永斎です。所有することについて。
カルデアですが、いつも通りというか前世にいろいろあって別れているけどもカルデアに来てみたらなんか永倉さんに限界まで追い詰められている斎藤君の話。い つ も の。
なんかこう、けっこう永倉さん視点で斎藤とのことを考えてみることが多かったので斎藤さんの側から二人の関係を考えるとどうなるのかなあと前から思っていて書いた話でした。斎藤さんってさ、沖田さんとも副長とも山南さんともそうなんだけども、ていうかマスターやマシュもそうなんだけども、誰かがいて、必要とされるから頑張れる感じあるよねって思っている。マスターちゃんやマシュちゃんには先輩ぶってるし、大人ぶってるけどもそれも含めて「必要とされる」という部分はこの人大きそうだなあって思うよって。あ、分からないアニメ良かったですね!何気なく喋っている謎丸はじめちゃんがマシュと仲良しで和むし、あの短時間で何とも言えぬ色気の山南さんさぁ……卑弥呼様の適当具合好き、壱与ちゃんの涙が好き。改めて思ったけど邪馬台国はゆかり帝国だからこれは滅びないわ(耐久パーティの要)。
それはそれとして、前からぼんやり考えていたのですが斎藤さんって「所有されること」に対して結構強いこだわりありそうだなあって思った話。邪馬台国の頃からキレるタイミング見ていると情緒が……というのと、それに対して真っ当すぎて狂ってるってはっきり言われた永倉さんとか……この組み合わせはヤバいですよ!!(ひさめさんそれずっと言ってるね、何か食べたの?)
「所有するというのは、その存在を傷つけないようにしながらその自立性を否定することである。所有とは被所有物を否定しつつ生き永らえさせる」(エマニュエル・レヴィナス『困難な自由』より)
ちょっと昔にそういうことを考えた哲学者がフランスにいたんですね(雑なまとめ)。フランス語が苦手なので訳が雑なのは気にしないでください。あと前後は全然違う話なので興味のある方は読んでください(丸投げ)。だいたいそんな感じ。
そんなに否定的な意味や支配的な意味ではなくて、なんていうのか、対等に向かい合った時に所有する側と所有される側になっただけ、みたいな二人だと思うと思った時になんとなくこれだなあと思いました。
支配というより所有なんだよなぁっていうこのニュアンスの違いを分かってほしい。所有されるタイプかつ所有されることに安穏としている斎藤が見たい(ろくろ)。
「Life is Like a Boat」
続きを読む 許容範囲を超えたら(FGO・永斎)