昔の話
それは祈りに似ていた。
それは怒りに似ていた。
*
「斎藤さん、だ」
カルデアの一角で、私はじっと斎藤さんを見ていた。斎藤さんと、その斎藤さんと当たり前のように話をする土方さんを見ていた。
芹沢さんを斬って、山南さんがいなくなって、それから、それから。
短く切り揃えられた髪、洋装、どうして。
どうして、私は一目見たときから彼が斎藤一という男だと分かったのだろう。
私の行けなかったところに行けた人なのに、と思った。
*
「おーきたちゃん」
「ひゃいっ!」
突然顔を覗き込まれて、その上むにと両頬を摘ままれたから、私は変な声を出して、それからそんな声でそんなことするのは斎藤さん以外いない、と思って顔を上げた。
「顔硬いよ。ここじゃあいっつも信長公たちとへらへらしてるじゃない」
ほらほらとむにむに頬を引っ張る斎藤さんに、私は必死に言い返した。
「やめてくらひゃい」
「沖田ちゃん、最近ずいぶん熱視線ですね」
そんなに二枚目に惚れちゃった?とふざけて言って、斎藤さんは私の頬をぱっと放した。
「跡が付いたらどうするんですか、もう」
私は引っ張られていた頬をさすりながら斎藤さんをねめつけた。短い髪、今日は洋装どころかスーツだ。ひどく、違和感がある。
「それで」
「はい?」
「いや、僕が副長と話してるとさ、特にだけど、すっごく見てくるじゃん」
「……」
どうかしたの?とへらりと聞いてきた斎藤さんは、もしかしたら全部分かっているのかもしれない、と思った。そんな幻想を抱いた。
それは祈りに似ていた。
それは怒りに似ていた。
「あなたは、行けたのに」
「え?」
「どうして、分かってしまうんでしょうね、私は」
ああ、そうだ。
洋装の斎藤さんなんて見たことがない。いや、一度だけ見たけれど、それは、「見た」というだけのことだ。
私は、並びたかった。
その洋装を着て、どこまでも行きたかった。
「どうして、ですか。どうして、私はあなたが斎藤一だと分かるのですか」
茫洋と、迷子のように、私は斎藤さんにずっと抱いていた疑問をぶつけた。山南さんも、芹沢さんも、あの頃のままだった。だけれど斎藤さんは、私と立ち合った時以外、芹沢さんを斬った時以外、洋装だった。
どうして、私は分かってしまうのだろう。
どうして、私は行けなかったのだろう。
「私も、それを着て、土方さんと」
「ねえ、じゃあどうして僕はお前が『沖田総司』だって分かるの」
私の言葉に重ねるように、斎藤さんは言った。
「え?」
「ね、なんでそんなふうに可愛く笑うの?その桜色の着物は何?第六天魔王って誰?僕たち以外の仲間でもいるの?」
斎藤さんは私の顔を覗き込みながらゆっくりと言った。それはまるで、怒っている時の斎藤さんだった。
「怒って、ますか」
「わりとね」
なんで、と聞こうとしたらぽすっと頭を撫でられて、斎藤さんはそのまましゃがみ込んでいた私の頭を胸の中に引き寄せた。
「どれだけ心配したと思ってんのさ」
「なん…で?」
「この姿をさ、これじゃねえか、洋装、新選組の。それを沖田ちゃんが最後に見たのは、僕が千駄ヶ谷に寄った時、で合ってるね」
「は、い」
そうだ、だから「見た」だけなんだ。確かにその恰好をしている斎藤さんを私は「見た」。そうして、銃を構えて洋装でいる土方さんなんて「知らない」。なのに、私の中で二人は間違いようもなく二人のままだった。
「だけれど君は、僕のことを一目で斎藤一だと分かった。それがどれだけ怖かったか」
「こわ、い?」
斎藤さんの言葉に、私は自分の中の傷が抉り出されるような感覚を覚えた。体が小刻みに震えた。そうだ、怖い。土方さんと斎藤さんを見ていると、私も怖い。
その震えを止めるように、ぽんぽんと斎藤さんは私を抱きしめて背中を叩いた。まるで、子供をあやすように。
「怖かったよ、ほんとにさ。だって『斎藤さん』って言うんだもん。羽織も着てなきゃ髪も短いのにさ。その上、信長公を探すだのなんだのって、もうほんとに、怖かった」
「何が、怖いのですか?」
恐る恐る聞いたら、彼が頭上で笑う気配がした。笑うところじゃないでしょう、なんて言えたらよかったのに、私には恐怖の方が勝っていた。
「だって、僕の知ってる沖田ちゃんじゃなかったから」
やめて、違います、私は、新選組の―――
「誰この別嬪ちゃんって思っちゃったよね」
そう言われたから、私はたまらなくなって斎藤さんを押しのけるようにして立ち上がった。彼はやっぱり笑っていた。
「どうして、笑えるのですか」
「うーん、ほら、沖田ちゃんもいつもみたいに」
そう言って私に突き飛ばされることなんてない屈強な男の斎藤一は立ち上がってまた私の頬に触れようとした。だけれど私はその手を思わず振り払った。
「私は!」
私は、あなたが斎藤さんだとすぐに分かった。
あなたが、私のことを分からないとしても、きっと私はすぐに分かった。
もし魂なんてものがあるんだとしたら、近藤さんも、土方さんも、山南さんも、斎藤さんも、私は魂から知っている。生き様を知っている。
「これじゃあまるで、私は、私が変わってしまったように見える!」
私は戦いたかった。
病を得て止まりたくなどなかった。
「私は、あなたと同じ服を着て、あなたの隣で、土方さんの隣で、戦い続けたかったのに」
私は気が付いたら泣き出していた。こんなふうに感情を表現すること自体が、変わったことに斎藤さんには映るのだろうと思いながら。
「どうして、あなたは進めたのに、私は止まってしまったのですか。どうして、止まってしまった、変わってしまった私のことが分かるのですか」
ああ、そんなもの、誰にも分からないのに。
私は、彼がその答えを言わないでくれと祈るように、呪うように、目を閉じた。頬を滴が伝った。
「沖田ちゃんはさ」
その頬を伝う滴を、斎藤さんは優しく撫でた。
「ほんとのところは変わってないと思うんだ」
「変わったとあなたは言いました」
「うん、すっごく可愛くなったよ」
「どうして……」
私はそこに行きたかったのに、あなたを見送った後にどれほど泣いたか。
どれほど祈ったか。
どれほど恨んだか。
どれほど怒ったか。
どれほど……あなたたちがこれ以上傷つかないことを願ったか。
「もう、傷つかないでほしかったのに、あなたたちは先に行ってしまった」
「そうだね」
「その終焉までもを、見届けさせてしまった」
私にはそれが、と言いかけたら、とんと唇に手を当てられた。私は紡ごうとした言葉を斎藤さんにせき止められたのだ、とぼんやり思った。
「分かってる、全部」
「嘘です」
「沖田ちゃんの祈りも、怒りも、恨みも、願いも、分かっていながら僕たちは先に進んだ。お前を置いて、ね」
ああ、この人は分かっているんだと思ったら私は本当に泣き出したくなった。
あの日、あなたを見送ったときに、私は戦いたいと言った。
あなたは駄目だと言った。
これより先は地獄故、と彼は言った。
私が堕ちるのだってきっと地獄だと知っていたのに。
「沖田ちゃんには人斬りなんて似合わないよ」
『沖田ちゃんはもう人斬りなんてしなくていいのさ』
いつか言われた言葉がそのまま、形は違うのに流れ込んできた。
私が、私を形作るすべての事々に押し流されそうになった時に、どうしてあなたがいるのだろう、とぼんやり思った。
「斎藤さん、私はまだ新選組でしょうか」
「さあ、新選組なんて遠い昔話でしょ」
「でも、あなたはまだ三番隊隊長です」
「じゃあお前も一番隊隊長だし、副長は副長だ」
「それでも、いいですか」
私はまだ恐れていた。この私の矛盾を。
それに彼はへらりと笑った。
「いいんじゃないの。ただし、ちゃーんと笑うこと、ね?」
むに、とまた頬を摘ままれて、私は恥ずかしいし、嫌なはずなのに、それに救われている自分がいるのを感じた。
遠い昔話をしようと、彼は言った。