水槽
釣った魚に餌はやらない。斎藤のことを評して同じゼミの女子が言っていたそれに、沖田はうーん?と首をかしげる。
「それでもいいって子がいっぱいいるんだよ」
「そうですかねぇ……?」
「だから沖田ちゃんもぼやぼやしてちゃだめだよ!」
その言葉に、彼女はうっと言葉に詰まった。
*
「うーん、甘ったるい」
「すみません、付き合わせて」
「いいよ、沖田ちゃんの頼みなら僕なんでも聞いちゃう」
にこっと笑って斎藤は言った。大学が休みの日に、ケーキバイキングに二人で来ていた。いわゆるデートというやつなのでは、と沖田は思うが、斎藤にその気があるのかは知らない。
「なんだか一人じゃ入りづらくて」
「まあ分かるよ」
新作のケーキを試せる、と知っていたからそれは嘘ではないけれど、嘘だ。
斎藤と沖田の関係は小学生くらいまでさかのぼる。高校で離れるまで互いに剣道というつながりの幼馴染だったのだ。それがまさか同じ大学で同じ剣道部に入るなんて、というのが互いの正直な感想だ。
(馬鹿、みたい)
沖田は一切れケーキを口に運んで、それから思う。馬鹿みたいだ、と。
(大好き、だったのに)
眼前でコーヒーを飲みながらあまり甘くなさそうなケーキを食べる男のことが本当に好きだった。だから高校が別になってそれっきりの恋は仕舞っておこうと思っていたのに。
「斎藤さんはこうやっていろんな女の子といろんなとこに行くんですね」
だから、本当は大好きな彼に再会できたのに、その彼に途切れずに女性がいることがひどく寂しくて、変わってしまったような気がして、それなのに昔のまま接してくれる彼がつらかった。
「え?行かないけど?」
だからそうはっきりと言った男に、沖田は目を見開く。え、と。
「うん、こんなとこ来ないね。基本一晩くらいだし」
そんなもん、と言ってコーヒーを飲んだ男に、沖田はやっぱり馬鹿みたいだ、と思う。
「私には押し倒す価値もないってことですね」
出てきた言葉があまりにも軽薄で、そうしてそうなりたい訳ではないし、そうあってほしい訳でもないのに、と彼女は思う。「釣った魚に餌はやらない」か。どうしてそんなふうに変わってしまったのだろう、と。
「……」
そう言った沖田に、斎藤はいやに真剣な視線で以て応じて、自分の皿に乗っているチョコレートケーキをフォークに刺して沖田に差し出した。
「餌をやるのは本命だけって小学生の時に決めたからさ」
なかなか純情でキョーレツな告白じゃない?と男は続けてそのケーキを勧めてくる。
じゃあ、ずっと?じゃあ、このケーキを食べたら?じゃあ、この餌を食べたら?
沖田は思わずパクリとそのチョコレートケーキを食べた。
「はい、もう僕のもの」
子供のように言った彼に、私はもうずっと昔から、釣りあげられて捕まっていたのだ、と思いながら。
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釣り上げた初恋の話。