どの辺りから書こうかと思っていたのですが、こっちを先に、と思ってオルフェとイングリットの話を少し。
ファウンデーションとブラックナイツの話はまた別にしたいと思います。
先にと思ったのが、最初に書いたのがキラとラクスだったので、というだけなんですが、今回「キラ」⇔「オルフェ」という図式というか、先程も書いた西川さんによる主題歌「FREEDOM」における「無償の愛がある」「砂のように零れ落ちる」の部分というあたりが、キラとオルフェの対比であり、キラとラクス、オルフェとラクスの対比だと思っていたのですが、実際にはそうではなくて、と思った話です。
今回の映画でラクスがアコードだったという設定が付属して、そうしてそういう意味でオルフェは「製作時から」ラクスと対になる、運命の相手だったということになったじゃないすか。ディスティニー、運命。
だからある意味でそこにあるのは「無償の愛」であって、オルフェにとって「ラクス・クラインと結ばれる」ということは決定事項であり、運命であり、同時に「無償」であり「理想」なんですよ。でもそれはやっぱりキラの時と同じことになりますが空想までは言わないけれど、かなりぼんやりしたものではあったと思う。
本来の意味で「無償の愛」はラクスが言う「必要だから愛しているのではなく愛しているから必要」の方で、だけれどそれはキラもオルフェも分かっていなかった、という。分かっていたとすればそれはイングリットなんだろうなあ、と思います。
それはキラが「平和をポンと」差し出したくて、ラクスに必要とされたくて、カッコいいと言われたくて、『「愛している」と言われたくて』という「必要だから愛してほしい」という感情と、オルフェが言う「アコードだから」「最初から決まっていて」「だから愛するのが当たり前で」という感情は本質的に同じものだと思います。それは「無償の愛」ではなくて「理想」で「空想」みたいなもんだなあ、と。
それに対してイングリットは「姫様は自分の幸福が分かっていない」と言いますが、それも結局は「無償の愛」という不確かで揺らぎしかない、本当にそこにあるのかどうかも分からないものよりも「運命」だとか「必要としている」という「はっきりと形にしてぽんと渡してもらえる愛」を受け取れるのは幸福なことだ、というものだったのかな、と。
裏を返せばイングリットにとっても「不安定な愛情」「アコードだから」といういつでも翻るような内容でオルフェと一緒にいることが怖かったんじゃないか、と。
だからこそキラが吹っ切れてラクスを取り返しに来た時に「歌えなくなって、目が見えなくなって、それでも愛していると言えるのか」と訊きますが、それは分かっていたからこそ、聞いてしまうんだろうな、と。
関係性や運命とか、要不要だとか、理想だとか現実だとかそういうことじゃなくて、もっと単純に「愛している」と言えるのが羨ましいし、いっそのこと怖いからこその「行って」だろうし、その直前のラクスの動き、凶器を持っているイングリットから逃げようとする、そこにキラがいるというだけでいい(「なんて危ないこと」とキラが言ったのは捕まっただけでなく、イングリットとのここも含んでいると思う)、というのを許容してしまった部分はあるだろうなあと思いました。
そうありたかった、同じように自分もオルフェを愛しているのに、というのがあの涙なのかな、と。
そこから最後まで飛ぶと、オルフェは「その愛を」寄越せと叫ぶ、つまりはキラとラクスの愛が資格も理想も運命すら必要ない、だってキラに「ラクスを追う資格があるのか」と『資格』を問うたのに、結局そうじゃない、愛が欲しいと叫んだオルフェに最後まで寄り添ったのはイングリットなんだよ。イングリットの愛が寄り添ったし、「もういいの」と「私は知っている、わかっている」というのは本当の意味で「無償の愛がある」からで、やっと伝えられたのだろう、と。
だからEDの「去り際のロマンティクス」の「あなたへ告白します」「私は告白します」「この世界に背中向けて」というのはキラとラクスであると同時に、最後の最後にイングリットがオルフェへの愛を告白できたようにも、オルフェとイングリットの救いのようにも聴こえます。