ひどいひと
「どうして、優しくするのです」
どうして?私が仲間だからですか?
「好きだから」
あっけらかんと男は言った。
「じゃあどうして」
どうしてその足で廓に行くの?
「それもまあ、好きだから」
「分かりません」
短く言ったら、男は笑った。ひどく面白そうに。
*
「おーきたちゃん」
はい、と斎藤さんは白粉の匂いも酒の匂いも落とさずに、私にひょいっと包みを投げた。中身は綺麗な櫛で、廓から帰ってきたばかりの彼から受け取るには何となく嫌な品だった。
女が身につける品だから、と思ってそれから自分も女だろう、と自嘲気味に思う。
「お風呂にでも入ってきてください。酒の匂い、ひどいですよ」
白粉の匂いのことは言わずに、その包みを適当に脇に置いて言ったら、彼はやっぱり面白そうに笑った。
「おねーさんに『女の子が喜ぶもの』って見繕ってもらったのにそれはないんじゃない?」
ほら、やっぱり。他の女の人が選んだものなんて、と思う。
「島原には綺麗なお姉さんがいっぱいなんでしょうね」
ため息をつきながら私は言った。そこに行く前に「好きだから」と宣った彼のことが、この頃分からない。
「うん。綺麗だし、やらせてくれるし」
「あなたのそういうところが私は嫌いですよ」
いつもみたいにへらへらじゃれついてくる時は少しも思わないのに、こうして女を抱いて帰ってきた彼は嫌いだ。だけれど彼は廓に行くのは私のことが「好きだから」、なんていう嘘みたいなことを言う。みたい?違う。どうせ嘘だ。
「だって沖田ちゃんは何あげてもやらせてくれないし、お酌もしてくれないし」
「子供ですか、あなたは」
今度こそ呆れかえって言ったら、彼は可笑しそうに笑いだす。酒が入っているからかもしれない。
「そーそー、副長にも言われるけど、どうせ僕はクソガキですよ」
「絡まないでくれますか?」
私は面倒になって冷たく言う。そうしたら、その男は私に抱き着いてきた。酒はまだいい。白粉の匂いが嫌だった。
「ねぇ、僕が廓のお姉さんに頼んで買ってきたお土産どのくらいたまった?」
「数えてません」
そうだ、彼は数えきれないくらい廓に行って、そのたびにどうでもいい土産を買ってくる。
「ねぇ、それって頭にこない?」
「もう怒るのも飽きました」
「困るなぁ」
飽きたと言ったら、斎藤さんはやっぱり笑って「困る」と言った。
「だって、大枚はたいてそこまでやっても、沖田ちゃんが嫉んでくれなきゃ意味ないじゃない」
「は?」
「あそこにお前より上等な女がいるはずないってなんで気づかないの?」
笑って男は言った。櫛、簪、手毬、帯留め……もらったたくさんの物は、だけれど私には使いどころのないものばかりだったと思い出す。
使いどころ?そう思ってから私はどうにもやりきれない、酷く陰鬱な気分になった。
「だってどうせ使わないものをこうやって買ってきてるんだから、察してよ」
「子供の相手できるほど、私は暇じゃないんですよ」
そう言ったのに、彼は一層私を強く抱きしめた。
「困るよ、沖田ちゃんに相手してもらえなくなったら生きてられない」
この大きな子供をどうしてくれよう、と思いながら、私はそれでも仕方がないと相手をしてしまう自分がどうにもならないのを感じた。
「困ったひと」
それはどちらのこと?
そう思ったら、彼は私が捨てるように脇に置いた櫛を拾い上げて包みをほどく。行灯の火の下で、その繊細な品が目に入って、私の心臓は跳ねる。これから起こることが分かっていたからかもしれない。どんな女性が選んだのだろう。凝った花の彫り物がしてあるその櫛で、彼は私の髪を梳いた。
「こうして、髪を梳くのも」
そう言って武骨な手がゆっくりと髪を撫でる。咽返る様な髪油の匂いがした。
短く切った私の髪ではきっと使うことのない化粧道具の匂い。
「好きでもないおねーさんにお金渡して買ってくるのも」
馬鹿なことを言わないで、と言いたいのに、どうしてそれが言えないのだろう、と私はぼんやりと思う。その櫛だって、きっと髪を梳くための櫛ではないことを知っていた。着飾って、結って、挿すための美しい櫛。それこそ、その咽返る様な香りの髪油を塗って。
私にはきっと似合わない。似つかわしくない。
「好きだから、なんだけど」
女もののその香りをまとったまま、彼はゆっくりと私に口づけて横になる。
一晩限りの関係と、何度も続く関係。どちらも同じことだと思った。
……ひどいひと。
せめてその香りを落としてからにして。
*
彼の手が私の肌に触れる。酒が入っているからだろう、その手は熱を帯びていた。それとも、私の体が冷えているのだろうか。
「気に入った?櫛」
「いいえ」
だから私は静かに答える。彼が何を贈ってくれても、それはどうしてか響かない。それよりもこうして体を重ねることの方が私にはひどく嫌で、ひどく好ましかった。その対極にある感情は、自分でも御しきれない。
「触らないでほしいです」
「なにを?」
「私以外の女の人」
熱を帯びた彼のその手が、私より先に廓の女の人にやさしく触れたのだ、と思ったら、悋気が沸いた。そんな関係ではないのに、とそれから思う。そうしたら、彼はやっぱり面白そうに笑った。
「不満?」
「べつに」
小さく答えたら、彼の手がふと私の乳房に触れる。そうしてそのまま肌をなぞって、それから彼は遠慮もなしに秘所にその手を下ろした。前戯どころか情緒も何もない。体だけの関係と割り切っているけれど、私は遊女ではないからこういう時に彼をどんなふうに悦ばせればいいのか知らない。知らないのに繋がっている。
「冷たい」
ぽつりと斎藤さんが言う。
「寒かった?」
「今日は冷えますから」
私の太ももを撫でて、彼はそう言うから、私はそう答えた。冷えるから、と。冷たいのは仕方がない、と。
あなたのために、体を温めておけるような女なら、何か変わったのかもしれない、と。
*
「私たちの関係ってなんですかね」
「ん?どしたの急に?」
彼の腕を枕にしながら、行灯の火が揺れるのを眺めて私は言った。情事に慣れるなんてそれはそれでおかしな話だが、彼は優しい。そうしてそれはきっとどの女性に対してもそうなのだろう。廓の女性だけではない。一晩限りの女性だろうと、私だろうと、それはきっと変わりがない。
「いくらでも代わりはいるでしょうに」
「えー、沖田ちゃんが相手してくれなくなったら僕生きていけないよ?」
「じゃあ私たちはどんな関係なんでしょうね」
不毛だと知っていて問いかける。一晩限りだろうと、何度も体を重ねようと、それは一緒のような気がしたから。
「好きでもない女と何度も寝たりしませんよ、僕は」
嘘にしか聞こえないことを彼は言って、そうして笑って私を抱きしめた。まだ香油の匂いがする。
ああ、と思う。
体で彼を繋ぎ止められるなら、それでもいいと思っているのは私の方だ。
彼をそれで繋ぎ止めることが出来るなら、とずっと思っているから。
「馬鹿ですね」
それはどちらに向けて言った言葉だろう。まだ白粉の、香油の、女の匂いがする。
*
「などという過去を清算したく」
「だからサーヴァントになったとか言ったらぶん殴るからな」
副長の眼前で正座して僕は言った。カルデアの床冷たい。リノリウム、だっけ?板の間より冷たい。でも副長の視線の方がもっと冷たい。
「お前な、女遊びが激しいだけならまだしも沖田に手ぇ出してたのは知ってたが」
「はい」
「てっきり本気だと思ってたぞ」
「本気でした!」
力を籠めて言ったら副長は大きく息をついた。
「じゃあなんで女遊びしてた」
「……気を引きたくて」
「クソガキが」
ぼそっと言ったら一言で切り捨てられた。
「助けてくださいよー、邪馬台国の時はあんなだったのにカルデア来たら毎日ほぼ無視されるんですよ?同じ編成の時も無視されるんですよ!?」
「当たり前だろ」
もうこれは副長に縋るしかないと思って泣きついたのに、取り付く島もない。
「ひどい」
「ひどいのはあなたですよ」
「はいっ!?」
そこに急に副長以外の声が掛かる。沖田ちゃんの声だとすぐに分かるが聞いたのいつ振りだろう、と考えは飛躍した。
「お、沖田ちゃん、ご機嫌麗しゅう」
「馬鹿ですか、斎藤さん」
びくっと答えて、それから僕は正座のまま沖田ちゃんを振り返る。
「ほんっとうに他意はなくて、本命は沖田ちゃんで、気を引きたくてやってました!今は反省してます!」
一周回って人生全うしたら自分が最低男だと気づきました!と叫んだら、沖田ちゃんは盛大にため息をついた。ついでに副長も眉間に手を当てている。
「そんな子供みたいなことは沖田さん分かっていたから付き合ってあげてたんです。好きでもないのに付き合うはずないでしょう」
「え?」
「それから、この廊下結構音響きますから、明日からひどいですよ」
そういえば、副長を見つけたのは廊下で、そこで正座して直談判していたな、なんて思った。それに気づいてうわああと叫び出したら、呆れかえったように、それでも柔和に笑って、沖田ちゃんは言った。
「本当に、ひどいひと」
*
「ねえ、本気?」
「そうでもなければ誘ったりしませんよ」
「沖田ちゃんから誘われるの初めて、だったりするんでけど」
ひと悶着あってから、カルデアの沖田ちゃんの部屋に呼ばれて、そうしたら彼女はベッドに僕を引き倒した。そうして一言、「抱いてください」と言った。
「本当に、嫌だったんですよ」
「え?」
「櫛も、簪も、帯留めも、何もかにも。あなたから贈られるものは全部私には似合わない」
「そうだったね」
僕はあっさりと肯定してしまう。こういうところが「ひどい」と言われるところなのだろうけれど。
装飾品も、髪油も、香油も、何もかにも彼女には似合わない。似合わない?そうではない。必要がない。そんなもので着飾らなくとも、彼女よりも上等な女なんていなかった。
そう、分かっていたのに、どうしても彼女の気を引きたくて、彼女の悋気を駆り立てたくて。そう思ってそれから、それは彼女が自分を好きでいてくれなければ成り立たないことだと気が付いたのが、彼女とそんなふうにしている余裕もなくなってからだった、というのが滑稽な話なのだけれど。
「分かっていたくせに」
「うん」
彼女の答えにそう応じて、ゆっくりと口づける。いつか、性急に手を出したときとは違う、呼吸を交換するようなそれに、彼女はぼんやりと僕を見上げた。
「やさしくして?」
もっと、やさしく。
もっと、激しく。
もっと、温かく。
もっと、冷たく。
相反する感情が自分たちの間に伏流していることを、過去からずっと知っていた。
「斎藤さんの匂いがします」
「沖田ちゃんの香りがする」
そこにはなんの化粧道具の香りもない。ただ、好いた女の香りと、自身の汗の匂いだけがあった。
「女の人の香りがしないだけで、あなたを近くに感じるなんて」
苦笑するように、それでも可笑しそうにその女性は笑った。すべて分かっていながら、呑み込んでいてくれた彼女は笑った。笑って、もう一度言う。
「ほんとうに、ひどいひと」
その言葉に、僕は薄く桃色に色づいた柔肌にゆっくりと触れた。