションを含めて、どのくらいまで経費や時間を削減できるか検討する必要が出てきたのでした。だいたい私が貧弱なせいなんですけども、経費にしろ時間にしろ、掛かりすぎると本を作る本人の私が倒れることが多々あったため、1冊で我慢しようかなあと思っていたり、3冊まとめて作りたいなあと思っていたりといろいろ考えていまして、とりあえず、自分で出来る範囲でどこまで出来るか試したかったというのが大きなところです。
冊数とかもそうなんですけども、いろいろやってみたいことが多かった、と言いますか。そういう訳で完全受注の冊数で刷らせていただいています。

ここからただの日記風味なんですが、今回の入稿でいろいろな印刷所様を見て回ったのですよ、普段は一ヶ所にお願いしていたのですが。けっこうどこも表紙の紙や加工、遊び紙が充実していて面白いなあと思いながら見ていました。面白いくらいこう、いろんな加工がね。ただシーズンとかによってだいぶというかかなり価格や締切りが違っていて、難しいもんだなあと思っておりました。
実を言うと、そうは言っても私は一切イラストが描けないので、表紙が一番悩むところで、経費とか締め切りはどうでもいいから表紙を何とかしてくださる印刷所様!というのが一番大きいのですが、今回は以前お世話になったことのある印刷所様で自分で用意した表紙でどのくらいちゃんと刷り上がるのか検討したいというのも大きくありました。……馬鹿かな。

そんな感じで珍しくファイルの作成などを真面目にやっていました。
上手くいくといいねと思いつつ色味が変わりそうな気はしています。上手くいくといいね。タイトルについてはそのうち詳しく書くかもしれませんが聖書からの引用です。

そんな感じで何かあればブログコメントでもSNSでもサイトでもご連絡いただいて大丈夫ですが、最初に書いた通り、発行部数については既に締め切っているためご了承ください。

本当に上手くいくといいね。

 

明けました

先程Twitterから引越し準備をしている日記を上げたのですが、改めまして明けました。先程も書きましたが喪中のため新年のご挨拶は控えさせていただくということで昨日ではなく今日日記など書いております。

改めまして、昨年は「fuga.」に来ていただいたり、コメントや拍手をたくさんいただきましてありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年はどちらかというとオフ本やwebイベント参加が多かったかなあとブログを見返して思っているところです。オフ本、道満の本で最後にするつもりだったのですが、今年も何だかんだと作ることになりそうというか石田三成の本作ってしまったしねぇ…などと思いつつ今年の抱負というか予定など書いていきますね。

とりあえず、全体としては死なない程度に頑張るという毎年言っていることを実践したいところです。原因不明の様々な病気抱えすぎて突然倒れたり、突然高熱を出したりが当たり前みたいになっているのですが、その辺解明したいですねぇ(やる気なさそう)。薬を飲んで解決するものでもないからどうしようもないとはっきり主治医から言われて泣きたくなったのですが、まあそんなことも言っていられないので……

サイトとしては、このサイト稼働して12年か13年くらいたつので流石に改装したいですね…これも毎年言っている気がしますが、疑似フレームサイトなんですがなんかもっと管理しやすいサイトに出来ないものかなあと思っています。HTML書くのはいいんだけど…みたいな感じなのでまあこちらものんびり改装していきたいと思います。
改装に当たって、ピスメをジャンルに追加したいなぁとか、追加したジャンルが反映されていないページがあるなぁとか気づいているけど作業に至っていない部分もあるため、そのあたりはしっかりやっていきたいと思います。

サイトもう一個としては、Twitterをやっていたのですが、いろいろあったこと抜きにしてもサイトの方に戻ろうかなあと思っています。一つ前の記事で詳しく書いているのですが、まあその辺の事情を加味しなくとも、Twitterの速度についていけない感じがすごいのもあり、サイトに戻ろうかなと。Twitterについてはイベントや何か必要な時だけ利用する感じになる予定です。
サイトの方をたくさん動かせる年にしたいですね。

次にサイト外の活動については、今月コンヨハの本を試しに刷ってみる予定です。これについては昨年Twitterの方ですが(コンヨハはツイッターでしか書いていなかったため)試し刷りですが欲しい方がいらっしゃればということで何人かの方にお渡しする予定でおります。上手くいけば、というぐだぐだな感じなんですが、ちょっと試したいことがありましてその確認作業と、コンヨハを文庫サイズでまとめたいなぁという個人的な願望をまとめただけなんですけどもね。
それから夏にピスメのwebオンリー「誠にPEACE」の三回目が夏に開催される予定ということで、昨年も参加させていただきましたが、今年も参加できればなあと思っています。主催のお二人には本当に毎年感謝しかありません。
そこでは例年通り辰ススと近土を出す予定なのですが、本にしようと思っているけれども致命的な遅筆のためどうなるかは分かりません。今のところ辰ススの短編集は出来上がっているのでそれは発行できればいいなあと思います。その辺もどうするかなあというのも含めて上記のコンヨハの試し刷りもしようと思っているため、上手くいけば、くらいに考えていていただけると助かります。
一応
辰スス
「夜行抄」(転生パロ長編)、「沙汰止み」(短編集)
近土
「誰かの顔」(転生パロ長編)
の三冊出せればいいなあと思ってプロットは切ったんですがどうなるか分からないです。「沙汰止み」については出来ているのであとは推敲して確認して入稿するだけくらいまで来ているので一冊は出せると思います。基本的に遅筆で飽き性なので一冊だけになる可能性もありますがとりあえず一冊は出せることになったのでイベント参加しようかなあと。そんなふわっとした感覚ですがよろしくお願いします。

あともう一個サイト外で。改装しようと思ってサイト内を見ていたのですが、いい加減量が凄いことになっているものばかりで、私の技術力が追い付けば一冊二冊くらいずつ本にしておこうかなあと思っています。柔蝮とかやべぇもん、数が。
それについてですが、これを本にしてとかこれが欲しいとかあればご連絡ください。その辺も含めて考えます。

あと何かあったかなあと思いましたが特に思いつかないので今年はこのあたりで。
と思ったけどやっぱ周年記念とかいろいろやってないことが多すぎたので、何年か分怠けた分をまとめてサイトの更新を出来ればいいなあと思っています。本当にぐだぐだで申し訳ありません。

とにもかくにも、今年も皆様にとって良い一年となりますよう祈念しております。
思い出した時にこちらのサイトにも遊びに来ていただけるととても嬉しいです。
それでは、今年もよろしくお願いいたします。

新年と引越しの予定について

新年ですね。喪中のため新年のご挨拶は控えさせていただきますが、今年もよろしくお願いいたします。

昨年はサイトの方があまり動きがなく、webオンリーのまとめくらいでしか更新もなかったのですが、今年は頑張りたいなと思っています。時間あるか微妙なんですが、サイトの方に顔を出せるように頑張りますのでよろしくお願いいたします。

そういったところからお知らせとというかご相談というか。

今年は1月3日の企画と年明けに計画していたコンヨハ本を発行くらいを境目にして、活動の軸足をサイトに戻そうかなあと思っています。

毎年言っている気もしないでもないのですが、元々あまりTwitterに詳しくないのと前のアカウントでいろいろあったことが重なり、アカウント自体の削除やツイートの削除を複数回行っているのですが、アカウントそのものは残してwebオンリーなどのイベント時には利用し、それ以外の二次創作についてはすべてサイトに戻そうかなあとぼんやり思っています。

一応、アカウント削除についてはここにリンクを置いておきますが随分前の話なのと楽しい話でもないので興味のある方はどうぞ。

保護中: ただいま戻りました


(閲覧パスワードは「yes」です)

これ以上言いたかないんだけどね

前のアカウントであったことについて、このサイトに来てくださっている方にはなんとなく伝わるかなあと思うのですが、わりとここの管理人、内容の如何によりますが根に持つタイプなのでまだ消化しきれていないのですよね。Twitter向いてないんじゃないかと本気で思うため、精神的ないろいろもありますし、時間的なものもありますので、まあサイトでのんびりやろうかなあというのが本音です。

夏にピスメのwebオンリー三回目が開催されるそうで、そこでまた本を出そうかなあと考えていまして、試し刷りとかいろいろ作業を始めていて、そこまではTwitterもと思ったのですが、そういう感じも違うかなあというか、イベントの最中だけTwitterあればいいかなあと思うのもあって、Twitterについては一旦離れようかなと思っています。

根本的に向いてないんだと思うよ、とぼちぼち思うため、そんな感じです。

以下にサイトで取り扱うことになるジャンルとカップリングを一覧にしておきますので、Twitterが止まった場合でも来て下さるという方がいらっしゃれば、Twitterから離れるまでの間はTwitterのDMも使えますし、このブログのコメントや拍手機能からでもご連絡いただければ(リターンアドレスは教えていただけると助かります)、サイトの方のURLやこちらのリターンアドレスなどお知らせいたします。また、ご質問等あればお気軽にどうぞ。

・FGO

斎藤一×沖田総司、土方歳三×沖田総司、土方と山南など新選組中心
武市×田中、高杉×阿国、石田三成などぐだぐだ関連中心
蘆屋道満×ぐだ子
コンスタンティノス×ヨハンナ

・PEACEMAKER鐵

近藤×土方
市村辰之助×山崎烝
ここについては夏にwebオンリー参加予定と本の発行予定があります。

辰ススと「真夏の夜のユメ」

「僕は孤独でウソつき いつもユメばかり見てる」
「君は気づいてないふり だけどそれでも抱き締めるんだ」
ここがあまりにも辰ススで、ずっとずっと好きです。

辰っちゃんが銃を作り始めて、油小路で鉄っちゃんが狙われて、辰之助がおかしくなったのも、原因も中身も分かっていて、ススムは「鉄之助に堂々と言ってやれ」と後押ししてくれるのがさ…異聞ラストの「ちと歪んどっても愛されてるのは幸せなこと」というのをススムは分かっているから…。
そして昨日ちょっと話して改めて思ったんですが、市村を守っているつもり、と銀之助君に土方さんが言いますし、鉄っちゃんも分かっているという死神ですが、死神覚醒の引き金はさ、鉄がってだけじゃなくて、弟のような親友の死だと思うのだけどどうですかね。

そこで「真夏の夜のユメ」なんですが、「孤独でウソつき」な辰之助に「気づいてない振り」して、「だけどそれでも抱き締める」烝と思うと完璧なの、変な声出る。
ススムに「もうええ」って辰之助を抱き締めてほしい…。
あのススムの最期さ、察したように鉄っちゃんと二人きりにして扉越しの別れになった二人に抱き合ってほしい。

この悲劇を知っているから、死神のことも何も言えないし、きっと殴ってでも止めてくれただろうススムは、「だけどそれでも抱き締めるんだ」と思う。
辛い。

今後の予定とピスメの感想

日記書くのすら久々で申し訳ありません。
取り扱いジャンルに「新撰組異聞PEACEMAKER」と「PEACEMAKER鐵」と「PEACEMAKER鐵 北上編」を追加したいと思ってこれを書いています。
まとまった時間がないとサイトの改装は出来ないのですが、昨年もちらっと書きましたが、ピスメのウェブオンリーに出席させていただいて。本当に大好きな作品で、サイト始めたころから書いている話がいっぱいありまして、昨年3冊本も出していて、日記の方にも書いていましたがその再録を今年はさせていただいたのでした。

一応、辰之助×烝と近藤×土方と辰・鉄・烝の三人の話が主になる予定です。
ここに書いた通り、BL中心のため、aboutの書き換えやらなんやらで少し時間がいるかなあというのと、大々的に改装するかなぁと思っているため、少し時間を頂くかもしれません。ピスメのサイトは「fuga.」開設当初からもう一個サイトを作る予定でいたのですが、そんなことをしているうちに北上編が始まったり、相方が忙しくなったり、北上編のおかげさまで心が死んだりしてサイトを作ることなく来たのですが、日月のイベントを機に、いっそのことこのサイトに合流させようかなあと思って作業しています。因みにいい機会だから書くとピスメの主に辰ススの薄暗かったりほの暗かったりする話を中心に出そうと思っていたサイトは「バロメッツの憂鬱」というサイト名の予定でした。バロメッツというのは自分の周りの草を食ってしまって身動きが取れなくなる羊のことですね(ざっくり)。憂鬱も何も自分で食ったんだろお前、っていうそれくらいどうしようもない話をいっぱい載せたいんです。ピスメはいつもそんな感じだから……

そんな感じで今までずっと控えていたというか、イベントに参加しつつも心が保てなくてどうしようもなくて書けてこなかったピスメの感想をいい機会だから一部分だけ書こうかなと思って、イベントも終わったし、一部分だけ書こうと思います。

1、ススムの最期

鳥羽伏見の戦いで水葬っていう史実があるから変えようがないんだけどさ、辰兄と鉄っちゃんと仲良くなってたからどうなるかなあ、耐えられるかなあと思っていたけれど、平助以上に耐えられなかった。平助の最期も本当に辛かったけれど、ススムの最期は、うん。なんて言えば良いのかなあ、なんでこんなにも。
脈を測るという医者としてのやり方で最期を教えたのが本当に、本当に誇らしくてさ。
アユ姉に言われたいっぱい教えてやることが出来たんだなって本当に思ったの。
最期の言葉通りっていうのも違うのかもしれないけれど、いっぱいいっぱい、理解は出来んが和解はしたるっていう辰兄だってさ……。
さっき書いた話にもちらっと書いたのですが、辰兄は甲板に出ていたけれど、たぶん分かっていたんだよなって思うと、鉄っちゃんとススムの親友としての二人もそうだけれど、それを見守って、時には喧嘩して、時にはススムに諭されて、救われた辰兄は、ススムがもう長くないって分かっていたから鉄と二人にしてくれたし、あの場にいたくなかったのだろうなと強く思います。
そうして、ススムが死ななければ、きっとススムは祇園祭のあの日の様に、辰之助の頬を思いっきりぶん殴ってでも『死神』なんて呼ばせなかったと思う。
ある意味でさ、鉄之助と烝の繋がりと、辰之助と烝の繋がりと、三人の繋がりの違いというかさ、なんでこんなにもこの三人はバラバラになってしまったんだろうなって。

2、斉藤さんの成長

6巻の油小路から繋がっているわけではありますが、斉藤さんの成長というか、これがね。初登場時は沖田さんと立ち合って緊張感から年下に蕎麦を奢らせるくらいには若かったし、先のことは語らないとはっきり言っていたし、「俺」だった斉藤さんがさ、サラさんを連れてくる、先生のしゃれこうべを両断する、ススムを止める(先のことを変えようとした瞬間だと思う)、「私」になる、やそさんに会う、という大きな動きがあってさ。全部、どれもこれもカッコいいんだけども、なんて言えばいいのかなあ……。死の年表が見えることから全部達観していたし諦観していた斉藤さんが「生きる」ということ、「生きている」ということを強く認識し始めて、そうして今の展開になったと思うとこの人の成長って絶対、絶対ピスメ一だろと思うくらいにはかっこいいのな。昔から大好きでしたが、今も大好きです。また会津行きてぇなぁ。

3、平助、近藤さん、サノ、沖田さんとか……
もう勘弁してくれ、いいだろ、許してくれ、だってこんなの耐えられない……土方さんじゃなくても病むだろこんなの……

 

以上な感じです。
もう本は出さないつもりだったのですが、ピスメの本が欲しい方はお声がけください。出来得る範囲で対応します。
そうしてもう出さないつもりだったのですが、来年もイベントがあるとすれば各1冊ずつくらい書きたい話はあるという。展示でもいいんだけどね☆
辰ススのほの暗い話をまとめたいのと、近土のどうしようもない話をまとめたいのがあります。辰スス書かせて……って今なってるのでサイトの方も改装したらその時はよろしくお願いします。

拍手やブログ拍手ありがとうございます。長らく不在にして申し訳ありませんでした。体調との兼ね合いもあり、今年中に改装できるか分かりませんが、改装作業に手を付けたいのと、12周年記念などもやりたいので、また戻ってきます。