花京院の話したことなかったですね

花京院典明が好きです(結論)

花京院の好きなところとやべえところと死ぬ前に直せばよかったところを姉にメール送りつけまくってから「初めて聞いた、ビビった」と言われて今まで話したことなかったと気付きました。

あ、他人に話したの始めてだ!
いや、めっちゃ頭痛ヤバくて半分寝てたんですよ。私も完全に寝落ちしないために頑張って打っていたんですね(迷惑過ぎる)。浮動性眩暈と頭痛とレム睡眠の状態で延々と打っていたのが「花京院の好きなところ」「ここが死因だよ花京院」「高校生なんだからもっと気楽に生きろよ花京院」みたいな内容のメールだったんですね。本気で延々と打っていた。身内にしかこんなことしないから安心してほしい(それでも迷惑です)。

それで今更ですが私、花京院好きだってわりと昔から言っていたつもりなんですが喋ったこと無いなと気が付きました☆彡
そうだね、たぶん話したことないわ、と改めて姉に指摘されて気付きましたが、花京院典明が好きです。
詳細なことはそのうち書くかもしれないし書かないかもしれませんが、ジョジョシリーズというか、三部というか、それ以上に花京院典明が好きです。それもあるのか「花京院が好きだ」という感情はあるものの本当になんか同人的な何かや創作が一つもないので(小説も一個もないし、何か考えたことも一個もない)、誰かやサイトで話す機会が一度もなかったんですね。今更だけども珍しすぎてびっくりした。

花京院って好きになる部分や魅力が、生きていたなら直した方がいいと思う部分だったり、見ていて苦しい部分だったり、最悪死因だったりすることがあるので、考えているだけでしんどくなるというなんかこう、どうしようもねぇキャラだと思っているので、かなりテンションがハイでもロウでもいいけどおかしくないと考えられないのだなあと思いました。そんなに深刻に考えるくらいならサクランボでも食ってろ。

いや……肉の芽の序盤はいいとして、というかDIO様の支配抜けてからってなんつーか……友達とか仲間とかそういう人たちに出会えたから元々の「男子高校生なら普通」というか「高校生だし」っていう部分もはたから見ると出て来て、出て来るのに本人は出てきたために「友達や仲間のために命を懸けることは普通」っていう普通じゃない彼が考えただけの『普通』が出てくるから取り返しがつかないというかなんというか……。

5時15分のエメラルドスプラッシュですが、それはいいんだけども、いいんだけども、「仲間だったからだ」「これから起こる事柄に僕は後悔はない」と言い切れる胆力はどこから来たんだ、スタンドはあってもただの高校生だったろう……と思うとそれが「仲間だったから」でしょ。今まで17年間孤独だったところにみんなが手を差し伸べてくれたのにアヴドゥルとイギーが死んでしまったことが本当に辛かったから「背中が」というアレになる訳で、でも花京院がその時に一気に感じた「初めての友達」「初めての仲間」「初めての喪失」っていう孤独以外の感情って全部が数十日で凝縮された初めての戦いの中で手に入れてしまった唐突な感情で、その結論が「DIOのスタンドの正体を暴く方法」「法皇の結界」と思いつくのはいいんだけども、いいんだけども、これは何と言えばいいんだろうか、決してアヴドゥルやイギーの死を軽んじている訳ではなく、お前の選択は本当にそれだけだったのか、という。
それだけだったから、それだけで最後に5時15分で止まった時計で散っていったからこそ花京院が好きなんですが、同時にもっと笑えれば良かったなあと思うという。もっと普通にってのは無理でも他の選択肢……いや、他の選択肢を捨てて、全てを掛けての5時15分で死んで、そうしてDIOのスタンドの正体を暴いたからこそ花京院だと分かっているし、そこが彼の強さだと思います。

元々頭脳明晰で冷静な判断が出来る、理知的で落ち着いているという部分はあるし、「お仕置きの時間だよ」の台詞とかも結構大人びている。
その一方で
頭脳明晰で冷静な判断≒結果に基づいた自滅を伴う決定が出来る、
になってしまうし、
理知的で落ち着いている≒思考の結果が最悪でも利があれば迷わない、
ともいえるような破滅的な行動に繋がるシーンが少なくないというか、それが死因みたいなところあるので……。そんなこと普通誰が考えるんだよ、お前が考えたんだよって思うとびっくりするほど苦しいキャラで好きです。大人びているのも承太郎やポルナレフとのやりとりを見ていると無理してねーか、もっと楽しみたいことないのか、と思ってしまう。

「法皇の結界」を使ってのほとんど捨て身と言える(立案の時点では捨て身のつもりはなかったかもしれないけれど)あれだって、でも最期を見るに「死んだって別に構わない」「後悔はない」っていう果断さがあるじゃないですか。その果断さは見ているとどこか破滅的というか、どこかしら、何かしら「今ここで友達と仲間のためにすべてを懸ける」という刹那的というかなんつーか……青春全部手に入っちまったんだなあって思うとそこが大好きだ。そうやって死んでいった花京院が大好きだ。

死んでいったから好きだけど、死なないでほしかったというすごい無茶ぶり。
幸せになってほしいとまでは言えないけども、人並みに普通の生活してほしかったという最高くらいの高望み、みたいなものをよく考えるのが花京院典明です。

花京院無理すんなー……

SEEDFREEDOM・オルフェの話

というか思い出した、というだけなんですが前も他のことで書きましたが

「それは敗者の理論だ。勝者とは、常に世界がどういうものかでは無くどう在るべきかについて語らなければならない」(『BLEACH』 藍染惣右介)

という台詞があるんですね。これだいぶオルフェ・ラム・タオだなあと思いました、という話。
藍染様の話をすれば、これは「能力のある者がその怠慢によって世界の瑕疵を取り除かないのは罪だ」というシステム論なんですが、それはまあいい。まあよくないけども。というか今更だけどもこの藍染様の問題点って世界に対して「世界の担保者になることを勝者」、「世界の中で生きることを敗者」の理論とした時点で負けてるんだけどもね……。誰にというとこれを言った相手の浦原さんというより根本的に藍染様がいなくても世界に担保者がいるという時点で負けてるというか、その理論でいくと敗者の位置にいるんだけど……。
間接的に今アニメをやっている「千年血戦」ではその敗者の理論と藍染が呼んだ「世界のシステム」についても説明されたけども、それで行くとどう頑張っても藍染自身も世界がどう在るべきかについて担保することは不可能っていう、だいぶ末期的な世界だったので根本的に上の理論あんま関係ないけど。

この話はこの話でなんかすごく長くなりそうなのでそのうちまとめますね。それでも藍染惣右介の考える世界システムがどういうものだったかは未だに興味があります。バックラッシュなしの世界というか、冗長性なしの世界だったのかもしれないし、私が天に立ってもらってもいいんですけども、藍染様の場合の「天に立つ」って実際にどうするつもりだったんだろうなあ、とは思う。破面とか抜きでね。

という長い前置きの後ですけども、オルフェってまさしくこれだなあと思う。能力のある者が抑制されることも、能力を正しく使わないことも等しく「悪」であると考えた結果というか、そう教えられて生きてきた結果がオルフェのあの思考回路だとは思うんだよなぁ、と。だからファウンデーションの王城庭園でラクスに語った理想はだいたいが嘘というか、嘘ではあってもあの後ファウンデーションを滅ぼしてでも「そういう世界を作りたい」という願望はあったのかなあ……とか思った。願望というか、そういう能力が自分にはあるからやらなければならない、というか。

だからこそのキラへの「私なら出来る」というラクスに対する台詞だと思いますしね。ただその方法と結論がデスティニープランだったというのはありますが、何だかんだ生まれながらの勝者というか、生まれながらにして「世界がどう在るべきかについて語らなければならない」位置にいたのがオルフェだったのかもしれないなーと。
それが勝者の振る舞いだと信じていたのもそうだと思います。論理というより振る舞いなんだろう。
でもオルフェに勝者としての確信を与えたのがアコードとして作成され、ほぼ同時に作成された「ラクス・クライン」と対応する、かつその対応するラクス・クラインの能力に準拠している部分があるから難しいよねっていうか、アウラ女帝はけっこう辛辣なことしてるんだよなあと改めて思う。
ここまでやってるのにオルフェ単独ではいくらアコードでもどうしようもないっていう前提なんだというのが……。ファウンデーション自体はファウンデーションショックと作中でも言われるように独立や復興、経済発展に成功しているし、そもそもアウラ陛下がアコードの作成とブラックナイツの運用を成功させていて、そのうえ宇宙に独自の基地を持っており、更にはレクイエムの使用も可能にしているだけの技術力も秘密裏にある、というそこまで整っているのに、最後の切り札が「クライン総裁も我々の味方である」という対外的なものと、「ラクス・クラインとオルフェ・ラム・タオは対になる存在である」という内部的な確信がないと成立しないってけっこう綱渡りですよ……。
それが余計にオルフェ自身に対してラクスに相応しいのはだから自分だという自信と確信を加速させていったのかなあと思わないでもないなあと。

考えたのはいいんですが、めっちゃ眠いので明日また思いついたら追記します。
この話始めるとキラの話しも同じくらいしたくなるし、シンの話も出てくるのでちょっと今日は寝ます……このサイトにガンダムの話載せて何になるんだね君、とか言ってはいけない……オルフェかー……。

それはそれとして藍染様の話もしたいのでちょっと待ってくださいね。
東仙隊長は目的と手段が分かりやすかったけども、それで言ったら一番足許すくわれそうな相手が市丸だったのはほんっとによく分かる。改めて考えるとその「勝者の理論」の陥穽を突く可能性が一番高かったのは確かに市丸だった。
っていう話考えたんだけども、市丸ギンのこと考えると悲惨すぎて頭痛くなってくるので明日で……。お前ほんと、乱菊さんに謝れよ、いや謝ったけどもそうじゃなくて、そうじゃなくて死ぬなよ……。

SEEDFREEDOM特別版の話

観に行きましたという話です。全体の感想と主にアスラン・ザラとイザークの話。
これは劇場にあったのですが、このポスターで改めてみると思ったよりカルラのデザインシンプルだな、と思いました。
あ、お彼岸が終わって10月の頭に姉と行ったので映像は1週目ですね。特典はなかったです。悲しいね。

特別版の映像の話
・500カット増量ということでどうなっているのかと思っていました。
・初っ端から弾薬増やし過ぎでは? と思った。
・初回出撃時点でキラが強くなりすぎている、というかキラの独壇場がすごいことになっていた
・建物がブラッシュアップされているのは気のせいではない気がする(キラとラクスの邸宅やコンパスのなんかアレとか、カガリの別荘とか)
・ムラサメ改がカッコよすぎてこのモビルスーツ好き。フラガ大佐っていうかムウの「お前ら!」からのマリューさん救出のところもうさぁ……この2人さぁ……好き!
・戦闘シーン以外もわりと台詞に被らない表情のシーンが増えていたので面白かったです。
・表情で一番「ヒエッ」ってなったのは前半、折り返し以前のイングリット。わりとオルフェやシュラ、アウラ陛下に合わせてニヤッと笑うシーンのカットがあって、まあ立場としてはそうなんだけども、映画観ていても、小説読んでいても苦労しているシーンしかなかったから「ラクスにいろいろ言われる前まではイングリットもそういうところはあったんだね」と思ってなんか余計苦しくなった。
・そこからのイングリットとラクスのシーンで小物(ナイフとか拳銃とか)がすげぇ丁寧に描き直されていて「これ以上イングリットを精神的に追い詰めないでくれ……」と思ってしまった。
・何回見ても「行って!」のところはイングリットが辛すぎて、キラとラクスの再会もそうなんだけどもいろんな意味で泣いてしまうわ……。
・「ミーティア」掛かったあたりから泣いていたのはいいんですが、その一方で「いやこれ絶対時間足りないだろ?」と思い始めて別の意味でハラハラしました。
・想像していたよりはるかに映像が増えていたからかなり台詞と映像の間や、音楽や挿入歌とシーンやカットの間がなくなっていたような気がします。
・「ミーティア」以前だとなんかアスランがキラをぶん殴るとこがすげぇスピード出てた気がして……(気のせいだったらすみません)。
・あと一緒に行った姉が「収録台詞は増えていない」と言っていて、私はこれで多分4回目? だからそんなに記憶がアレなんですが、大佐の台詞とかイザークの台詞とか増えてねぇか? 気のせいなの? 最初あんなに大佐詳しくブルコスの戦術の説明してたっけ……? ていうかあんなにスピーディーに喋ってたか? となるシーンが多かったからたぶん間を詰めたのかな。
・たぶん間を詰めた結果で一番怖かったのが「本当に使えないな心を読めるんじゃなかったのか」の「使えないな」と「心を」の間にほぼブレスが入っていないように聞こえるアスランの台詞のように聞こえて(個人の感想です)、アスランの残虐さが存分に出ていた気がしました。怖いわ。
・あと大佐の「お前ら!」のシーンがなんかすげぇ早くなっていて(前後の弾幕が多すぎたから台詞は分からないけどもたぶんシーンの時間自体は短くなってる)、これほんとに子安さん撮り直してないの? え? ってなった。めっっっちゃ良かったです。個人的に場面の映像が早くなって一番カッコよかったシーンです。マリューさんと仲間のことでブチ切れる大佐はいいね、カッコいい。
・それはいいんですが「ミーティア」でシンが分身し始めたあたりからどうやって上映時間に収めるのかなと思っていたらあああああ……なるほど、となった。

台詞とか声優さんの話
・これは私がよく覚えていなかったからなんですが、グリフィン(ブラックナイツ)の声、前からカッコいいなと思っていたけども、森崎ウィンさん、覚えました。大変失礼ながらパンフレットとか見ても「俳優さんかな」と思っていたんですが後から「俺はガンダムで行く」の英語版のあの人かーって教えてもらってなった。
・「どうする家康」の最終回にも出てたんですね。びっくりした。というかそんな方がよく今回グリフィンの声宛ててくれたね……。
・グリフィンにぴったりで好きです。こう、好戦的な感じと見下すような物言いでありながらも冷静さを失わない感じ。「兵たちの訓練には」のところとかカッコいいよね。でも普段はやっぱり俳優さんだからこういう声は歌とか吹替映画とかなのかな? 森崎ウィンさんの演技をいろいろ見たいなと思いました。
・キャラ造形に声がぴったりってあんまり最近意識せずに見たり聞いたりしていたのですごくぴったりでなんかすごく好きになってしまった。いいね。
・改めてアスランの声聞いていたら思った以上に冷静かつ残虐な部分が出ていて「え、こわ」って思いました。石田さんが「今回はキラを一方的に殴ってるだけだから別に」とあのシーンについてインタビューで言っていたと聞いたのを思い出してしまってまた「え、こわ」と思いました。
・今回アスランが動揺というか、アスランの精神が落ち着いているから頼りになるけど怖い部分たくさんあったんだよなあと思います。その辺含めて行動だけでなく言葉についても「今回のアスラン」のことを石田さんが分かったうえでばんばん冷静かつ残虐にやっていたんだろうなと思いました。
・同じくシンもですが、めっさ明るくてめっさ安心したんだけども、あえてのファウンデーションがレクイエム撃った時にシンの新しい見捨てられたチワワみたいな表情のカットを入れて精神崩壊一歩手前からの「止めろアスラン、隊長は!」を聴くとまた違ったものがあるというか……レクイエムとか核で故郷が……というかお前以外みんな……からの解決からのオーブ脱出時のヨシツネからの砲撃「百発百外し」って、シンは気づいていなくてもこう、精神に来るよね(シン・アスカが生きている理由とシン・アスカの養父が死んだ理由じゃん)。
・なんでもいいからコノエ艦長に丸投げしておけばいいという風潮。
・とりあえずハインラインが作ったって言っておけば誰も彼も納得するってもうこれお前さぁ……!! 便利すぎてついにBlu-rayの宣伝要員やってたのめっちゃワロタ。

ここから箇条書き終わり。

イザークの話
何回見ても思いますし、何回も書いていますけども、今回の映画で一番キツイことさせられたのイザークとディアッカだと思うんですね……。だから何度でも言うけど、今回の映画で一番カッコよかったのは私はイザークとディアッカだと思ってるぜ!
イザークはもともとディアッカとかアスランといるとすげー好戦的で猪突猛進、みたいな典型的な少年って感じだったのが今回映画に出てきたら中佐になってるし、ラメント議長への伝達とか含めてなんぞすげぇ冷静な男になっていてびっくりしたんですね。ほんとうにびっくりした。お嫁さん候補も連れてきた模様で母上もにっこり(すげぇ嫌そうな顔のイザーク君のカットが入っていてワロタ)。
だからか、関智一さんの演技もこう、イザークの若い感じや好戦的な部分を残しつつなんでしょうが、なんだろう、冷静な好青年みたいになっていて、「落ち着いたんだなあ」とアスランやシンと同じ感じで思ったんですよ。つまり成長していないのはお前だけだキラ、とか思ってもいた。だからイザークとディアッカがあんな羽目になると思わず、あそこのシーンだけで終わりだと思った。
今回の映画の主題は10年以上前から概要だけ発表されていて「愛情を軸にした物語」とは言われていたんですよ。そうなんよ。そうだと言うのに、というかそうだからこそ、『同胞殺し』をしたのがイザークとディアッカだったのが本当に辛かった。
しかもイザークはそれを「軍務として」「仕事として」処理したと見せかけつつイザーク自身はやっぱり昔のままで押し殺し続けてんじゃねぇかよぉぉぉ!? ってなったので、休暇取ってアスランとチェスでもしてほしい……あまりにも可哀想で泣いてしまうよ……。
コーディネーターやアコードが「劣ったナチュラルに使われる」というファウンデーションの呼びかけ、「デスティニープランに賛同するものもいる」というコーディネーターでアコードでもあったラクスと、ナチュラルでありキラの姉弟であるカガリの共通認識、要するに「ナチュラルとコーディネーター」という対立軸がありながら、それでも実際にはない中での戦闘がブラックナイツとヤマト隊+アスランとカガリだったのに、イザークとディアッカだけはジャガンナート以下の反乱分子を仕留めるにあたって『同胞殺し』なんですよ。コーディネーターがコーディネーターを愛ではなく世界やシステムのために殺すだけのなのはあれだけなんだよ。酷くね? 愛情を軸にした物語の中で愛すべき同胞を世界のために殺す役回りって……。
ディアッカはなんだろうね、この人は何だかんだ言いながらも割り切れるというか、情に訴えて割り切れるタイプじゃん。だから、ジャガンナート中佐はここまで言っても分かんないんだからもう無駄だということをイザークに言う訳ですけども、あのセリフはすごくイザークに優しいけれど残酷だと思った。
「こんなに言ってもジャガンナートには通じないんだからお前のせいじゃない」という含意があるとイザークは分かっているからあの後も「軍務規定違反だから戦線に復帰しろ」という呼びかけをギリギリまで続けてしまって、最後には撃ち落として殺すんじゃん。だからあの言葉は優しいようでよりイザークを追い詰めていたように思えるよディアッカ……と。
情に訴えて割り切ってやりきれるディアッカに対して、情に訴えたら自分自身が止まってしまうから、いくら「愚かなことだ」と分かっていても、あえて感情ではなく理性で、規定だから、軍務だから、という部分で押し殺して仲間を殺して世界を守ったのがイザークだと思う。最後には割り切ったディアッカも、最後まで押し殺したイザークもこの映画で一番カッコよかったと私は思っているよ。

アスランとアスランの感情、カガリ、キラ、ラクス、シュラ
今回の映画は前も書いたし上にも書いたし、アスランの声優さんである石田彰さんも「一方的にキラを殴っている」と例のシーンについて表現していた感じもあるんですが(そこについての含意は分かりかねますが)、今回のアスランはとても冷静だったなあと思います。
何だかんだあるけども、アスラン、映画だと頼れる兄貴風味になってるけども、オメーも一回精神的に揺らぐと恐ろしいほど殺戮マシーンに振れるか、そうでなければキラとは違う方向でどんより不安定になるじゃん……今回すげぇ頑張ったじゃん……と初見時はハラハラしまくっていたのですが(いや、そんなにキラに『ラクスを助けよう』とかはっきり言っていいのか? シンに偉そうにしていいのか? とかズゴック乗り回すのやめーやとか、最強はアスラン・ザラはいいんだけども落ち着いて考えたらヤベー奴だからいつ虚無顔になるか分かんなくて……)、最後まで虚無らずにいたのは頑張りというか成長なのかなあ、シンと同じで成長で、やっぱり分かっていなかったのはキラだったのかなあと思ったんですが、今回見てみてやっと理解した。
こいつ、最初から虚無ってたから比較で段々こう、回復というか立場上、虚無度合いが高くないだけで……と思いました。
というのがシュラに「使えないな」と最初に言った時、フリーダムで「本当に使えないな」「心が読めるんじゃなかったのか?」と言ったあたり、インフィニティジャスティスのあたり、もっと言うと最初のファウンデーションに潜入していたシーンあたりから「あああ……こいつ、最初からファウンデーション殺すって心に決めているからむしろ覚悟完了してやがって虚無顔じゃねーんだなあ……」と思いました。
これはカガリが何と言っても、というかカガリが外交努力しても「邪魔だから殺す」くらいはするなあコイツ……後からカガリとラクスに怒られても「どうしたって邪魔だったろう」くらいは言える男だったなあ、と思いました。
なんというか、
・ファウンデーションが思うほど理想の国家ではない
・オーブ(カガリ、愛する人、愛する国)に刃を向けようとしていた、実際に向けた(レクイエム)
・親友のキラに手を出した
・幼馴染のラクスを攫った
・後輩のシンを馬鹿にした
……アスランがファウンデーションを生かしておく理由はないんだなあと思いました。感情で動く男だから。
感情で動く男だから、キラのことを殴れるんですよ、殴って分からせる、というか。だからあのシーンで「元婚約者」ラクスのことを出して周りの女性陣ドン引きでしたけども、それが出来るし気にしない野郎なんですよね、アスランって。
たぶんアイツ、あそこにラクスがいても言うし、カガリがいても言う。ただカガリに聞かれてちょっと微妙な顔されたら虚無るかおかしくなりそうだけども……。

だから、じゃないんですが、だからシュラの相手だったんだろうなあとも思う。
強さを美しさと定義して、アグネスが寝返ることを止めなかったシュラの精神性っていうのが私はまだよく分かっていないのかもしれないなあと改めて思った。
キラだと思ってだけども、フェイクとはいえ単騎で乗り込んできたそれに対して「集団で対するは愚」という発想からアスランと一騎打ちになる訳ですが、そういう発想のシュラの精神性というか、その考え、騎士道とかそういう部分や、それでいて「キラ・ヤマト一騎なら落とせる」という自分自身への強さの信頼でもあり驕りにもなる感情があるのに、アグネスに「強き者は美しい」という価値観で彼女の離反を受け入れたっていうのがまだよく分かっていなかったのかもしれない。
シュラの「強さこそ美しさ」という価値観はアコードだからというのとは違う気がします。オルフェやイングリットもそうだけども、各人にそれぞれいろいろあるんだろう、という中で、ブラックナイツの中ではオルフェに次ぐ実力という中で、強さや戦いに美しさを見るシュラと、戦いや強さを道具や媒体と考えるアスランという違いかなあとは思います。
アスランにとっての強さ、「最強のパイロット、アスラン・ザラ」というのは安定してはっきり発揮されるもので、どんな機体でも(それこそザクでもズゴックでも、フリーダムでも、インフィニティジャスティスでも)相手を殺傷できるし、殺戮マシーンになれるのは昔からだけども、その技術的な強さは安定していると思います。ただそこに付随する感情とか精神面になると不安定というか、単純明快に「情緒不安定」なんだよな、アスランって……。キラが加害者意識の他責思考なのずっと変わってねぇな! って前に書いた気がするんですが、それに対するアスランって昔からずっと情緒不安定なんだよね。でもアスランの凄いというか怖いところってどんなにバッドコンディションでも気にせずに機体を乗り回せるところ。だから「最強」なんでしょうが。
でも今回の映画というかSEEDからこの映画までの間にキラと和解して、ラクスとのことを解消して、カガリと結ばれて(結ばれたのは今回やっと分かったところありますけども! 長かった!)、シンとも和解? して、そういう不安定さから解放されたという部分の象徴が「俺の知ってるラクスは」なんだと思うんだよね。あんなことをあえてあの場でキラに言うのはそりゃあ女性陣がドン引きなのは当たり前ですよ。今お付き合いして結婚している感じになってる(立場上駄目だけど)キラとラクスを知っているくせに、ラクスが自分の婚約者だったころのこと持ち出してくるし、そのアスラン自身が動く理由はカガリでオーブだし、今それ言ってるところカガリの別荘だし。ここまで無神経な男いませんよ。それは女性陣ドン引きだわ。
でもそれをキラに言って、周りにどう思われるかも分かったうえで発破を掛けるくらいにはキラのこともラクスのことも信じているし、何よりもカガリへの自分の愛情も、自分へのカガリの愛情も信じている、信じられるようになったんだろうなあと思ったら、本当に、映画版まであいまいだったカガリとの関係というか、そういった中でしっかり自分の中に愛情を見つけられたんだなあと思いました。それがあるから盤石なんだなあ、と。
その結果、というかアスランは元からそういう部分はあるけれど、強さや技術力の高さは結果的に付随するもので求めるものではないんですよね。強さ自体ではなくて、強さは求めるものや守るものへの触媒であったり、道具という価値観なんだよなー彼。だから結果的に最強なんだけども、最強であっても別に気にしないから最強っていうところはあるからイザークもシンもイラっとくるのは分かるぞ……。

だから「生きる意志だ」とシュラに言って戦い切ったアスランですが、「ラクスへの愛だ」とオルフェに言ったキラとはだいぶ違うんだよなあ、と。
でもこれがオルフェはラクスでも、というかラクスではなくても誰でもいいから「今愛がほしい」という切実な訴えがあった中でのキラの答えが「ラクスへの愛が戦う意味で生きる意味」だし、ラクスの答えが「過去現在未来、どこにでも、近くにでも遠くにでも愛する人はいる」で、それにイングリットは気づけたから最後にオルフェを抱き締めて抵抗せずに死んだんだ、という。
対して「生きる意志だ」という答えを示されたシュラにとって生きる意志や意味ってなんだろうね、とは思う。強さや戦いに美しさや美学を持っていて、それが彼自身の戦う意思で動機だとしたら。だけれどじゃあアグネスが裏切った時にその強さだけで彼女を迎え入れたのだとしただろうか? とも思う。そこには優しさとか憐憫に近い感情もあったのかなあ、とか、付け入る気持ちはあったでしょうし、捨て駒にするという考えもあったと思う一方で、強さを美しさと思った時にそれを発揮できないのは違うと思ったからアグネスを受け入れたのかもしれないなあー、と。

シュラにとっての強さや美しさは生きる動機ではなくて、もっと日常的なものだったのかもしれないなと思います。

アスランの「生きる意志」ってなんだろーな、というのもある。映画の場面としての生きる意志という大きな意味もあるだろうけども、アスランってさ、なんていうか生きる意志≒家に帰る意志となってもおかしくないくらいには平然と言いそうでもある。
カガリがいて、オーブが平和で、コンパスではキラとラクスが通信したら向こうにいて、シンとルナマリアは付き合ってて、なんかイザークは嫁さん探してるし、ディアッカも元気そうだし、とりあえずそんな感じで俺はカガリがいるオーブに帰っても問題ないよねっていう「そこに帰る意志だ!」って真顔で言われても一切驚かない。
そういう意味でアスランのあのセリフもかなり日常的な部分はあるのかなと思います。日常の延長線上で、というか日常で起こった面倒事に俺だけでなく俺の大切な人たちを巻き込んだことを俺が許すと思うなよ、というような。

総括すると、場面のスピードが速いからかアスラン・ザラの台詞がいちいち怖くてだいぶ引きました。撮り直していないとすると最初から狂気すぎるし、撮り直していたとしたら狂気に拍車がかかっているのでやめてほしい……。
カガリ逃げてカガリ……いや、カガリが逃げると事態が悪化するからとりあえずそのアスラン繋いでおいてもらえますかね……。

鼓を鳴らし、攻めて可なり(BSR家三)

戦国BSRの家三です。3、家康赤の後。徳川さん出てこないし関ヶ原の後なのに石田さん生きているんですけども。その時点であまり良い予感がしない。
主な被害者は孫市姐さんと伊達さんですが、だいたいいつもこの二人が被害者なことが多いよねっていう。
久しぶりに書いたのと短いので分かりにくいです。

タイトルは論語から。
「子曰わく、吾が徒に非ざるなり。小子、鼓を鳴らして之を攻めて可なり」(先進第十一より)
温厚な孔子が珍しくブチ切れて「そんなことをする馬鹿者はもう弟子じゃないから盛大に討ち取っていいよ」って言ってる珍しい文章ですね。雑な訳で申し訳ないですが前後の文章が気になる方は探してくださいね。真っ当なことをしないと人は怒るものですね、という話。

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ED「去り際のロマンティクス」

映画「ガンダムSEEDFREEDOM」感想コーナーですよ。
今回はSee-SawのED「去り際のロマンティクス」について。

まずもってね、有名だと言うのもあるけれどSee-Sawの梶浦先生と石川さんのタッグがないと本当にガンダムSEEDシリーズは語れないと言っても過言ではない。
一番有名なのは「あんなに一緒だったのに」だとは思います。これはガンダムSEEDシリーズを見たことがない人も聞いたことがあると思う。それくらい有名だし、キャッチーでインパクトのある曲でしたが、今回の「去り際のロマンティクス」は、なんというか、この「あんなに一緒だったのに」や「君は僕に似ている」の流れをそのまま持ってきたような曲なんです。曲調や歌詞、ダイナミックなメロディとか全部。そうして、歌い方も何もかも変わっていないのが嬉しくて……。凄いことだと思います。20年だよ、私めっちゃ子供だったから、歌の凄さなんて分かんなかったけどさ、西川さんもそうだけども、20年後に聞いても「このシリーズにはこの歌が相応しい」ってなるか普通? いや、ならないと反語を使ってしまうよ。

そういう訳で、ですが、「去り際のロマンティクス」はエンディングですので、最後にオルフェとイングリットが倒れて、そうしてラクスのモノローグと共に入りますよね。
このシリアスな曲調と「最後に歌うよ…」という歌い出しとイントロをバックに「あなたの中に私はいますか」と問いかけるラクスなんですが、これなんだよなぁと。

ラクスとキラは、正直なところ互いの中に互いがいることを確認できた、20年越しに確認できた、愛していると言えたのがこの映画で。
カガリとアスランは、互いに互いのことを想っていて、想っているから最後まで戦えたし、一緒にいなくても通じ合っていたのがこの映画で。
シンとルナマリアは、シンが成長してルナマリアはそれを受け止めて、少しずつ前に進んでいっている、相棒としても恋人としてもというのが分かったのがこの映画で。
マリューさんと大佐はもうなんも言えねぇよ。昔のシリーズ見ていた時に、私は小学生とかそんなんだから、全然大人の事情、大人だから責任があって、だから出来ないことや言えないことがたくさんあって、なんて分かんなかったけども、マリューさんの言えないこと、出来ないこと、苦しいことを大佐は全部分かって受け止めてくれるから、ずっと、ずっと今までもそうだったからよぉ! やっと分かったよ、この二人の辛さと優しさが!

だとしたらさ、「あなたの中に私はいますか?」というラクスの問い掛けは、ある意味でイングリットからオルフェへの問い掛けでもあるし、ルナマリアからのアグネスへの問い掛けでもあったと思う。

イングリットは最後まで、それこそ生まれた時からでもあり、ラクスとキラが「目が見えなくても歌えなくても」愛していると言われて、自分の中にあるオルフェへの無償の愛を形にされた時に耐え切れなかったあの時からでもあり、ずっと「私はずっと苦しんでいたオルフェを見てきた、分かっているからもういいよ」と言ってあげられる唯一の存在だったんだろうし、そうありたかったんだろうな、と。
ラクスに対して喉を潰すと言い、キラに「歌えなくても愛せるのか」と問いかけたのは、ある意味でこの映画全体だし、過去からのシリーズ全体ともいえる「存在価値がなくなっても愛せるのか」という大きなものだったと思う。「歌姫」というカリスマ的な存在として今作でコンパスの総裁になったのは、その影響力の大きさで。歌姫ラクスクライン総裁、というインパクトと影響力のために権力の座についているラクスでもあるし、過去シリーズでも彼女が歌姫であることが物語の中核にはあって。
その歌姫から「歌うことを奪っても愛せるのか」という問いかけは、キラとラクスの間にある愛は「要不要の問題ではないのか」というとても辛い問い掛けだと思います。

実際に救出に向かう前にアスランと殴り合うシーンではキラは「ラクスは僕たちを裏切った」「ラクスにはもう僕はいらない」「ラクスが喜んでくれない」と散々なことを言うワケですよ。アスランからすれば「ラクスはそんなことを言うはずがないし、そんなことをおまえに求めているとは思えない」ということだし、マリューさんからすれば「ラクスさんは平和をポンとプレゼントしてほしい訳ではないはずよ」という、一緒に歩んでいきたいのであって、キラが自分の生活を快適にするために必要だから愛しているワケじゃない、好きになったワケじゃない。それがきっとキラにも分かっているけれど、どうしても「ラクスに必要とされたい」「カッコいいって言われたい」「愛してほしい」という、先程の「FREEDOM」で書いた「理想の愛」を求めてしまっていた部分はあると思っていて。

だからそれを超えて「歌えなくても見えなくても愛している」と言われた時に、イングリットはどう思ったかなあと。ずっとずっとオルフェは「ラクス・クラインが必要だ」「必要だから愛しているし、愛しているのが当然だ」と言い続けてきたそれを覆されて、同時に「そうやって自分もオルフェを愛してもいいのではないか」と思わせる出来事だったと思う。
だから最終戦でオルフェが「その愛を寄越せ」と叫んだのは、オルフェだってそんなこと分かってたよ、とも思ってしまいます。
だからこそ最後の最後で「オルフェのことを私はずっと見てきたから、私はあなたの中にいるからね」と彼に言えるのはイングリットだけだろう、と。アコードとして、優秀な存在として、歯車として必要な訳ではなく、あなたのことを愛しているよ、と。

それは月光のワルキューレ、アグネスに対するルナマリアもそうだと思いました。エンディングでスタッフロールの前に本編画像が入るところで一番くらいに好きなのがルナマリアがアグネスに手を伸ばすところ。コンパスが勝っているし、ファウンデーションに与したアグネスはあそこで殺されても何も言えないのに、殺さずに助けたルナマリアと、それを複雑ではあっても少し笑っているような顔で観ているシンというのは、シンとルナマリアの関係や本人たち自身の成長でもあったと思うし、それと同時にアグネスに救いがあって良かったな、と。

アグネスってさ、この映画で初めて出てきたけれど最初から「誰かに必要とされたい、認められたい」という感情でいっぱいだったんだよな。だからキラ・ヤマトという英雄に愛されているという存在になりたい、認められたいし、もっと序盤でシンに機体を寄越せと言う時だって、「私の方が上手く使える」という「強い」と「認められたい」という感情じゃん、そんなの。ルナマリアに絡むのだって「ルナマリアはそれでいいのか」という裏返しで、「あんただってもっともっと認められるはずなのに、どうしてそこで妥協するのか」という感情でもあったと思う。嫌味じゃなくて、もっと純粋に。
だからシュラが「月光のワルキューレ」と呼んで、「強き者は美しい」とその強さを「認めて」、「必要とされた」ことが何よりも嬉しかったんだろうな、と思ってしまって。

だけれどルナにとってアグネスの存在は「強い」とか「必要」とかじゃなくて、仲間であり、同年代の友達であり、そういう相手じゃん。だからあのエンディングが入ってからの映像でもそうだし、ラストの喧嘩みたいな二人の戦闘もそうなんだけども、「アグネスの中に私がいなくても、私の中にはアグネスがいるから帰ってきなよ」とルナマリアが言っているように見えて、大好きです。ルナマリアは本当にすごい女だよ。

ここまでが映像のシーンですが長いな。すみません。

「私は告白します」
「あなたの使命は愛から導かれる」
「飛ぶ鳥が話しに降りてくる肩になれる」

ってもう直球にキラとラクスだし、トリィたちのことだし、何て言えばいいのか、もう本当にすべてが詰まっているよね。

「最後のラストソング」っていうところはさ、これからもSEEDの世界は続くし、コンパスの総裁として、ヤマト隊の隊長として、世界が平和になるまで、平和にする、互いに渡したかった安穏とした世界を渡せるまで二人は頑張るんだろうけれど、歌姫ラクス・クラインが「私はあなたへ告白します。最後のラストソング」と歌う相手はキラ・ヤマトであり、それは無償の愛の告白で、それが最後の最後に、歌姫としてでも、総裁としてでもなく、ただ愛しているキラのためにラクスが歌う歌なんだろうな、と思うとこのシリーズ完結編という、20年間ずっと見たかった、聞きたかった、知りたかった、キラとラクス、SEEDという物語のラストなんだろうと感じます。
書きながら聴いてたら泣けてきて、本当に情緒が持たない、大好きです。

主題歌「FREEDOM」

映画「ガンダムSEEDFREEDOM」感想コーナーですよ。
今回は西川貴教さんの主題歌「FREEDOM」について。

何回も言っていましたが、実を言うと一回目見た時、この冒頭6分で入った「FREEDOM」で号泣して、その後映画にすべて持っていかれたのでポップコーンと炭酸飲料ラストまで残しました。持ち帰って「なんです……それ……」と言われた。レイトショーだったので帰ってきたのが23時頃だったのも相まって「何食ってんだお前、映画の後また買い直したのか?」みたいな扱いを受けたけども、ほんっとうにFREEDOMの西川さんの歌で号泣してしまって、そこからもう映画をずっと見ていたので、だいたい兄貴のせいなんだよなぁ……証人は一緒に行った姉です。信じてください……本当にごめんね(この時姉は確か3回目)。

「ミーティア」の時からずっとそうなんですけども、西川さんの「FREEDOM」がミーティアに寄せている部分あるのかな、と思うくらいに「ガンダムSEEDの世界観」そのまま、昔ミーティアがテレビで流れていたそのままのシーンに見えて、もう耐えられなかった。
その後配信されたら即買ったのですが、姉がコンプリートCD買ってて借りればよかったと思ったけど何一つ後悔はしていない。

まず映像がね、何がって冒頭6分なんですが、後半のオーブでのシーンもそうなんだけども、ガンダムのモビルスーツが人命救助しているのが単純に好きなので嬉しかった。

という映像は見てくださいというか、本命の歌の方なんですけども! ほんとに!
ヤバいってコレ……となった。
まず冒頭の「countdown」がどう聞いても「ガンダム」に聞こえるように歌っているの本当に、西川さんたまにやるから多分そうなんだろうと感想とか見てても思うんですけども、コックピット内部の画像でスクリーンに「GUNDAM」と映るところで「countdown」を「ガンダム」に聞こえるように歌うの狡いよ、こんなのだってもう、好きです。泣くわ。

めっちゃかっこいい、滅茶苦茶かっこいい。
「FREEDOM」からの「FREEDOM」をリフレインするところからの走りでヤマト隊が出る訳ですけども、その演出があまりにも好きで。で、「時空を切り裂いて」でキラがっていうのと、シンは必死にキラのサポートしたいけども「人命救助」の方って言われて、ていうか出る幕ないって後で本人も言っていますが、このオープニング時点ではまだキラは「周りに頼る」という発想はなくて、ていうかシンとルナマリアどころか、ラクスやアスランやカガリの同年代の同志にさえ「頼る」なんて思っていなくてそのくせ「君たちが弱いから!」なんですよ。だから全部一人でやる、というところでの歌詞「無償の愛がある」なワケですが、ここの西川さんの歌詞の作り方と歌い方ほんっとうに狡いと思うの。だってこの冒頭シーンであり、オープニングの時点では「無償の愛」なんてもん、キラは一つも信じていないんですよ。
最初からラクスは「優しいのです」「だから早く」っていう愛しているキラへ「無償の愛」を向けている訳ですが、キラは「平和をポンとプレゼント」できるカッコいい自分じゃないとラクスには愛してもらえないし、オルフェの言うように「その資格がない、愛する資格がない」と思っている。
だからどうしてもここの歌詞が歌い方もあると思っているんですが「理想の愛がある」に聞こえてしまうのです。「理想の愛があって、そのために戦っていて、だけれどみんな自分の理想に着いてこられないから、ラクスに愛されるために、ラクスの理想のために僕は一人で戦う」ってこれ、今回の映画そのままだし、何よりもそれを飛び越して「必要だから愛するのではなく、愛しているから必要」と言い切ったラクスのようにそこには「無償の愛がある」から、ラクスはキラを信じたし、アスランはカガリのために戦ったし、ルナマリアはシンを求めたんですよ。

「純粋な笑顔」が「あの頃」という過去になっていても、「何度も平和の理念を誰かに問い掛け」「正義は決して動かない」のはデュランダル議長に言われたことであり、それをずっと考えて、ずっと苦しんで、それでも選んだんだから進まなければならないという中での「理想を平和とし」という、理想であって、まだ達成出来てはいない、だけれど選んだ、というのは今作のデュランダル議長、ディスティニープラン、ファウンデーション、アコードへの一つの回答ですしね。
「時空を捕まえて」「叡智が吹き抜ける」とかそもそもの歌詞がガンダムらしさに溢れているし、大好きです。

そうして最初にも少し書きましたが、今回の作品ではラストのブラックナイツとの戦闘シーンで過去にシリーズの主題歌だった「ミーティア」が挿入歌として流れる訳ですが、これも西川さんだけども、これ絶対リンクして作ってるよね、っていう……愛してしまう。

わりと大切なお知らせ

わりと大切なお知らせです。

現在、配布及び頒布している同人誌の全てをメロンブックス(女性向けフロマージュ)様に委託しました。
大変申し訳ありませんが、自家通販・発送が難しいため、既存の本と合わせて全て委託という形を取りました。

フロマージュの通販ページはこちら(fuga.のサークルページです)
https://www.melonbooks.co.jp/fromagee/circle/index.php?circle_id=106028

今のところ、在庫が切れた場合には追納を行っていますので、在庫が切れている本は

FGO
・蘆屋道満「おちかた」
・吉田松陰×高杉晋作「六道輪廻の五道に堕する」

の2冊になります。こちらはどちらも2回ほど再版と追納を行っていますので、今後余裕があれば刷るかもしれない、くらいに思っていていただければ助かります。ご入用の方は再版希望を押しておいていただければ、メロブさんからある程度要請が来たら再版するか検討します。2回やっているのでたぶん大丈夫だと思うのですが、よろしくお願いします。
直近の本で納品待ちの本はまだ反映されていませんがうまくすれば明日には入ります。申請完了・納品の発送済みで、明日からの予定と通知は来ていますので、少々お待ちください。

FGO
永倉新八×斎藤一
「亡羊の嘆」
「首を絞めて息を止めて」
「雨の日」

斎藤一×永倉新八
「白たぬき捕獲計画書」

の4冊がまだページが公開されていません。予約始まっていたらすみません、お任せなので分からないのですが、事前予約はなしにしてあるので多分大丈夫です。

いずれも少部数なのですが、通販ページが公開されましたらまた告知しますので、ご検討いただいている方はよろしくお願いします。
基本的に書店委託しているものは自家通販と違って書店様と連携しつつ最低でも一年くらいは在庫が切れないようにしているのと、
・追納の要請があった場合
・再版希望が多い場合
にはほぼ追納しているため、在庫は一桁とかの場合もありますが、買えるとは思います。
現在は

FGO
斎藤一×沖田総司
永倉新八×斎藤一
斎藤一×永倉新八
石田三成
吉田松陰×高杉晋作(在庫無)
蘆屋道満(在庫無)

PEACEMAKER
市村辰之助×山崎烝
近藤勇×土方歳三
永倉・原田・藤堂

黒子のバスケ
今吉翔一と相田リコ

を置いています。再版・追納については上記の通りですが、現在使えない特殊装丁の本などを除き、基本的には少量でも在庫が持つようにしていますので、お気軽にお問い合わせください。
価格もなるべく抑えているのですが、本自体の価格、送料等掛かってしまって申し訳ありませんが、今後は本を出す場合も基本的に書店委託になると思いますのでよろしくお願いいたします。
そう言いつつも、体の状態にもよりますが、今年はもう本を出さないと思います。今年以降は正直分からないです。そして他人様のご本を拝読できる状態かどうかもちょっと分かりません。ぜひ読みたい本がたくさんありすぎるのですが、読む速度はめちゃくちゃ遅くなると思うのと、なんかこう、上手いこと感想言えなくなったらすみません。そのことも含めて言い訳のターンを見ていただければ助かります。

言い訳のターン。言い訳と書いていますが、ご一読いただければ幸いです。

どこから話したもんかと思ったのですが、このサイトに来てブログを読んでくださる方は、ここの管理人こと緋雨とかいうのが病弱なことをご存知の方が多いかと思います。
それでこっちに書いていませんでしたが、X(旧Twitter)で今週頭に書いたのですが、久々に意識が完全になくなり、救急搬送されました。それ自体は回復したため、命に別状はないのですが、そのことでいろいろと今日までに判明したことが多く、自分でも限界を感じていたため、今週半ばころからすべての本を書店様に委託して、また既に委託しているものについては在庫の調整を行いました。

で、ですが、サイトの運営にも直接関わる可能性のあることのため、言い訳ですが書かせていただきます。

最初に結論
後頭葉の異常で視覚と脳の認識に少し異常が出ている可能性が高いです。そのため、特に文字認識についての速度や頻度が格段に駄目になりました。

ということなんですが、視覚異常といっても目が見えなくなったとかじゃなくて、脳の方の直接の異常の中で

・文字を繰り返し読んでいると気が遠くなる
・文字列が徐々に何か違う記号の繰り返しに見えてくる
・文字認識を繰り返すと意識が消失する

という感じです。そのため、視覚(物の見え方自体)や思考、言語に異常はなく、会話やこうやってブログを書くこと、Xへの投稿、小説を書くこと自体には問題がないのですが

・紙、液晶を問わず、長時間の文字認識動作を行えない可能性(ざっくり言えば読書のことです)
・特に紙の場合に顕著(これは私の独自の特性です)

が強くあります。映像や画像は問題ないので、むしろ動画やゲーム、漫画やイラストを見たり遊んだりする方が楽まであります。

もともと脳の異常による病気はいくつかあり、しかしすべて後天性のためよく分かっていない部分が多かったのですが、今回の搬送とここ数年、直近半年の記録、検査から、後頭葉の異常が大きく関わる部分が多いのではないか、という結論に至りました。
しかし、後天性かつ発病の原因が不明のため、いつから何が、どのくらいの危険性で起こっているかは正直なところ分かりません。
また、後頭葉の異常だとして私に複数ある病態をすべて関連付けることは現在の医療では不可能、とのことで、完治は難しいというか、以前からずっと異常はあったため治療は行っていたのですが、治療自体が困難であり、今までもあんまり上手くいっていなかったために入退院を繰り返していたことが何となくですが分かってきました。これが分かるまで10年以上かかったからこのサイトと同じくらいだね☆彡
また、外科手術で後頭葉の一部を切除する方法もあるっちゃあるんですが、側頭葉とか前頭葉と違って、なんかやっぱり視覚に異常が残る場合が多いんだそうですね、それ以前になんで腫瘍もないのに脳の一部を取るんだ、怖いよ。そしてけっこう珍しいらしいです、実験動物になって生きていければ楽かもしれない。

で、思考は明瞭で、言語そのものには問題がなく、動作や運動系にも問題がないですし、文字や言語自体は認識できているのですが

・本を長時間読めない可能性
・小説をアウトプットすることは出来るが、校正作業や配置などの作業に耐えられない可能性

があるため、本は作らないと思います。元気になったり、またなんか萌えることがあれば作りたいけども、現段階ではやめた方がいいと思っています。

また

・HTML、CSS等の構文をうまく組めない可能性がある(繰り返しの文字列が多いため、認識に阻害が掛かる可能性が高い)

ため、今年サイト改装しようと思っていましたが、ちょっと症状が落ち着くまでいったん今のままで。

という感じです。
ただ、読書にしろHTML構文にしろ、一日このくらいとか、ぶっ続けでやらずに30分で休憩挟むとかすれば多分大丈夫らしいので、めっっっちゃ遅いかもしれませんがゆっくりやれればいいかなと思ってもいます。
あと小説を書くのはXでやっているのですが、構文組んだり、レイアウトしなくていいからざっくり書いてこのブログに乗せたり、Xの文庫ページメーカーやぷらいべったーを使ってしまえば、2万字くらいまでなら書けるかな、と思っています。
読むほうは読み間違いとかないようにゆっくりゆっくり読んでいるので、反応が薄かったり遅かったり、RPが極端に減っていたりと本当に申し訳ありません。

基本的には元気な生き物なので、書類作成とか仕事は出来るんですけども、少し休んだ方がいいよと言われました。流石に脳の手術は嫌なので休みます。
そんな感じですが今も言いましたが基本的には元気な生き物なので、構ってもらえると喜びます。あと深刻そうにしていますが、いつも通りのダメ人間というだけなので、あんまり気にせず通販にはなりますが、本とか読んでもらえると嬉しいですし、そもそもサイトとXの小説読んでもらえると躍り出すほど喜びます。ほんとに。
最近は石田三成の話を書いたんだ!とか言っておいて終わりにします。

病弱で本当にすみません……

イザークとディアッカの話

SEEDFREEDOM感想、閑話休題でイザークとディアッカの話をします。

今回の映画で一番しんどいというか、一番辛いことをやったのがこの二人だと私は個人的にですが思っていて、「なんでだよォォォ!?」って初回鑑賞時からずっと思っています。今も思っています。
まず、イザークとディアッカが出てきた時思ったこと

「あ、二人いるんだ。映像だけかな」
「あ、微妙にしゃべった。ザフトの二人喋るには喋るんだ。」
で、たぶんモビルスーツには乗らないかなー、とか、繋ぎ役かなあー、と思っていたので関さんと笹沼さん出てくれたんだなあ、くらいに思っていました、本当に。

だからじゃないけども、二人が戦闘に出ても軽い感じかな、と思ったら作中で一番重いし、なんなら一番重要な戦闘だったと私は思っています。
だってイザークがやったの「同胞殺し」なんだもの。
ディアッカは割り切っていて「もうやるしかない」「ここまで説得に応じないなら仕方がない」とイザークに繰り返し言うけれど、イザークは最後まで説得を試みて、だけれど最後「Meteor」 が流れる中でってのがド鬼畜なワケですが「軍法に照らして」という理由で同胞を殺すんですよ。

だってこれって初代SEEDの頃からずっとあった、というか作品の根幹に当たる「ナチュラルとコーディネーター」「地球とザフト」という部分を体現しているのが結局イザークの同胞殺しであり、イザークによる「愚か者」という言葉でもあるんじゃん。別にイザークが殺した相手も、もちろんイザークも愚かじゃなかったよ。

今回の映画の主題として、というか全体として「アコード」「ファウンデーション」という明確な敵がいて、だから物語に一貫性があり、話が進む部分はあったと思います。その一方で作品冒頭~キラ暴走は結局ナチュラルとコーディネーターの対立であり、デュランダル議長の「ディスティニープラン」があり、それを継承するとファウンデーションは言ったから、だからそれを否定した「キラ・ヤマト側」主人公側が正しい、みたいに話はもっていけるし、ラクスもキラもアスランもカガリもみんな、生き方は産れや育ちでも運命でもなく、自分で決めろ!という作品のテーマでもあったと思う。そうしてイザークは軍人だし、正義感はあってもコーディネーターだから、ナチュラルとは違う。人間だけど人間じゃない。

そういうのはあるけれど、作中でのラクスとカガリの会話の中で「ディスティニープランに賛同する者がいるのも理解できる」と。カガリはナチュラルで、だけれどある種の選民思想とまでは言わないけれど、「ディスティニープラン」も「青き正常なる」もどちらも「ナチュラルが遺伝子的に正しい」「コーディネーターの方が優れている」というのはあるんですよ、仕方ないの、ある程度。

そういう全部を飲み込んで「自分で自分の生き方を決めていいし、遺伝子で人は決まらない」という作品全体の根幹はずっと繰り返されてきたけれど、そうして映画でも語られたけれども。
その中で、軍属だからという理由で自分自身はコーディネーターで、ナチュラルより恐らく優秀で、殺した中佐からも「なぜナチュラルに味方するのか」「コーディネーターとして生きてはいけないのか」と問われたら、それはイザークくらいになればそっちに揺らぐと思う。それにこの話は映画全体では枝葉末節なのかもしれない。

だけれど、イザークとディアッカは、特にイザークは自分の選択や生き方以上に、自分自身の責任で仲間というよりも最早「同胞」を殺した。それが結局ミレニアムを助けて世界を救って、だけれどキラやアスランやシンみたいに大きく取り上げられなくても、それでもあの二人がジャガンナート中佐を殺したからミレニアムは助かった。世界が助かったレベルの話ですよ。

なんでイザークがそんなことしなきゃならなかったんですかね。
自分の感情よりも世界に対する責任を背負ったのはこの映画の中でこの二人なんだよ。みんなが自分の意思で、感情で、生き方を選んだ時に、責任を果たして同じ仲間を殺して、誰にも褒められなくても世界を救ったイザークとディアッカはこの映画で一番恰好良かったと私は思いました。

どうしてそういうことさせるのォォォ!?!?!?