機嫌

 世の中というか、世界なんて狭いな、と、適当に選んで、適当に進学した男子校でぼんやり思った。
 ていうか中学で童貞捨てたが、女子って結構怖いし、とか思ったら三股とか出来ねぇからまあ男子校行くか、偏差値足りてるし、くらいの気持ちで入った学校で、なんでこう、こういうことが起こるかな、と俺は部活見学でテキパキと新入生を整列させる男に思った。
 なんでこう、百年単位の昔から変わらない顔でそこにいるかな、あんたは。
 近藤さん、あんた、なんでそんなとこで竹刀持って新入生を整列させてんだ。俺も新入生だけど。





「部長の近藤です。とりあえず今日は経験者の方と未経験の方で分かれましょうか。初日ですし、見学なので見たいだけという人は言ってください。部員の掛かり稽古の見学だけでも有意義だと思いますので」

 ああ、なんつーか、帰ろう。もういいや、軽音部とかなんかそんなんねーかな、と俺はすでに剣道部に入るのをよそうと思って踵を返そうとしたら、トンと肩を叩かれる。その部長の「近藤先輩」に。

「あ、掛かり稽古一人足りないのでちょっといいですか」
「はい?」

 ここ剣道の強豪校だよなぁ、新入生に掛かり稽古の相手させるとか本気でトチ狂ってねぇか。

「いや、俺?僕?帰るんで、すみません、その、剣道とかやったことないん、で」
「明らかに経験者だろ、その手。あ、俺の相手が足りないのでまあ大丈夫です。加減しますし」

 にこりと笑われて言われる。確信犯のようなその顔で、それからまるで何かの打ち合わせのように小さな声で言われた。

「お前が経験者じゃなかったら泣くんだが、歳」
「あんたっ!?」

 それ以上大きな声を出す前に、俺は引きずられるように連れていかれた。





「確かに有意義ですね、近藤先輩?近藤、部長?」

 この高校の掛かり稽古どうかしてるだろ、なんでこんな長時間やってんだよ。いや、まあ。

「はは、昔そういう方針の道場があってな、ああ、道場に押しかけてきたやつが一番ストイックになった気がしないでもないが」

 まるで当たり前の会話のように「昔」の話を出した男に、部員の一人が声を上げる。

「あー、君すごいね。部長の方針でこんなふうになってさ。全国の成績も上がったけどよく付いてこられたね、新入生でしょ?入りなよ、うちなら絶対エースに」
「おいおい、駄目だろ。新入生の見学の初日に粉かけるなんて」

 そう言った部員を近藤先輩(違和感あるなこれ)が窘める。それにその先輩部員は軽く笑った。

「なんですか、気に入ったんですか、その子。即戦力みたいな」

 何言ってんだコイツ、ぶん殴るぞ。近藤さんそういう人じゃねーよ。新入生だったら誰でも取るだろ、実力だの利益だので選ぶような人じゃないってんだよ。分かったような口ききやがって、と思った時だった。

「ああ、まあ気に入った。ちょっと話でもしないか、入部のこととか、今後のこと。土方君」

 にこり、とまた笑って言われて、俺は背筋に何かぞくりと電流が走るような感覚があるのを感じた。





「機嫌直せよ。さすがに新入生に歳がいると思わなかったというか」
「なんで記憶がある前提で話しかけてくるワケ?」

 部員が帰って、見学時間も終わったロッカールームで、借りた胴着を返すという名目で近藤さんと二人になってしまったから適当に機嫌悪いオーラ出してもう帰らせてくれ、と色々な感情が渦巻きすぎて思って言ったら、また笑われる。

「ああ。仮に忘れていてもな、俺が声掛けて思い出さなかったらぶん殴ってでも思い出させようと思って」

 その言葉に俺は思い切りため息をつく。

「あんた、たまにそういうところあるよな」

 はああ、もう嫌だ。なんつーか、俺馬鹿すぎるし惨めすぎるだろ。
 なんで中学で童貞捨てて、男子校に来たかって、女抱いてりゃあんたのこと忘れられそうだと思ったのに思い出すだけだし、男子校なら誰にも色目使われねぇだろうってもうぐっちゃぐちゃな理由の出願から入学して、ああ、もう自分で言ってて意味分かんなくなってきた。

「俺は、あんたに会いたくなくて、合わせる顔もなくて!」

 だから叫ぶように言う。あんたを死なせたのは自分なのに、あんたが好きだったなんて言えるはずもなくて、だから、ずっと前世なんていう七面倒くさい過去から引きずった恋心なんて無駄すぎて、だから、なんで。

「え、歳のこと好きだったんだが、こう、微妙なタイミングで死んじまったから、ちょうどいいなあって」
「……は?」

 何言ってんだこの人。意味分かんねぇ、だって俺好き放題女買って、あんたのこと忘れようとして、何言ってんだよ、今更、なんで……。

「馬鹿じゃねーの」
「え?」
「俺はあんたなんか大っ嫌いだよ!ずっと我慢してた、ずっと言えなかった、ずっとずっと、ずっと、それを今更みたいにあっさり言いやがって、大っ嫌いだ馬鹿野郎!」

 あー、叫んだらなんか虚しいけどスッキリした。もうこれでいいだろ。何百年の御伽噺なんぞ、これで終わり、と思った瞬間、トサ、と押し倒される。は、だから、何この人。

「そんな嘘つきには本当のこと言うまで付き合ってもらうか」
「ちょっと、ま、やめ、手、放せ!」

 叫んだけれど腕を強くつかまれて、そうしてそのまま口づけられる。吐息が漏れた。


「お前、ほんとに初めてか?」
「るさいっ、おとこと、するの、は」
「あー、童貞じゃないのはなんか分かるけど、こんなに感じるもんなの?知らんからあれだけど」
「ちがっ、かんじて、ないっ」

 適当に乳首と性器をいじっていたら涙目の歳がフーっと荒く息をついてこちらをにらんできた。なんかすごく逆恨みの気配を感じる。

「そんなに俺が告ったのが気に入らないか?」
「らから、うぁっ!?」

 軽く胸の飾りをつねるようにしたらびくりと体が跳ねた。まあなんていうか、ほんとにこんなに感じるのか?男でも?

「こんど、さん、らから、あっ、やめっ!」
「一回イっとけ。さすがに初めてでヤル気はないし」

 そう言って強くそこを握ったら、あっさりと歳は達して、それからくたりとこちらに寄りかかってきた。ていうか今ちょっとだけ本音出てたよね?俺だからなんだって?

「俺だから感じるとか、けっこう嬉しいこと言うのな」
「いって、ない!」

 いや、言っただろ、と思いながらその体を抱き留めて狭いそこのロッカーに寄りかかる。金属が軋む音がした。

「ずっと、我慢して、部下やって、好きだったのに、なんで、あんたが、あんなにあっさり!」

 叫んできた彼はまだ高校一年生なんだ、と思ったら妙に背徳的な気分になった。ああ、なんか、百年二百年のそれがどうにもこそばゆい。

「すき、だから。ほんとは大好きだから、もう、やめて、くれ」

 荒く息をついて、やっと本音を言った歳に、あ、と思った。

「すまん。初めてでヤル気ないとか言ったけどアレだな」
「……は?」
「泣いてるお前見たら勃った」

 可哀想なのが可愛く見えるってほんとにあるんだなあ、と他人事のように思って、突っ込むか、咥えさせるか、とか考えてる俺結構ひどいな、と自分で思いながら、ああそうか、なんて思う。
 ここは高校で、現代のここじゃあ突然命を失う危険もなくて。

「一生こうしてられるな、今なら」
「こんどう、さん、ちょ、そ、れ」
「近藤先輩とか呼ばせるのもありだなあ、面白いっていうか、こう、可愛い」

 ほんとに、なんの制約もないんだな、と思ったら、笑みが落ちた。歳が泣いてるのに、焼きが回ったな。