青銅の蛇
「あなたにはいないの?」
「え?」
沖田ちゃんと同じ顔の、だけれど黒い装束に身を包んだ女性と、昼食で隣り合わせていたら、ふとそう声を掛けられた。
「いえね、平和ボケのジャンヌに聖杯のことを訊いていたようですから」
それに僕は、ああじゃあこの人がジャンヌさんのオルタか、と思い至る。聖杯なんていらない、と彼女に言った時、あるいは天草四郎に復讐者の定義について聞いた時のことを思い、そう、彼女は火刑に処させるその時まで「神」を信じていたのだろうか、と思う。
「信じていないから」
「ええ、そうよ。あの女と違って、私は焼かれるその時に神を棄てた女です」
それに僕は押し黙って、それから少し考えた。
「ジャンヌさんはやり直したい、のですか?」
「そういう霊基になっているわ。やり直し、神に復讐する。だから復讐者」
「……ジャンヌさんにも天草さんにも言ったんですけどね、僕はやり直したいことも繰り返したいこともないんですよ」
そう言ったら彼女はふふと笑った。
「そうでしょうとも。私にだって本当はありません。なぜ、神に復讐を?なぜ、火刑に掛けた者に復讐を?意味がない」
意味がない、という言葉に僕はどすと胸を衝かれたように思った。意味が、ない。
「そうだ、意味がない」
そう言ったら、その青銅の蛇の如く焼かれた女性は僕を見て笑った。だから僕は続けた。
「僕は最期まで見届けてしまった。その末期まで、見届けてしまった。だから、もう一度ここに来たことに意味が、ない」
「では、どうして来たのです?」
「……そこに、新選組があったから」
一瞬だけ悩んで、僕は答えた。そのあまりにも些細で簡素な理由は、だけれどたぶんそれ以外になかったと知っていた。
「副長がいて、沖田ちゃんがいて、芹沢さんを殺して、山南さを看取って、そうしてここには新選組があったから」
「どういう意味かしら?」
「邪馬台国で、沖田ちゃんと立ち合った時、忘れてはいけないと思いました」
「なぜ?」
「忘れたら、僕は僕を失う。忘れた方がきっと楽だ。だけれど生前死ぬまでそれを持ち続けたように、もしあの時の記憶を棄ててしまったら、僕はきっと壊れてしまう」
「同じ、ですね」
「え?」
復讐者の女性はふと笑った。
「私が神に復讐などとうそぶくのは、そうでなければ私は私自身も、ジャンヌも、ジルも、誰も彼も救えないのです。忘れてはいけない、あの苦しみを、あの歓びを。天に昇るその歓喜と苦難を」
そう言って彼女はやはりジャンヌさんと同じく簡素な昼食についていた葡萄酒、これはきっと酒だろうそれを掲げた。
「主は私を見ておられる。ね、沖田さん」
「あれー?今度はオルタのジャンヌさんと一緒ですか」
ひょこっと顔を出した沖田ちゃんに、ああ、彼女とのつながりを失ってしまったら、きっと僕は壊れてしまうから、だからここに来たんだ、と思った。
「斎藤さん、何かお願い事ですか?」
なぜか彼女はそう言った。上手く笑えているだろうか、と思いながら、僕は曖昧な笑みを返した。
2020/12/26