指切り


『約束だからね』
『はぁい』
『指切った』





 ぱちり、とそこで目が覚める。懐かしい夢。昔の夢。こんな日だから見るんだろう、と思いながら私はベッドから起き上がって顔を洗う。

「約束はいらないわー、果たされないことなど大嫌いなのー」

 昔流行った曲を適当に歌って、化粧をする。朝食を作る気にも食べる気にもならなかった。

「約束したくせに」

 今日は遠方に行ってしまう幼馴染の見送りの日。

「お嫁さんになるって、指まで切ったのに」

 そう思いながら忘れていたカーテンを開ける。晴天。見送りにはいい日だけれど、泣いてしまったらちょっと隠せないですね。

「まあ、こんな女じゃなくても奥さんになる人なんていっぱいいるでしょうし」

 もしかしたら、今の彼を思うとあの約束もいろんな女の子としてたのかもしれませんね、なんて遠い昔の約束を思った。


『お嫁さんになって』
『いいですよ、はじめちゃん好きですから』
『約束だからね』
『はぁい』
『指切った』


 指切りなんて、遊女だって嘘ついてたそうですし。





 見送りと言っても、新幹線が出るのは夕方で、朝からこんな仕度をして部屋を出たのは、単純に、ちょっと別れる前に昔話でもしようか、と斎藤さんに言われて、駅の近くの喫茶店に呼ばれていたからだった。

「勝手な人」
「なにが?」

 そうしてその斎藤一を前にして、私は今日で見納めになるだろう男を眺めながら、メニューも見ずに店員さんにブレンドを二つ頼んだ。

「甘いのもあるよ、ここ?」
「約束なんて覚えてないくせに」

 言葉を無視して言ったら、彼はにこっと笑った。相変わらず胡散臭い。これのどこが私は好きで、指まであげたんでしょう。本当に。

「うーん、手厳しい。でもねぇ」

 笑った後、困ったように彼は水を一口飲む。その動作の後に私がテーブルに乗せていた右手を突然掴んだ。

「この小指って、僕にくれたんでしょ?」

 偽物だったの、あれ?と彼は笑った。

「遊女みたいに、偽物だったの?」

 言われて、私は今まで我慢してきたことが堰を切ったようにあふれ出すのを感じた。涙が溢れて、これで彼に会うのは最後なのに化粧がぐちゃぐちゃになるのも構わずに、泣いた。

「だって、勝手に女の子いっぱい作って、私のことなんか今日まで思い出さないで、そんなこと言うなんて、勝手です!偽物ですよ、どうせ!あなたにとって私なんてどうせ偽物なんです!約束なんていらない!」

 嗚咽が止まらない。コーヒーはまだ届かない。嫌い、こんな人。嫌い、こんな人にずっと縋っていた私なんて。

「嫌い!」

 泣き喚いた私の手を強くつかんで、それからその手は小指を強く握り込む。

「うん、ごめん」
「謝らないで、思ってもいないくせに!」
「沖田ちゃんがさ、どっかに行かないように、ずっと嫉妬してたらいいなって思っちゃって」
「最低、嘘つき!」

 ああ、三文芝居の別れ話みたい。別れ話になるほど繋ぎ止められる関係なんて、この小指しかないのに。

「じゃあもう一個嘘ばらしてもいい?」
「え?」
「沖田ちゃんと僕の実家ってさ、けっこう遠いよね、東京から」

 そうして彼はひらっと新幹線のチケットを見せた。印字されたそれは、私たちの住んでいた土地の、名前?そうしてそれは二枚あって、私は訳が分からなくなる。

「転勤ってあれうーそー。結婚前の挨拶に行くやつでした」

 一緒にね?と彼は笑った。

「偽物じゃないんでしょ。この小指。指切りしたんだからさ」

 彼は笑った。私はこれから何が起こるのか分からなくて、だけれど涙が止まらなかった。


2021/3/7