感情
「好きっていう感情は、どうなんですかね」
「どうと言われてもな」
土方はぼんやりと食堂で茶を飲みながら言った斎藤に適当に相槌を打つ。いや、そこまで適当ではないのだが。
「なんていうんですかねぇ。沖田のこと女に見えるってどうなんですかね」
「どうというか、アイツは間違いなく女だろ」
「分かってますけど」
そう言ってから、彼は付け足すように言った。
「分かってましたけど」
男に接するように、だけれど誰かに取られるのは嫌で、誰かに見られるのも嫌で。風呂だって、血を落とすときだって、寝ているときだって。本当は女だと知っていた。だから誰かに見られるのが嫌で。だけれど、男に接するようにしないと、それは侮辱のようで。
「昔話、なんですけどね」
「ああ」
土方は斎藤の遠くを見るような目に短く応える。そう、悪い話ではない、というよりも、このしこりをどうしてか放っておけないのは自分の部下だからか、それとも、どうにも不安定なのが見過ごせないのか、と思いながら。
「沖田が死んで、あんたが死んで。それで僕は戦って、負けて、逃げて」
「……そうだったな」
「そうして、愛する人と家族が出来たんですよ」
述懐は、どこか遠かった。
「本当に、愛していたんです。だけど」
「だけど?」
「どうしても、隊のことが忘れらなくて。あんたのことも、沖田のことも、何もかにも」
自嘲するように彼は言った。それに土方は押し黙る。縛り付けたのは、誰だろう。いや、誰でもない。彼自身だと知っていた。
「それがひどく申し訳ない気がして、だけれど僕は……生きるってことを、壬生で学んだ。戦うってことを隊で学んだ。愛するってことを」
そこで彼は言葉を切る。
「何かを愛して、何かを慈しむことを、あそこで学んだから」
寂しそうに、悲しそうに、それでいて優しく、彼は言った。
「好きだったんですよ、沖田のこと」
そうして、ぽつんと言う。
「なんていうのかなあ、じゃれ合うのも、斬り合うのも好きだったけど、誰かに裸見られても気にしないアイツが嫌だった。男みたいに振舞うアイツが嫌だった。それに気づいたのが、家族を持ってから、なんですよね」
自嘲気味に彼は言った。それに土方は押し黙って、それから言った。
「そういうもんじゃねぇか」
「そういう?」
「気づかない、そういうことには。ましてあそこじゃあな」
「え?」
彼の言うことが分からなくて、斎藤は聞き返す。それに土方は言葉を選ぶように言った。
「新選組は戦うためにあった。アイツは誰よりもそれを貫いた。お前もだがな。だけどな」
土方には珍しく、ひどく慎重に、言葉を選びながら、続ける。
「沖田は女だった」
「……はい」
「そうしてそれに気づかないままに死んだ」
「……」
その言葉に今度は斎藤が押し黙る。それに、土方は続けた。
「それでおまえも、それに気づかないままに戦って、生き延びて、そうしてそういうことを知った」
「そう、ですかね」
聞きながら、でも、分かっていた。女だと知っていたのに、気づいていなかった。知っているのと気づいているのにはどうしようもない落差があることを知ったのは、確かに彼が言う通り、自身が隊以外の居場所を手に入れてからだった。だけれど、それでも。
「それでも、僕は新選組だったことがずっと忘れられなかったんですよ」
「そうか」
短く土方は応じる。
「だから、あの組織の中で女なのに男で、男なのに女だった沖田のことが分からなくなった」
ずっと、好きだった。だけれど、それはひどく淡い思いだった。それが鮮明になったのが、自身が愛し、自身を愛してくれた人に出会った時だったことが、ひどく、胸に痞えた。
「好きだった。だけど、僕はそれが分からなくて。ただ一緒にいたくて、失いたくなくて、それがどういう感情なのか、分からなくて」
「……」
それを土方は黙って聞いていた。
「それが、カルデアに来たら、沖田は女で、笑って、僕の知らない顔をして。そうしたらもう好きだっていう感情が本物だったって分かって」
「そういうもんだろ」
男と女なんざ、と土方は続けた。それに斎藤は困ったように笑った。
「駄目ですね、僕」
*
「沖田ちゃん」
「はい?」
沖田は食堂で食器を片付けていたら、斎藤に呼び止められる。それに律義に振り返って、それから彼の顔がいやに真剣なのに沖田は少し首を傾げた。
「この後暇ならちょっと話さない?」
この人はまた、と彼女は思う。きっと、どうしようもないことで悩んでいるんだろう、と。だから応えた。
「いいですよ」
*
「あの、さ」
話さないかと言いながら、何から話していいのか分からないのが本当のことだった。土方に話したように話すのも違う、と思っていて、彼は彼女と相対しながら、最初の言葉からずいぶんな時間押し黙っていた。
「僕、奥さんいて」
「はい」
だけれど沖田はその沈黙もすべて分かっているようにゆっくりと答えた。
「愛してた、ほんとに。だけど」
だけど、なんて、本当に言っていいんだろうか、と彼は思いながら続ける。
「隊のことが、おまえのことが忘れられなくて」
ずっと、ずっと、忘れられない一つきりの恋。恋?本当に?と思いながら、彼は言った。
「好きだった、おまえとが」
ずっと、と続ける。それに彼女はゆっくりとうなずいた。
「覚えていてくれて、ありがとうございます」
好き、という言葉への返答がそれでいいのだろうか、と彼女は思った。だけれど、それ以外の言葉が思いつかなかった。それに彼は、泣き出したいような、寂寞と郷愁と、そうして愛おしさを抱いて、顔を覆った。
ああ、泣いてしまう。
2021/2/13