本来無一物


「そういえば、ちょっとだけ気になっていたのですが」
「んー?」
「斎藤さんって、コートだのスーツだの着こなしますけど、実際どうだったんです?」

 沖田ちゃんに問われて僕は言葉に詰まる。実際、ってなんだよ、と。

「それは、どういう?」

 だから思ったままを返したら、不思議そうにきょとんとされた。

「いえ、私は早死にでしたから。土方さんも函館で死んじゃったっていうし、斎藤さんの生きた時代はどうだったんだろうなあとちょっと思っただけです」

 その言葉に、もう一度返答に詰まる。どう、だったんだろうな。
 おまえとも、副長とも別れて、新選組から抜けて、それからも戦って、生きた俺は、どうだったんだろうな。

「……ラーメン」
「はい?」
「今晩、12時にラーメン奢ってくれたら話す」

 だから思わずそんなことを言う。断ってほしいわけではなくて、ただ、そんな時間にそんんなふうに夜食を食いながらでもないと、本当のことを言う自信がなかった。

「エミヤさんに怒られますが……その交渉も私ってことですね」
「そーいうことだけど、どうする?」
 あの兄ちゃん恐いよ?と続けたら、笑われた。

「私の方が付き合い長いので。頼んできますよ」

 その笑みが、どこか優しかったことが、どうにも胸に痞えた。





 西南戦争に行った話、警察時代の話、家族の話。
 一頻り話したら、ラーメンの丼は空になっていた。向かいでホットミルクを飲みながら(眠れなくなるから、なんて言っていた。もうこんな時間だから明日まで寝ても大して変わらないと思うのだが。そんなだからクマが取れないのか)、沖田ちゃんはそのどれも興味深そうに、それでも何か深入りするようなことはせずにじっと聞いていた。
 だから、本当は。
 本当に、おまえにしたい話は。

「あの、さ」
「はい」
「最後に会った日、覚えてる?」

 ああ、本当は、こんな話したくないのに。ああ、きっと、眠れなくなってしまうから。

「土方さんと、寄ってくれた日ですか」

 目を細めて彼女は言った。ああ、そんな日が確かにあったのだと僕はぼんやりと思った。

「あの日、おまえは北に行くなと言った」
「ええ」
「北はさ、寒かったよ」
「そうでしょうねぇ、沖田さんにはきっと耐えられませんでした」

 脈絡のない言葉にも彼女は静かにそう応じた。

「寒くて、刀を持つ手も、銃の引き金に掛けた指も凍えた」
「あなたは」

 ゆっくりと彼女は言った。

「そこで戦って、そこで生きた」
「うん、ただそれだけ」

 そのたったそれだけの、ただそれだけのことが、彼女にはどれほど難しく、どれほど憧れたことだろうと思いながら、僕はぼんやりと言った。

「死にたかったと言ったら怒るだろうか」
「……いいえ。私たちは―――」

 新選組というそこは、確かに多くの場所を、目的を、理念を目指した。だけれど。
 だけれど、もし死に場所を求めたと言っても許されるなら。

「北に行く副長を止めたかった。死なせたくなかった。だけど」

 だけれど、これを言葉にしていいのか、形にしていいのか、僕にはずっと分からなかった。

「どこかで、止まりたかった。それが死という形でも」

 ごめん、と空になった器に目を落としてつぶやいたら、彼女はやっぱり笑った。

「あなたは、新選組以外にも帰る場所を見つけたし、戦う理由を見つけた」
「うん、だから、ごめん」

 こんなこと言うのは、彼女にも、新選組の仲間にも、会津の仲間にも、家族にも、みんなに対してひどいと知っていたから、こんなこと、どうして沖田に俺は言ったんだろう。

「でもね、斎藤さん」

 ゆったりと、女は言った。

「本来無一物。帰る場所も、死ぬ場所も、どこにもきっとないんですよ」

 言葉に、俺は一瞬返答に詰まる。それからなんだか可笑しくなって、そうして生きて死んだだけの自分を思って、笑ってしまった。

「難しいこと言うのね、ずいぶんと」
「あら、私が難しいこと言ってはいけませんか?」

 帰る場所がないなら、死ぬ場所がないなら、それが不幸だと言うのなら。
 何を幸福だと信じて、何を不幸だと信じるのか、誰にも分かりはしないのだから。

「面白くない話で悪かったね」
「いいえ、とても楽しかったです」
「ラーメン一杯奢るくらいの価値はあったかな」

 この期に及んでそんな軽口を叩いたら、沖田ちゃんは笑った。
 もう遅いから、今夜は寝よう。


2021/7/5