花盗人


 道を開けろ。
 その最後を、その最期を、看る。





「花」

 見廻りの最中に立ち止まった沖田は田んぼの畦道に咲く花を眺めていた。治安維持のこの羽織を着ているだけで、近づいてくる者はいなかったからまあいいだろうと斎藤はそれに付き合った。
 一番隊隊長と三番隊隊長が一緒に見廻りってなんだろうな、と斎藤は思ったが、まあそれもいいだろうとやっぱり適当に思った。だからフラフラ新選組だのヘラヘラ新選組だのと目の前の妹のような存在に言われるのだと思いながら。

「ねえ、斎藤さん知ってますか、この花」
「え?彼岸花でしょ」

 当たり前のことに当たり前に答えたら、沖田はふふと笑った。

「そうじゃなくて。なんでここに植えてあるか知ってますか」
「えー?そういうのは僕に聞かれてもねえ」

 そう言って、しゃがんでその花を眺めている沖田の横に、斎藤はすとんと腰を下ろした。

「じゃあ一つ私の勝ちですね」
「はいはい。沖田ちゃんの勝ち」
「むっ、ちょっと馬鹿にしてるでしょう」
「いやいや。それで?なんでここに植えてあるの?」

 いつも通り適当にあしらいながら言ったら、沖田は遠くを眺めるように、その花を通り越して実りを付けた田んぼを眺めた。

「土竜除けなんですよ」
「へぇ?」
「私の、というか私や土方さん、近藤さんのいた田舎によくあって、なんだか懐かしくなっちゃって。こんなに綺麗なのに、根っこに毒があって、土竜とか鼠が稲を食い荒らせないように植えるんです」

 懐かしいなとつぶやいた沖田に、ああ、これは郷愁かと斎藤は思った。
 その田舎を捨てて、京まで上って、たくさんの何かを斬って、何かを裏切って、そうして来た彼女の、淡い郷愁なのだ、と。

「じゃあさ、僕から問題」
「はい?」
「彼岸花の別名は?」
「え?うーんと」

 沖田は必死にその答えを探したが、自分の中にそれがないことがちょっとだけ悔しくなりながら斎藤を振り返った。

「はい、時間切れ。今度は僕の勝ち」
「じゃあ教えてくださいよ」
「まんじゅしゃか」

 沖田にはそれが全てひらがなに聞こえた。曼殊沙華、だ。まんじゅしゃげ、と言うべきところを、彼はまんじゅしゃか、と言った。釈迦の手のひらのような花だと言った。

「彼岸に一番近い花さ」

 斎藤はへらりと笑った。
 彼女はその笑顔を、なぜか遠いことのように見つめた。





「斎藤さん」

 ほっそりとした腕が、半身を起こした彼女から伸ばされて、その手を、指を絡めるように斎藤は沖田の手を取った。
 彼女が今いるのは江戸だった。もう彼女に戦う力は残っていない。
 それを分かっていて、そうして自分自身も北へ北へと敗走していくのだと知りながら、そのことを告げようか告げまいか、そう思いながら斎藤はここに寄っていた。

『副長はどうします』
『俺はいい。あいつに泣かれたくない』
『そーいうとこですよ』

 そんな会話が遠いことのように、斎藤は伸ばされた手を、指を絡めた。

「寄ってくれたんですね」
「うん」

 ああ、まだ彼女の手には熱がある。温かさがある。そう思うだけでどこ安堵している自分がいた。

「斎藤さん、ありがとうございます」
「え?」
「松本先生に聞きました」
「何を」

 訊ねながら、これを聞いてはいけない、と頭の中で何かが鳴るのを斎藤は感じていた。

「近藤さんを看取ってくれて、ありがとうございました」
「ぼく、は」

 沖田に言われた言葉に、斎藤はそのほっそりとした指をぎゅっと握りしめて、絡めていた腕ごと彼女の半身を抱きしめた。

「ごめんね、止められなかった」
「いいんですよ。私はもう戦えなかった。近藤さんのもとにいられなかったけれど、土方さんとあなたはいてくれた」

 だから、ありがとうございます、と告げた彼女に、斎藤は返す言葉を持たなかった。

「礼を、言われることじゃない」

 吐き捨てるように言いながら、だけれど彼女を抱きしめることはやめられなかった。これではまるで、自分の方が縋っているようだ、と思いながら。

「ねえ、斎藤さん。ここはね、案外田舎だから、庭に曼殊沙華が咲くんです。あってますよね?曼殊沙華、彼岸花のことですよね?」

 昔教えたその花の名を、沖田は確りと確かめるように斎藤に言った。彼は抱きしめる腕を緩めて、彼女の目を見て言った。

「よく覚えてたね」
「えへへ」

 笑った彼女は、庭の一角を指差す。そこには確かに彼岸花が咲いていた。

「私は」
「うん」
「彼岸に行けるでしょうか」

 笑いながら、だけれどその笑顔はとても冷たかった。

「お釈迦様の手のひらに、乗れるでしょうか」

 ゆっくりと目を閉じて、彼女は言った。その言葉の意味が、彼には怖かった。

「無理、ですよね。人を殺め過ぎました」
「そんなこと、ない」
「そうでしょうか」

 きっとこれは罰だから、と続けた沖田を、今度こそ斎藤はしっかりと抱きしめた。

「そんなこと、言わないでよ」
「だって」

 ぽろ、と涙が斎藤の肩口に落ちた。

「大丈夫だから。僕が最後まで見ているから」

 言葉に、彼女の目から大粒の涙がいくつもいくつもこぼれた。

「斎藤さん、ごめんなさい。あなたにはいつも、新選組という、小さな集いから始まったすべてを見届けさせてしまう。看取らせてしまう」
「いいんだ。それが僕の在り方なんだろうから」
「だけど」
「君の最後も、副長の最後も、新選組の最後も、僕はきっと見届ける」

 だからあの花は摘んでいくよ、と斎藤は続けた。

「花盗人に、罪はないですから」

 沖田は泣きながら、笑いながらそう言った。
 彼女の命が尽きるまで、そう時間はかからないだろうと彼は思った。





 手がかじかむ。
 会津の地は、刀一つ抜くこと、銃を一度構えることさえ億劫なほどに冷えた。
 土方は、北へ行くという。

「新選組は終わったんだ」
「俺がいるところが新選組だ。近藤さんがいない今」
「局長は死んだ。沖田ちゃんも死んだ。あんただけで続けるのか」

 問いに、土方は頷いた。
 だから斎藤は、ああ、ここまでだと思った。

 自分の見届けるべき「新選組」というそれは、ここで終わるのだ、と思った。





 明治の世は、ずいぶんと変わったものだと思いながら、斎藤はざっくりと髪を切った。もう伸ばしていても短く切っても頓着などなかった。

「彼岸の花、か」

 明治の世になっても、田んぼや畑は変わりがない。
 土竜除けだと彼女の教えられた花がそよそよと風になびいて、そうして畑を守っていた。





「終わりまで」

 末期に彼はつぶやいた。
 道を開けろ。進み続けろ。
 その最後を、その最期を、その末期までもを、看続ける。
 見届ける。





 斎藤一という男は、その新選組での、あるいは西南の役での多くを、終ぞ語らなかったという。





「おーきーたーちゃん」

 食堂でコロッケそばを食べた後に、まだ食事中の沖田の顔をへらっと斎藤は覗き込んだ。
 カルデアでの生活にも慣れたものである。

「どうしたんですか、斎藤さん?仕合?仕合?」
「お前はもうちょっと物騒さを隠そうね」

 呆れながら言って、彼は後で部屋に来てよ、とだけ告げた。
 彼女は首をかしげて、それからはいと答えた。





「これ、あげる」
「え?」

 斎藤が差し出したのは彼岸花だった。

「こないだマスターちゃんのレイシフトに付き合った時に摘んできてさ」
「あの、これ」
「お前は彼岸に行けたから、ここにいるんだよ」

 優しく、すべてを見届けた男は言った。

「さいとう、さん、わたし」
「大丈夫、ずっと見ていたから。ずっと見ているから」

 へらりと彼は笑った。その浅薄そうな笑みの裏に、どれだけのものを抱えているのか知っているから、彼女は笑いながらぽろりと一粒涙を零して言った。

「花盗人に、罪はないですから」

 いつかと同じその言葉に聞き入るように、彼は彼女を抱き寄せた。