バレンタイン


「沖田先輩」
「はい?」

 声を掛けてきた相手の顔も名前も私は知らないけれど、用件はだいたい分かったから、私は少しだけ気分が落ち込むのを感じながら応じた。

「これ、斎藤先輩に、渡してください」

 渡されたのは綺麗にラッピングされたチョコレート。この時期はどの店に行ってもこんなものしか売っていないだろう。

「いいですよ」
「ありがとうございます!」

 そう言って私にその赤い袋を渡すと、その後輩の女の子は逃げるように走っていった。これが今日で何度目だろう。

「バレンタイン、ですか」

 ふうと私は息をつく。2月13日、明日は休みでバレンタイン。休みに学校はないが休みの前日に学校があるのは彼女たちには都合がいいことこの上ないのだろう。

「自分で渡したらいいんじゃないですかね」

 そうはいっても、どうして私が伝書鳩みたいなことをしなければならないんだ、という気持ちは抜けなくて、私はちょっとだけ悪態をつく。自分で渡す度胸もないなら、渡そうなんて考えなければいいのに。

「そーね。自分で渡せないなら意味ないじゃない」
「へ?」

 そう私が思っていたところで、ひょいっとその赤い手提げ袋を後ろから取られる。

「斎藤さん、いたんですか」
「いや、今来たとこ。沖田ちゃんのロッカーでも拝見しようかと」
「はいはい」

 言葉に私は面倒になる。隣のクラスの斎藤さんは部活も一緒の腐れ縁だが、そのおかげで「ライバルではないが斎藤さんに近い女」として、バレンタインに限らずラブレターだのプレゼントだのの伝書鳩をしているのが現実だ。そうしてバレンタインは毎年一番ひどい。

(胸が痛い、なんて思いたくないのに)

 ライバル視されることがない、ということは彼に女として見られていないと周知徹底されているようなものだ。それが悔しいというよりも悲しい自分は確かにいて、そうしてロッカーが見たいなんて言う彼にとってもそれは同じだと思ったら気が滅入る。

「うわー、すごいね」
「相変わらずおモテになりますこと」

 がたっとロッカーを開ければチョコの山。全部斎藤さん宛だ。それがどうにも悲しい。

「あのさ」
「はい?早く持って帰ってください、邪魔です」
「沖田ちゃんはくれないの?」

 チョコ、と平然と彼は続けた。そうして私は、自分の鞄の一番奥にしまってあるそれを思った。たった一つだけ、人からもらった物ではないチョコレートを、彼は欲しがるのだろうか、と思いながら。

「あげるって言ったらもらってくれますか」
「素直じゃないなあ」

 笑って彼は私の鞄をひょいと摘まんだ。

「本命はどこにあるかもお見通しの一ちゃんでありました」
「本命じゃな」

 いです、と続けようとして、私はそれを取りやめて、つぶやくように言った。

「本命じゃないわけないじゃないですか」

 日本語って難しい。