禁煙


「来月結婚する」
「そうなんですか、ちょっとびっくりです。でも今の彼女さん長いですもんね」
「まあね」
「あ、前から言ってたんですが私来月から地方転勤でお式とか」
「あ、式は当分しない予定だから、一応報告まで」
「すみません、なんかわざわざ」
「うん、まあね」
「なんです、その顔」
「いや、沖田ちゃんってかわいいなって思っただけ」
「浮気は駄目ですよー」
「はいはい」

 来月結婚する。遠い出来事みたいに。何も思わないかな。まあ別に、引き留めてほしい訳でも、引き留める権利もないからいいけど。

「じゃあ、ちょっと用事あるので。バタバタしててすみません」
「いや、忙しいときにごめんね」

 ごめんね、ほんとに。

「なんで斎藤さんが謝るんですか」

 なんでだろね、何となく、謝らなきゃいけない気がして。馬鹿みたいだ。





「なんでこーなるの」

 部屋に置いてあったのは破かれた婚姻届と婚約指輪。別にいいけど、浮気してたのなんて知ってたしさ。ついでなのかなんなのか知らないけど、隣にご丁寧に結婚式の招待状とか、嫌味もここまでくると爽やかだな。

「まあまあ誠実にやってたつもりですよ、僕は」

 彼女には捨てられるし、沖田ちゃんは来週から地方転勤だし、踏んだり蹴ったりだ、と思ってそれからつぶやく。

「まあ、浮気はしてないけど僕も似たようなもんか」

 煙草でも吸うかな、ひっさしぶりに。そういやこの子は気にしない子だったけど、沖田ちゃん嫌いなんだよね、と思ってもう一度つぶやく。

「こんなんだから捨てられるんでしょーが」

 分かってましたけどね。





 煙草とビールという最悪な組み合わせでぼんやりしていたら(さすがにぼんやりしますよ、婚約までした女に捨てられたんだから)、マナーモードのスマホが振動する。めんどい、と思ったけれど、ディスプレイに映った名前は――

「沖田ちゃん、どしたの?」
『斎藤さん、ちょっと部屋の前まで来てるんで上げてもらってもいいですか』
「は?」
『いや、ちょっといろいろありまして』

 僕はそれに意味が分からないままに煙草を咥えたまま玄関を開ける。だいぶ酔ってるのかもしれない、とどこか明瞭な一部の思考が思った。

「あ、タバコ吸ってる。久々に見ましたけど駄目ですよ、健康に」
「いや、それはいいから急になに。ちょっと取り込んでて」

 突然の闖入者は慣れたものでパンプスを脱いで部屋に上がった。この部屋上げるのは初めてだな、とかどうでもいいことを思った。

「あのですねぇ、私の勤め先って全国展開のそういう会社ですよね」
「そーいうね。探偵までは言わないけども」
「まあだから個人情報保護とかどうでもいいんで言いますけど、結婚詐欺ですよ、それ」

 前から言おうと思ってたんですけど、痛い目見た方がいいかな、とか思ってて、と彼女は続けた。

「早めに言ってくんないかな、そういうの」

 それに僕は盛大なため息をついてびりびりの婚姻届と結婚式の案内状を指差す。

「掻っ攫ってあげましょうか、沖田さんが」
「は?」
「どこでも連れてってあげるって言ってるんですよ」

 ここ以外のどこにでも、と女は言った。なにこれ、いろいろ逆過ぎない?

「男前すぎて惚れるわ」
「じゃあまずは禁煙から、ね?」


2021/3/15