彼岸の果て

「は?」
「いや、なんでもない。俺は近藤。よろしく、土方くん」
「あー、俺別に呼び捨てでいいよ。あんた、なんか俺の知り合い?知ってるらしいし」

 突然、『昔』の知り合いというか、何と言うかな男に「歳」と勢い余って声を掛けたら間抜けた顔で「は?」と返された。ああそうか。そうだよな、前世なんていう不確かなものの記憶がある方が、おかしいんだよな。おかしいというより、可笑しい、と思って俺は笑った。

「ああ、じゃあ土方」
「おう、なんだよ近藤……なんか呼び捨てちげーな、自分で言いながら。近藤さん」

 そうしてそれから、その「土方歳三」はちょっと笑って言った。

「俺の方もなんか気持ちわりぃから名前で呼んでくれ。なんか変だよなー、あんたんとこもか」
「何が?」

 そう聞けば男は笑った。

「いや、土方、なんて名字珍しくてな。親が新撰組のファン?みたいなやつで名前が歳三になっちまったんだよ。あんたも近藤勇だろ?そうかなあって」

 ああ、そういう。

「まあ、そんなとこかな」
「そうかい、近藤さん。局長と副長が揃う教室なんざ、おもしれーな」

 そう言って歳は笑った。何も覚えていない、彼は。





 それから歳とはずいぶん仲良くなって、結局前世なんか関係ないな、なんて思っていた。そりゃそうか。

「近藤さん、こっちで金魚すくい……いや、これぜってー飼えねえから駄目だな」

 水槽ねーし、と歳が言ったそこは二人で来ていた近所の夏祭り。絣の浴衣を着た彼は、着流しを着た『歳』によく似ていた。どこかで花火が上がっている。

「しっかし、暑いな、今日は」

 そう言って金魚すくいの屋台から離れた彼はパタパタとそこらでもらったうちわで顔をあおいだ。

「暑い、な」
「どうした」
「いや、なんか、頭痛くて」

 急に歳が言うから、俺は心配になって額に触れる。ひどい汗だ。

「帰ろう、歳、駄目だ」
「いや、なんか、こう、暑くて、湿気が、それに風が粘っこくて、なんか」

 何言ってんだ、今日は湿度はそんなに高くないし、それはお前が風邪か何か引いていて、だから、汗でそう感じて、と思った時に、彼はまた言った。

「ああ、なんか頭、いてぇ。暑くて、夜気が粘ついて、それで、血が」
「何言って」

 そう言った瞬間に、歳がパタッと倒れるように傾いたから、思わず抱き留める。そこで彼の意識は途切れた。





 あの日は粘つくような夜気が籠っていた。
 気分が悪いような空気。暑い、熱い、そうして、血の匂いでさらに崩れる空気。
 ああ、どうして俺は、忘れていたんだろう。





「近藤さん」
「あ、気が付いたか?ここ祭り会場の救護室で、家の番号知らなくて、すまん、ちょとおしえてく、」
「立てる、ちょっと話がある」

 そう言った歳の顔はひどく鋭利で、それは高校生の彼から見たことのない顔で、俺はふと何かを察していた。何を察したかは、自分でも分からない振りをした。





「腹ァ切らせてくれ」
「歳、ちょっと待て。思い出したのか」
「池田屋に似てた」
「いや、似てないだろ」
「花火、上がってて、ちょっとな」

 苦笑した彼はその花火と、夏の夜気の中で腹を切らせろと俺に言ってきた。

「あんたに、いや、近藤局長にしたこれは腹を切るに値する」

 それに俺は笑い出していた。その笑いに「土方歳三」はぽかんと俺を見た。

「相変わらず、馬鹿で、真面目で、そういうお前が」

 笑いが止まらなくて、愛おしさが止まらなくて、俺はその浴衣姿の歳を抱き寄せた。

「ちょっ、近藤さん!」
「大好きなんだよ、『昔』から」

 そう言ったら、真っ赤になった歳があたふたと腕の中で暴れようとしたが、膂力は昔から俺の方が上だろうが。

「あの、な!そういうことはもっと!」
「もっと?」

 からかうように言ったら、彼は真っ赤なままで言った。

「情緒のあるとこで、って思ったが」

 情緒を求めるような関係だったしな、俺たちは、と思ったら、彼は小さく続けた。

「着物着て、花火上がってて、夏祭りで。情緒しかねーな、こんなの。あんたやっぱりすげーよ」

 変な納得の仕方も相変わらずだな、と思ったら、歳は笑って言った。

「俺も好きだよ、近藤さん」

 昔から、ずっとな、と彼は言った。
 それはこちらの台詞だと言い返す代わりに、俺は彼の唇を奪った。