この冬も!

この冬もス●バデートしてください!ということで左門くんにベルアンを一個。
とがわさんのあのイラストが大好きで、もう毎年書いているのですが、何回書いてもこの二人のデートって発見があるなと思います。ベルアンずっと好き。
とがわさんの描かれるアンリさんは透明感があり、ベル様の強さも素敵で、本当に。そしてやっぱりコーヒーデート好きです。

そんなこんなですが、アンリさん、もう十分一人で注文できるの巻。
冬に二人で現世デートしてほしいのはもうずっと言っているのですが、こう、ね。何回書いてもこの二人の感情にはいろいろな流れがあるなあと思います。

と、これをサイトに上げる前にTwitterに上げたのですが、その話。
三箇日も過ぎたので、サイトの改装について考えようかなと思った結果として、どうなるか分からなかったのでツイッターに先に上げました。でもサイトの改装どうするかなあとまだ悩んでいます。
===ちょっと専門用語などが入る読まなくてもいい部分===
疑似フレームでオーバーフローのこの形が気に入っているけれど、全部のテキストというかファイルに適用していくと建て増し違法建築になってしまうな、と。完全フレームも考えるけどあんまり好きじゃない。
それで、この間本を作ったときにワイルドカードの使い方をざっと確認したのですが(行間詰めとかのため)、ワイルドカードでも一気に改装できるのでは?と思ったり思わなかったり。ただ試してみて失敗というのが一番面倒なので、ローカルで構築して、と思ったけど
===ここまで===
と思ったけどやっぱりもう少し考えないとな、と思ってサイトにも上げました。
ワイルドカードの使い方をもう少し学びたいですね。(戒め)
そんなこんなで今年の一番目はベルアンでした。冬デート!

拍手やブログ拍手ありがとうございます。今年もよろしくお願いいたします!

そんな冬

ということで冬のベルアンをもう一話更新しました。何事もなければこれが今年ラストになる、かなあと思いながらベルアンです。
この二人の間には左門くんとベル様どころか人間とアンリさんレベルの隔絶があると思っていて、そんな話でした。冬というか世界を愛するアンリさんと、その世界でしか生きられないベル様、という話を今までもたくさん書いてきましたが、冬になるととみにそう思います。

ベル様にとってのアンリさんは究極の女神だけれど、アンリさんにとっては世界の一部でしかない、そんなふうに思いながら書きました。いつもこんな感じですが、ベル様にとって唯一信じた「俺様の永遠」がアンリさんなんだろうと思いながら。

最後に書いたのですがBGMというかイメージしていたのは「Follow Me」という曲でした。Twitterにちらっと書いたのですが、映画「イノセンス」の主題歌です。英語歌詞なのですが、訳詞の「廻り廻りそして落ちていくのです」というところとかがベルアンっぽいなあと。まあ究極言えばバト素なんですが。

終末論

そんな内容のベルアンを一話更新しました。
エスカトロジーって何だったかなあと30分くらい考えて「終末論か!!」と謎のアハ体験をしてから終末論と言えばゾロアスターも終末論だなあと思って書きました。

なんというか、いつもアンリさんの「アンリ・マユ」としての側面というか、神としての側面について考えていることが多くて、そもそもベル様は「悪神であるアンリ・マユ」が「俺様の永遠」で、それを壊されたことが怒りの原動だっただなあと思うんですよ。
だけれど、悪なる世界、善なる世界の善悪二元論でいつか世界が完成する、っていうことをさもサモでは左門くんと天使ヶ原さんという存在が否定していて、じゃあその時に悪神と善神と大いなる天蓋はどうなるの?という話でした。

さもサモにおけるアンリ・マユとスプタン・マユが闘争を始める以前の世界ってもしかしたら完璧な世界だったのでは?そしてアンリさんにその世界で戦い続けることはあまりにも酷なことなのでは?と思うのです。
悪神でありながら女の子としての心があり、女王としての矜持があり、神としての威厳があるという、たくさんの要素があるからこそ、善か悪かを選び取る世界で戦い続けることが無意味なことを知っているのではないかな、なんて。
だからこそ友達が欲しいと思ったり、恋人がほしいと思ったりするのでは?と。
でもすでにそうなってしまっている作中のアンリさんはもしかして善悪二元の世界のどちらかの完成に興味を失っているのではないかなとか、重すぎて投げ出したい気持ちもあるのではないかなとか思うのでした。

そんなアンリ・マユとベルゼビュートの終末のはなし。

コノサカヅキヲ受ケテクレ

コノサカヅキヲ受クレ
ドウゾナミナミトツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(勧酒 于武陵  訳文 井伏鱒二)

というようなベルアンを一話更新しました。
冬と春に別れを告げたり、世界に別れを告げたりするような、そんな話です。
というかてっしー、左門くん、ベル様、アンリさんの四人で現世で花見をするほのぼのに見せかけたベルアンはいつも通りシリアスってます。
「勧酒」がとても好きで、日記の方には訳文で有名な井伏鱒二のものを。
本来の于武陵の「君に勧む 金屈巵」の訳文というか、勧酒自体が好きです。そして「「サヨナラ」ダケガ人生ダ」と言い切る井伏鱒二の訳がどうにもベルアンというか、アンリさんが何度も何度も世界を創って、亡くして、その繰り返しの中であり、その中で出会った偶然のベルゼビュートでありさもてしであり、と思いながら書きました。

アンリさんにとっては一瞬の出来事のようなすべてが、だけれど、大切なものになっていって、一緒に花を「美しい」と言える、という変化があればいいなと思う一方で、永遠に、延々と、世界を創っては壊すそれだけの女神でもある、というのもすごく強くあって。そんな話でした。
そういえば、花見で「勧酒」でしたが手羽先しか出てきませんでした。仕方ない、手羽先は世界のすべてだから仕方ない。

地獄に落ちる

そんな感じで左門くんのさもてしというか左門と天使ヶ原の地獄殴り込み後を一話。文中のいくつかの記述はヨナ書より。場所のイメージはヨナ書一章十七節をぼんやりと。

地獄に落ちた二人のはなしです。
いつもより抽象的な話になりました。
ノリ・メ・タンゲレから三話とも最終話その後の話で、毎回違うことを書いているようで同じことを書いているなあと思います。今回はその中で地獄に落ちるに至ったその時というか、なんというか。いつも同じことの繰り返しみたいになってしまうのですが、だけれど天使ヶ原さんがついてきた理由を考えて考えて、どんどん突き詰めてしまうなあと思います。

「へっくしゅん」「おしゃかしゃま」「月光」「蓮」とか。シリアスというか暗いというか。
「月光」の歌詞の「〈私は神の子〉この腐敗した世界に落とされた こんな場所でどうやって生きろと言うの? こんなもののために生まれたんじゃない」っていう叫びがとても左門くんだなと前からぼんやり思っていました(一部英語歌詞を和訳した内容です)。違う違うって叫びながら友達を求めて、求めた果てに出会ったのが天使ヶ原さんで、二人で地獄に落ちる時こそが初めてそれを自覚したときなのではないかな、と。
やはり月光の歌詞から「貴方なら救い出して 私を静寂から」ってアンリさんのように見えて、彼女はその静寂というか、寂滅とかそういうものを飲み込んでいて、その象徴となることをすんなり受け入れるんですよね、神様だから。むしろアンリさんをかき乱して、天使ヶ原さんを拒絶して、戦い続けた左門くんこそ救い出してほしかった側なのかなと思います。そしてその「救い出す」という方法の最後の最後に「一緒に地獄に殴り込み」っていう天使ヶ原さんが好きです。好きですという一言で済まそうとしているのは、話すと長くなりすぎそうなんですが、救い出してほしいと叫んでいたその横に座った、くらいの感覚なんだろうなあと。「それは無理だね」って天使ヶ原さんはあっさり言うと思うんです。天使ヶ原さんが完全な善人ではないとかそういうことではなくて、天使ヶ原さんにとってそれは救い出すことにもならなければ解決にもならないから、とりあえず左門くんと一緒にいてみよう、くらいの感覚で垣根を壊すところがこの二人の始まりで終わりのような気がします。

あと、あとがきというか最後についている英語の短文なんですが、直訳すると「楽園にて。引導を渡す」とかいうひどい内容になるんですが、一応requiemのラテン語の語義の「安息を」というのでタイトルと同じにしたかったという頑張りは認めてあげてください。ラテン語も英語も苦手なんだよ(五体投地)。ヘブライ語なんて無理なんだよ、ヨナ書も久々に読んだんだよ。というところなんですが、この話は手元にあったヨナ書を読んでいて一章十七節あたりの魚に飲まれたイオナと、神に理不尽な怒りをぶつけるイオナについて読んでいたらなんとなく「ああー」と頭を抱えて結果的にこうなりました。丸谷才一ー(違う)。気になった方は丸谷才一の方を読むと読みやすいと思います。いや、どうだろう、原典の方がかえって読みやすい…のか。

拍手やブログ拍手ありがとうございます。とても嬉しいです。
また、メールのお返事など滞っていて申し訳ありません。まとまった時間を明日あたりには確保できそうですので、随時お返事いたします。
エロ同人みたいな(というかただのエロ同人の)景望に反応をいただけて嬉しいです。景望ってほんとにエロがいいですよね(管理人の個人的な趣味)

ベルアンの初夜

久々に更新しました。左門くんからベルアンの初夜話でした。
いろいろな方とメールなどで盛り上がるものの、なんだかんだといつもシリアスに走って書けていなかったので、新年に入って一本目だし姫はじめみたいなもんだろと思い、書きました(ひどい理由だ)。ベル様のハーレムの話や初夜話の後押しをしてくだっさった皆様、ありがとうございました&遅くなってすみません。
そういう初夜ということで、R-18です。ほんとにぬるいというかなんというかな軽微な描写ではあるんですが、致してるんでそんな年齢制限でした。

謎のタイトルですが、この二人の初夜に対することを考えていたら何というかだんだん頭が過熱状態になってきたので公案からでした。考えれば考えるほどドツボにはまる。さしたる回答を考えられなかった、というか、さしたる回答などないのに悩んだ、だから斬ったというのも主題だと勝手に思っているので、さしたる正解もないのにぐるぐる悩むアンリさんと、それを分かっていながらいろいろ自分のやり方を考えるベル様だなあ、とふと書類整理のために読んでいて思ったのでした(ちゃんとそっちも書こうね)。
東堂と西堂のトムジェリに特段の正しい答えはない、ということではないかなと思うことがあって(完璧な破戒僧の発想)、そういう、無為というか、こう、互いに噛み合わないし意味もないことで喧嘩して、結果的にこう、こう、喧嘩みたいな関係から始まって結婚して初夜を迎える二人って良いと思います!でもタイトルの公案に対するひどい風説の流布のようになってしまうので自重します。

ちなみに出典は「無門関」の第29則より。直前に14則を読んでいたのですが、どちらもわりと一般的というか、なんでか分かりませんが有名ですね。最近感動した問答は「達磨廓然」。涙もろくてあかん。泣くような内容じゃないというか、生の法戦式見ることあんまりないからねと出典を書きながらやることはやっている言い訳をしていくスタイル。

ベルアン初夜の話はほんとまめこさんやとがわさんとお話ししていていつも完全に一致する感じなのがアンリさんは初めてで、ベル様はハーレムあったみたいなこういう圧倒的経験値差なんですよ!!!とめっちゃ萌えだけで突っ走って書きました。
アンリさんの羞恥心はもはや恐怖にもなるほどで、ベル様は丁寧に扱いたいんだけど、やればやるほど「手慣れてる」っていうドツボにはまるこの二人。好き。

去年も新年最初の更新が姫はじめとかだったのでたまにはエロもいいよねと言い訳しておきます。ほんともうね。何年も書きたい書きたいと言いながらいつもシリアスっていたベルアンのエロが書けて満足です。

拍手やブログ拍手ありがとうございます。とても嬉しいです。そして動きが少なく申し訳ありません。もう少ししたらいろいろ落ち着くかなあと思っているところです。メールなども楽しく拝見させていただいております。ありがとうございます。

追記1
ベルアンの関係性を考えていて、片方は片方のことをずっと見ていて、片方は片方のことをずっと考えている、ような執着が好きですという話をよくメールでするのですが(いつもありがとうございます)、「見ていた/知っていた」という執着でふといろいろ考えていてベルアンとクースカ、と思ってから更木剣八と卯ノ花烈もそうだなあと思って頭を抱えました。剣八と剣八は本当に互いに対する思いが重すぎて苦しくなる。ネタだけあるからちゃんと書きたいの筆頭みたいな二人です。二つ書いてみて案外満足したのもありますが、考えれば考えるほどうまく書けない。あとノイトラとネリエル。ノイトラ・ジルガは執着のあまり壊れていると思っていて、それがネリエルへの執着なのに十刃への執着とすり替えているのが絶妙で好きです。ちょっと違うけどアスキン・ナックルヴァールとバンビエッタ・バスターバインもそんなんかもしれない。この二人はあくまでも「かもしれない」くらいですね。アスキンもっとバンビちゃんのこと話しても良かったんだぜって思います。久々にそんなブリーチの話。

追記2
あ、そういえば「ファンシィダンス」のダイマ記事がなんかいろいろ不親切設計だった気がしてきたので追記しときました。20年以上前の漫画なので表現とかはまあ目をつぶってくださいというのと、とりあえず好きなセリフ置いときました。英峻。

ここ数年

というかこの頃この時期にやっていなかったけれども、12月のクリスマスから大晦日にかけてこのサイトでかつて定番だった指輪ネタをベルアンで。シリアスです。シリアスです。指輪ネタなのにシリアスって何さっていう感じですがシリアスです。大事なことなので三回言った。
あとクリスマス要素入れるかと思ったんですが、二人ともクリスマス関係ないなと真顔になったのでイルミネーションデートで手を打ちました。
特別出演で天使ヶ原さんと左門くんが出ていますが本当にちょっとです。ちょっとだけど運命を考えさせるてっしーに書いていてこう、彼女こういうところあるんだなあと軽いノリだったのに自分で考えながらもてっしーはそういうとこあるよねなんて思いました。他人事のようにびっくりした。
モータル、イモータルの概念とか、ベルゼビュートとアンリ・マユでは生きる長さが違うとか、そういういろいろを飲み込んで創造神と悪魔という立場の違いとか、あとはアンリさんは悲しめないことをベル様は悲しめるみたいなそういう、相互に補完しているように見せかけて、永遠を生きるアンリさんを補完し続けたいと願うベル様の話です。

デート描写が本当に少なくて、自販機からホットの飲み物買うくらいしかなくて本当に申し訳ないです。ベルアンの初夜とか書きたいんですけど…周りにもけっこう言ってるんですけど…どうしてもいつもアンリさんの女神の側面に目が行ってしまうのでした。
タイトルからして不穏ですが、そんな指輪話です。何年ぶりかな。阿ネム、リョ桜、塚ミユあたりまで?阿ネムは続きも書いたけども、わりと12月のクリスマスとか、年末年始とか、バレンタインとかこの冬の時期に指輪ネタを書くのが好きなのは相変わらずみたいですね。あと指輪じゃないけど千歳杏のピアスも。装飾品が相手にわたることやわたる約束をすることで何かが起こるのが好きなんだと思います。うまく言えないですね。
BGMというか、最近ずっとポルノグラフィティのプレイリストを再生していて、ジョバイロとかサウダージとかそんなイメージでした。指輪だけど絶妙に悲恋の曲。

拍手ありがとうございます。ほんとにまた一ヶ月近く不在にして申し訳なかったです。メールの方もお返事できたかと思います。不達の場合などはお知らせください!

門の話

「物事には入り口と出口が必要だ」ってかなりうろ覚えなのですが、村上春樹の風の歌を聴けかピンボールのどちらかのネズミ捕りについての一節だったと思うのですが、そんなか感じでふんわりとしたちょっと軽く哲学チックなベルアンを更新しました。
門から門へ、というとやっぱり個人的なイメージは漫画版陰陽師の若水を持って健禮門を通る豊受大媛なのですが、それはわきに置くとして。

左門くんは召喚という形で門を開いたけれど、それには終わりがあって、それよりもずっと前から、何千年も戦いという形で愛を交わしてきて、門をこじ開けていたのがベル様なのかなあと。アンリさんはずっといろいろなものを待っていて、いろいろな人間でも悪魔でも、神でもなんでもいいから待っていて、そこに現れたのがベルゼビュートと左門くんだったのではないかなと思うのです。
左門くんは人間で、そうして願いそのものが「友達」だから、アンリさんの運命にはなり得なくて、本当に待っていたのはあの瞬間、ベルゼビュートにつかまっていたアンリさんを最高の使い魔としてベルゼビュートの前に最高の悪神が降り立った時で、それこそがアンリさんの望むことでもあり、ベルゼビュートの望むことでもあったのかな、と。ベルゼビュートとアンリ・マユにとっての門の出口、オメガがあの瞬間だったのではないかなと思うのです。数えきれない年月の果てに左門くんという人間が現れて、天使ヶ原さんという「友達」も現れて、ベルゼビュートはそれでアンリ・マユが弱くなったと糾弾しましたが、そのすべてが覆され、ベルゼビュートが何よりも望んだアンリ・マユがそこに現れた瞬間があそこだったのではないかなあと思うのです。

でも、そこからベル様がプロポーズすることでその門は閉じなくて、infinity、つまりはΩから∞になるのではないかな、と。左門くんは友達なるという実はもう果たされていることを必死に紡ごうとして、アンリさんは恋人になるという無理だと知っていることを紡ごうとして、その中でそれをすべて知りながらアンリさんを自身の命の永遠に例えたベル様は、アンリさんが恐れた終わりをなくした人なのかな、と。だからアンリさんはベル様を愛するのではないかな、と。

さもてしの話もちょろっとするのですが、一緒に地獄に落ちてくれて、その前からずっと、友達、という概念にこだわる左門くんに九頭竜くんたちをはじめとして、いや、てっしー本人も(左門くんは否定するかもしれないけれど)自然と友達になっていっているんですよね。それはたぶん、左門くんにとっても奇跡のようなことなのかな、と思うのです。

そんなことを込めて書いた話でした。
イメージというかBGMは「日出処」をリピートしていて、その中でもイメージは「静かなる逆襲」と「ありあまる富」でした。

マスジャン更新:塞翁が馬

しました。さっきのブログに書いてたやつがこれです。
約3か月ぶりの更新ですがちょっと余裕がないのと考えがまとまらないので(眠いです!)、あとがきは明日書きに来ます、たぶん。
一応「青銅の蛇」と対になっていて、それなのでジャンヌさんがけっこう捏造されています。あとてっしーについてマステマがいろいろしゃべります。そんな話です。

またあとで追記に来ます~!

追記
ちゃんとしたことを書きに来ました。ニルアドミラリって結局のところ故事の塞翁が馬だよなと思って、でも息子死んでないけどなとか考えながら書いた話でした。
「私はそれを知っていた」とか「私はそれに驚かない」とか「私はそれを恐れない」というのが真の知性だとしたら、ジャンヌさんにはそういう部分があって、そういう部分を見せつけられたからこそ、マステマは天使だと偽って試練を与えるとかじゃなくて、てっしーの時にはもっと暴力的に、もっと大胆に、もっと直截にやってきたのではないかな、と。
自分が天使だと偽る必要も、自分が悪魔だという事実も必要なくて、その啓示はマステマという悪魔ではなくやはり天からもたらされたものだとして、その一環の中の装置がマステマでしかありえないというか。それをジャンヌさんは知っていて、というのはマステマ以上にマステマが用意したわけではない苦難を乗り越えているんですよね。マステマの試練っててっしーの時を考えるともっと単純なもので、異端審問に至るようなその大きな流れは人間の側が作り出したもので、天使や悪魔の側が作り出したものではない気がするのです。それなのにジャンヌに執着する。これが本当にマステマの苦しいところだと思います。

メモ

とがわさんにベルアンとかクースカとかリリアンキル様関連のあたりの関係性が近いものがある!教えていただいたのですが、ベルアンとクースカの関係性を両方ともざっくり表せる曲って金爆の「女々しくて」だよなあと本気で思います(すごく好きな曲です)。「愛されたいね きっと見過ごした君のシグナル」とかこれ完全にベル様とランサーさんじゃないですか。二人とも見過ごしているんだよなあ…
「愛情っていうかただ君が欲しい」もすごぉくベル様だし、こっちはスカサハ師匠だし。「僕の心犬のよう」はクランの猛犬まっしぐらだし、これちょっと素晴らしいですね。スカサハ師匠の幕間の「影の国にて~」の方で「オレが一生影の国いたらよかったのかも」とか「オレ(たち)のせいでスカサハは寂しくなった」とか言いまくるランサーさんは「気まぐれかな、でも構わない、君といたいから」って感じで好き…ってなりました。ちなみにベル様には恋敵に左門くんがいるのでわりと真面目に女々しくなるよねって思って、クースカにはじゃあ書文先生か!?(テラリンのランサー嫉妬イベント(だと管理人が勝手に思っている)大好きなので)と思ったのですが、李書文先生はただ巻き込まれているだけなのでいい迷惑だと気が付いた。ごめん。むしろキャスニキとかタニキを最初に思い浮かべるべきだった。

 

メモ2
いろいろ昔(?)のプレイリストを聞いていて思い出したので上とはぜんっぜん関係ないんですけども、前から書こう書こうと思って機会がなかったので上に便乗して書くんですけども、「亡國覚醒カタルシス」ってあるじゃないですか。あれ、私、檜佐木VSフィンドール・キャリアス戦をどうしても思い浮かべてしまうんですよね。「生きるは毒杯」がどうにもこの二人っていうかあの戦闘のフィンドールの煽りを思い出すんですよね…。