恋の手本
「心中ってさ、どうなんだろうね」
「はい?」
「なんていうのかな、選択として」
言葉に沖田はぼうっと斎藤を見た。心中か、と。
今日、仲間が一人死んだ。心中だった。妙な気分だ、と二人とも思っている。そんなことをするような奴には思えなかった、なんていうのが一つと、そんなふうに狂うほどの恋だったのか、というのが一つと。
情人か何か知らないが、死ぬほどのことか、と思うのは、自分たちが幼いからだろうか、と思った。
「分からないです」
「うーん、やっぱり?」
だから彼女は馬鹿正直に答える。心中するってどんな気分の選択なんだろう、と。
「相手のために死んでもいい、相手を殺してもいいって思ってもさ」
「はい」
「逃げたらよくない?」
「それも分からないです」
心中騒ぎがあったから、そんな話をしているのだけれど、斎藤の言葉に沖田は反駁するわけでもなく、ただぼんやりと応じていた。彼にしてみても、何か明確な答えがあるわけではなく、ただ馬鹿だな、と思っていた、というのが本当のところだった。
そうして沖田は思う。逃げたらいい、というのも分からないな、と。
確かに眼前の男は逃げの手は上手いと知っていたが、そうではなくて、逃げたら?逃げて何になる?と。そうしてそれから、思い出したことをぽつんと言う。
「心中って移るらしいですよ」
「え?」
不思議そうに斎藤は彼女を見た。手元の刀を、もう今日は使いどころがないから、と沖田は手慰みのように撫でて言った。
「なんか、世話物、でしたっけ?浄瑠璃とか、掛けると心中が流行ってお上が怒ったことがあるって何かで読みましたね」
「移る」
そんなことあるのだろうか、と斎藤は彼女の言葉に思った。思ってそれから「そういう気分」になる、という妙な回答に至った。
「気分的な問題ってことかな」
「まあ、大いに」
さらりと沖田は言った。そういうところが少し、自分より大人びているというか、妙な達観があるというか、と思って斎藤はどこか呆れた気持ちで彼女を見た。
*
心中だの男と女だのとマスターに語ってみたものの、どうせそれは思い出話だ、と斎藤はマスターを見送った後の食堂で思った。
「まー、いや。若いね、僕」
軽く額に手を当てる。そこらの子供にそんな話をして何になる、と。
「気分的な問題」
だから彼は言い訳するように昔の同僚が大いにあると言ったことを言ってみる。
「さーいとーさん」
「あれま、沖田ちゃん?」
「見廻りご苦労様です」
「まーまー、副長命令に一番隊隊長からの労いですか」
ラーメンの器を片付けながら、軽口を叩く。それに沖田は笑った。
「マスターは平等な人ですからねぇ」
「あらぁ、バレてた?」
そう言ったら沖田は可笑しげに笑った。それに斎藤も笑う。
「人の恋路を笑うやつは馬に蹴られて死んじまうよ」
それに沖田は吹き出した。笑うところじゃないだろうに、と斎藤は思ったが、自分だって笑って言ったのだから、と思い直す。
「死ぬ気なんてないくせに」
本当に可笑しそうに笑いながら、彼女は言った。その言葉が正鵠を射ていることが、もうずっと昔から変わらないのだ、というのがどうしようもない気持ちに彼をさせた。そうして、どうして自分がマスターに言ったことを彼女が知っているのだろう、と思った。
いや、当たり前かもしれない。自分はその子供と逃げるだろう、逃げられなければ、殺すだろうと、彼女は知っていて、そうして彼女は、自分などよりもずっとその年若い子供のことを知っているのだから、と。彼は、彼女がもしも逃げることに失敗すればその子供を殺すだろうことも、きっと知っていた。そうして思う。
「……お前のためなら死んでもいいよ」
だから、その笑みにひどく真剣な声音で彼は返す。だから、だ。
「そうだね。逃がしてあげたいとは思ったよ、あんな子供が人理だの世界だのと戦うのはおかしいってね。ただ一緒に死のうとは思えない。こっちはもう死んでるし」
「そうですね」
ふふと沖田は笑った。彼の真剣さに比して、それはどこかおかしなほどに。
「だけど」
「はい」
「お前のためなら死んでもいいよ」
それはひどく歪な感情。
そうだ。心中したい訳じゃない。マスターとも、彼女とも。
だけれど、もし逃げたなら、もし逃げきれなかったなら、自分を殺すのはきっと沖田だと彼は思っていた。そうでなければ、許せない。それはどこか心中に似ている、と思う。
気分のような、雰囲気のような、本当の意味での死ではなく、心のどこかで願った死。
それに彼女はやっぱり笑った。だけれどその笑みは、今までのおかしそうなそれではなく、どこか憂いを帯びた笑みだった。その笑みを顔に刷いて、彼女は言った。
「死ぬまいか?」
「恋の手本となりにけり、ってね」
「お手本だもの、みんな真似しますよ」
彼女は、また可笑しげに笑った。
「気分的な問題?」
昔彼女に言ったそれを、彼はふともう一度言ってみる。言ってみたら、なんだかそんな気がしてしまった。気分、か。そんなものかもしれない、と遠い仲間を思い、それから、先ほどの自分が口にしたそれを思った。
「そういうことです。だから、駄目ですよ?」
女は笑った。駄目ですよ、なんて子供に言い含めるように。
「そんな気分になったら、私が斬ってしまいますよ?」
心中立てには、まだ早い。
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「未来成仏うたがひなき恋の手本となりにけり」(近松門左衛門「曽根崎心中」最終段より)
余談
「曾根崎心中」を始めとする「心中もの」(浄瑠璃、歌舞伎、小説など)の流行により、来世で結ばれることを願った心中事件が続発したため、江戸幕府は享保8年に「心中もの」の上演や脚本の執筆、発行を禁じた。
「移る」「気分」とは当時の世相的なものを反映したそういう意味です。