この頃夜中起きていることが多いんですよね、ふとした時に痛みで目が覚めるというのでそのまま面倒で起きているのですが日中寝不足になるから結局駄目なんだけども、と思いながら昨晩も起きていました。そろそろ薬変えないといけないかもしれない。
それで今絶賛花京院不足なので花京院が死ぬとこ読み返していたのですが(ひどすぎる)、漫画もアニメも画像映像がやはり脳の関係で持続時間が駄目なのと、死ぬとこ読み返し過ぎて泣き過ぎて駄目で、引っ張り出したコミックスのついでに出てきた古碁の棋譜を並べていました。
花京院成分足りな過ぎて読み返し過ぎたから文庫ボックスにまた手を出した……また(また……?)。電子書籍読めないんですごめんなさい、片頭痛と後頭葉の関係で読めないんです許してくださいって言いながら「ボックスいいよね」って東堂の奥の私室に並べていたら「うわぁ」みたいなこと言われた。「重複は書庫に置いてくださいよ……」って。たぶん承太郎が好きなんだと思われている。承太郎がカッコいいことは認めるが、まことに遺憾である。
昨日から今朝に掛けて並べていたのは黄龍士という中国清代の棋士の棋譜。
400年くらい前の棋士ですね。日本で三指に数えられる名人本因坊丈和がそれを「実力十三段」と評した大棋士です。マイケル・レドモンド九段の監修で邦訳されたものが解説付きで23局入っていたのを発売当時に買ってかなり並べたのですが、いろいろあって放置していたのでまた頭から読んで並べました。
それからまたいろいろあってここ3年ほど真面目に囲碁を放置していたのですが、改めて並べてみたらすごい対局ばかりだったので心から反省しました。感化されたので今日から囲碁自体をやり直すことにします。年末だしね。
クソどうでもいいですが、3年前?2年前だかに同人小説関連で愚痴ったことで死ぬ程子供じみた理由で囲碁から離れていたことを深く反省しました。分からん奴だな、と自分をぶん殴りたくなった。現実の囲碁と全く関係ない対外的な理由で自分の研鑽を止める、しかもそれが私如きの矜持だの誇りだのという囲碁というもの自体から見れば何の役にも立たないことだと思うと屑としか言いようがないなと感じました。
とかいう話はいいのですが、改めて確認。
中国の古碁のため
・座子制が採用されている
・「キリ賃」制度がある
・コミがない
・先手番と後手番の概念が違う
あたりが現代の囲碁と全く違うので並べる時にも考えながらも注意しましたが、やっぱりちょっと感覚的に難しいですね。一番は「キリ賃」のところ。現代のルールだと一切発生しないので石の繋げ方から変わってしまうため、現代なら打たないのでは?と思われる部分にも打つことがあるのですが、結果的に出来上がる棋譜は現代のものとほぼ変わらず、しかも完成度が高いので、この成立要件についてはもっとちゃんと研究したいなーと思います。
というか何回も確認しながら並べたけども馬鹿だからすぐ分からなくなる、馬鹿だから(大切なことだから二回言った)。
黄龍士は徐星友との指導というのとも違いますが「血涙編」の十番碁が好きですが、この本には載っていなかったのと私もあまり棋譜自体は記憶にはない(じゃあ好きってなんだよ)。
感想
・23局全ての対局ですが、基本的にヨセの失着がない。いや、当時のプロだから当たり前といえば当たり前なんですが、大ヨセでも小ヨセでも全く無駄がないのは凄いなと素直に思いました。ヨセまで来ると失着という言い方はしないのでしょうが、一目の損も出さずにヨセをこなすのは大変だと感じる局面があるのですが、互いにその時に一番的確な場所に打つため、盤面がどちらが勝っても負けても大変美しいです。解説に「小ヨセ。ここまで来ると盤面は動かない」という部分がありましたが、盤面が動かない状態でも一切手を抜かずに最後まで棋譜を完成させるヨセの手際に感動します。
・「双飛燕」等の当時流行していた布石が現代の布石に通じるものがあるのがやはり強い。名前や形は変わっていますが、江戸時代でも清代でも流行っていた布石が現代の布石の原型になっているのは流石に怖い。進歩していないというよりも、それを言い出したら平安時代から変わってないものもあるからね……2000年前から変わらない形のままで世界で殺し合ってるような棋士がいるのが囲碁だからと改めて実感しました。流行り廃りはあるものの、ある程度の形は整っているものだと思います。
また、黄龍士は丈和が評価した≒力業も使えるということもあると思うのですが(本因坊丈和はそういうタイプでもありました)、かなり激しい碁も打つことで有名ですが、私はそういうのが好きなので、戦略や策略よりも盤面全体を使った広い打ち方や、相手が間に打ってきた石よりも少し開いた場所に打ったり、ヒラキの範囲が開かったりした後に苛烈な手で攻めることが多い印象なので好みです。
総じて黄龍士も対戦相手も一手一手に緩みがないという印象でした。ただ、解説で指摘されるようにあと一歩踏み込んだ手を打った方が勝っただけ、という印象ばかりで良くこんなことしてて疲れないな、と思いました(馬鹿発見器的発言)。
黄龍士の打ち方は久々に見てもやっぱり全体的に盤面を全体的に使っている感じがあって広く強く攻めている感じがあって好きです。特に最後は負けてはいるんですが徐星友との一局、序盤の打ち方ですが、黄龍士が前述の双飛燕の布石を少し広く打った派生型にしているものに対して徐星友が利を取ろうとして詰めて打っているのものは私から見ても明らかに徐星友が損をしているのが分かって、実利よりも大局を取った効果がはっきり中盤に出たのが面白かったです。逆を言えば徐星友はそこで利を取らずに少し外して(あと二目くらい上げておけば良かったのかね)おけば、かなり余裕で勝てたかもしれんなー、とか考えるのも楽しかったです。キリ賃支払い込みで勝ちだったから。しかしそこも徐星友が弱い、甘いという訳ではなく、一切緩みなく打った、というだけなんですね。先を読まなかったのではなくその時点での完全な目数を読めていなければそこで利を取れませんから。
久々に楽しかったです。
というか真面目に「囲碁が楽しい」という感覚を見失っていたので自分が如何に馬鹿か覚りました。今日からまたちゃんとやろうと思います。
ということでここから私の日記帳
囲碁の修業について
私は別段プロ棋士になりたかった訳ではないですが、寺に生まれたのもあり、周りの僧侶の趣味が囲碁だったため、碁打ちが多かったのもあって触れる機会が多かったのですが、そういうことで何となく始めた結果、そのうちにいろいろあって師匠に当たる人に出会いました。これは何度か言ってるけども複数人いたけども結果的には完全な師匠は一人になるんだろうなと思います。その人が私を弟子と認めているとは思えませんが。
と言っても破天荒というか私以上に人格破綻している人だったんで何とも言えないけどもとか言うとぶん殴られそうだけども、「プロ棋士になるか医者になるか」で「医者の方が儲かるし生活が安定しそうだから」という理由でどっかの大学病院の医者やってます。頭おかしい。
ただその人と直接対局したことは実を言うとほとんどないんですよね。彼から見ると私が弱すぎたのもあって「君と打つのは面白くない」とはっきり言われていたのですが、それはたぶんただの方便だったなと分かります。
最初にルールというか、先手と後手の違い、盤の広さ、どうやって目数を数えるかの対局の基礎だけ教えた後は「これやって」と言ってその人が選んだ詰碁と布石と棋譜を投げてよこす人でした。分かんないですと言っても「いいから順番通りに並べて」としか言わないコイツ、クズ野郎じゃねえかと心の中で思っていましたが、言われた通りに詰碁解いて布石並べて、棋譜並べ終わるとまた同じ量くらい「じゃあ次これやって」と投げてよこすという。
そういうふうに延々とやっていたらなぜかとある大会で勝ってしまって、理由が分からず、検討の時に相手から詰められていたら「まあまあ使い物にはなるようになったね」と言われたとかいう、やっぱりクズ野郎じゃねえかあいつ。今思い出してもムカつくぞ。
結局間違った指導はしていなかったということには違いないのですが、私も剣道はやりますが勝ち負けがあるとして、相手がいないと勝敗については成立しないものの、そのものの鍛錬は自分でやるしかないし、相手を模倣し続けるのでは駄目ですが、師匠に同期し続けることが出来ないとそもそもどんな修業も鍛錬の意味がない部分はあるのですかねぇ、と未だに思います。
あとその人「ヒカルの碁」の佐為と本因坊秀策とヒカルについてすごくよく話していたのでそれも教訓にしていますね。
「秀策は実際の歴史上の棋譜なら道策や丈和に比べれば大したことない。でもあの漫画の中で佐為が憑いてたというのはすごく面白いと思う。その佐為の目的がよく分かるから。佐為が目指したのは神の一手だった。ヒカルにもそれをやらせようとしたし、佐為は結局自分には出来なかったそれをヒカルに見せられたからそれで終わりだった。棋士はプロだろうとアマだろうと誰でもいいけども、神の一手とか最高の一手のためだけに囲碁をやってる。それさえ見つかれば他はどうでもいい。少なくとも俺はどうでもいいからプロでもそうでなくてもどうでもいい。勝っても負けてもそれが見たいだけだ」
要約すると概ねこんなところ。
おそらくあの人そんなもん一生見つからないと分かっていても囲碁をやり続けるだろうし、見つからないと知っていても探し続ける人だけを棋士として認めるんだろうなあと思います。だからその「神の一手」の話を何度もしたんだろうし「その覚悟があるなら教えてやる」という意味なんだか、それとも私のような馬鹿でも分かるように話していたのか知りませんが、だいぶ試されていたのは分かります。
少なくともここ三年ほどの私は師匠から見ればそういう意味では棋士として認められないどころか碁石に触れることさえ許されないような存在だったと思うので、性根を入れ替えてまた一からやり直そうと思います。
というテンションだけで棋譜並べ終わったから深夜三時に頭抱えてる花京院のスタンプラインで送ったら即レスで「君の奇行にはついていけないからいい加減直して」と言われました。いや、あんたも起きてるじゃん(やめろ)。
追記
「いい加減にして」
という返信の後、マジギレしていたのかと思いましたがやっぱり深夜に起きていて暇だったそうでひでぇことばかり言われたのでこの頃にしては久々に笑いまくったので。
「これジョジョ?君劇画苦手って言ってたでしょ?BLEACHの話してたことしか覚えてないんだけど?」
「花京院ですけど」
「ああ、魂賭けられた人? 花京院の魂を賭けるの人? 夜ってか朝から俺のこと馬鹿にしてんの?」
「そうだけどそうじゃないです。あのシーンネタにすんなと言いたいです。花京院が死ぬとこ読んでたら一緒に出てきた古碁並べてて感動したので囲碁やり直そうと思って」
「え、このキャラ死ぬんだ? 魂賭けられて結局死んだの?」
「ツッコミどころそこなんだー……」
というような話をして「まあ頑張れば」といつも通りあっさり言われたと思っていたら深夜ではなくて真面目な朝の7時頃になんかリンク届いていてなにかなー、と思ったら
「調べた。なんか7日からグッズ売るらしいけど「いつ出発する? 私も同行しよう」もこの人なんだね。一人称ちがくね? こういうの買うの? 君一個ずつ集めそうな性格してるよね」
とアベイルで出るキーホルダーなどのグッズの宣伝のリンクくれたのはいいんですが、なんで花京院が宣伝ネタ要員になってんだよ、というのとなんでそんなこと爆速で調べてんだよ、あんたやっぱり暇なんだろ、と思いました。すみません、朝からずっと笑ってる。
ちなみに花京院の件は数年に一度の発作なのでグッズとかは全然知りませんでした、ありがとうございます。スタクルのイメージカラーのやつ一個ずつ買ってもいいなーと思いました。スマホとかバッグに付けておいてもなんかバレない感じがいいですね。
それはいいんですけども、もともと私が囲碁始めたのが最初に書いた通り山だったので死んだ祖父が最初だったそこから始まって最終的に師匠になったのがこの人なんで、かなり尊敬はしています。扱い適当に見えるけども。
というかこの方相変わらず応接がいちいち淡々としている割に、メールやラインの文字文章でもマジギレしてる時とか分かりやすいので寧ろ囲碁の件で悩んだ時にもっと早く相談しとけばよかったなと思いました。あとレロレロの時期にここぴょんしてた言ってたので、花京院のこと認識はしてただろとそのうち詰めてやりたいです。アニメほぼ同時期じゃねぇか!