止まる


 肩で息をした男は言った。

「止まれぬ、か」
「あなたを止めることはできる」

 問答は無意味だと知りながら、私は言った。

「それで京を救えるのだから」
「そう、かな。これほどの剣士が女とは、日ノ本は狭いな」

 男は笑った。私はその問答を斬り捨てるように、彼に刃を突き立てた。

「惜しい」

 男は死に際に言った。私はそれを聞かなかったことにした。





「止まれない、か」

 ぼうっと自分の手を見る。青白い手を。もう、剣を握ることも出来ない手を。
 あの日、池田屋であの男を斬った時、彼は私が「止まれない」と言った。そうして「惜しい」と言った。その意味が、分からない。分かっているけれど、分からない。

「何起きてんの」
「……?斎藤さん?」
「副長も来てるけど、ちょっと話あるって」

 千駄ヶ谷の小さな家でぼんやりしていたら、当たり前のように声を掛けられた。懐かしいはずなのに、まるでいつも通りのように掛けられた声には、少しの違和感もなかった。違和感、か。ずれのようなものがない、と言えばいいのだろうか。

「寝てろ」
「ああ、今日はだいぶ調子が良くて」
「そういうときこそ寝てなさい」

 そう、彼は言った。それでも私はぼうっと彼を見ていた。

「なに?惚れ直した?」

 ふざけたように、私を安心させるように、彼は言った。それに私はふと笑う。

「止まれなかったんですね、私たちは」

 きっと何を言っているか分からないだろうと知りながら、私は言った。それに、彼はゆっくりと目を閉じた。

「おまえは止まるのか」
「あなたは進むのですね」

 ああ、言葉にしたらどこか冷たい。どこか、どこか。

「恨めしい、と思います」
「俺は憎いよ、おまえが止まるのが」

 男は言った。その先を続けようとしたところに、土方さんが来て、それから―――





「どうして思い出せないんでしょう」
「なにが」
「いえ、こちらの話です」

 倒れたのだったろうか、と思う。あれから土方さんが来て、それから、私は彼に何か言っただろうか、と、邪馬台国という歴史の遥か彼方で再会した斎藤さんに思う。

「沖田ちゃん、止まりたい?」
「え?」
「今ならおまえを止められる」

 斎藤さんはいやに真剣な顔で言った。ああ、そうだ。私は止まることを選べなかった。止まることを選ばされた。

『おまえを殺すのは惜しい。おまえを止めるのは惜しい』

 いつか、自分が斬った男に言われたのと同じことを言われたのだと、私はゆっくり思い出す。惜しい、というのはどういう意味だろう、と。

「止めるよ、僕が」

 斎藤さんは言った。私は答えに詰まってぼうっと彼を見た。

「吉田でも、副長でも、病でもない。今度こそ」

 止めてみせる、と彼は篝火を見ながら言った。その火が、夜闇の中で彼の顔の輪郭を浮かび上がらせた。


2021/2/10