悪とは

というンドゥールの話。
前々からンドゥールの考える「悪の救世主」ということについて考えていたのですが、文章にしてみたというやつです。
ンドゥールは自分が悪いことをしているという自覚があるうえでの行動っていうのがね。悪いことなんだけど悪いことだし、悪いけども、っていう。そこにあるのはなんなんだろう、と。承太郎やブチャラティの言う「悪」というものとは少し違った視点なのかもしれない、と思います。
ンドゥールからすれば花京院の裏切りは腹立つだろうなあーとエジプトの初戦見る度、あそこでのアレはそういうことでは?と思ってしまう。

そうして承太郎からすると「悪とは」ということの着眼点というか、なんか揺らいだのってここが初めてなんだよなー、と思うと感慨深いなーって。そのあとのDIO戦でさえ揺らがなかったのに、ンドゥールの悪への感情は考えてしまったんだね、と。

追記からそんな話。

 

恐怖、という感覚がよく分かっていなかった。

「悪」

ぽつり、とつぶやいてみて、それからぼんやりと考えた。おれは独り言が多い、とよく言われるが、独り言が多いというよりも、物事を頭の中で反芻するよりも言葉にして、音にして考える方が性に合っているだけだと思う。

「悪の救世主?」

自分が常日頃からDIO様に対して思っていること、口にしていることを思ってからふと、何か違うような気がして、だがそれ以外に思いつかなくて、そのままそれは言葉になっているのだと分かっていた。

「うん、そうだな。おれは人を殺すことに抵抗はないし、罪を犯すことにも心が痛むということがなかった。さらに言うならば、それによって誰かに咎められることも怖いと思わなかったし、責められることを苦痛にも感じなかった」

悪、とは、では結局なんだ?

「おれはおれの振る舞いが悪であることには自覚的だったと思うし、今もこの振る舞いが悪であることに変わりはないと思う」

それについて断罪されることに、だがおれは残念ながらなんの疑問も覚えない。それは結局のところおれの振る舞いや行いは悪であるからだ。社会的に、とか、思想的に、とかいう崇高な理念ではなくて、人を傷つけ物を盗む行為は悪だろう?

「だが、そうしなければ生きていけなかったとして、それが悪だとしてもそれを行使せざるを得なかった。それはその悪に対する感覚が鈍磨した訳ではない」

そうしてそれは自分の悪事の正当化でもない。悪は悪としてそこにある。だが、おれはそれを行うことの『正しさ』が知りたいわけではないのだ。

「だから、そうやって人を殺し、物を盗み、スタンドと聴力や感覚が優れていることをDIO様に認められた時に覚えたあの感覚は、本当に怖かった」

必要とされた、という愉悦と同時に、あの方を喪うことを恐れた。そうしてあの方を喪うときにはおれがあの方を喪うのではないと分かっていた。おれが捨てられるだけだ。それ以外に何がある? あの方から『必要とされなくなる』というのがおれにとって最もみじめで、もっとも恐ろしい死だ。
それがおれのこの世で初めて感じた恐怖だった。

「だが、それはおれにとってこの世で初めて感じた喜びだった」

それならば、この人に必要ないと捨てられるまで、おれは生きていることができるのだ、と。

だから、だろうか。
耳が音を拾った時に、少しだけ苛立っている自分に苦笑が漏れた。

「花京院典明、か」

小さく呟いた名前。

「記憶がないのか」

呟いてから考えた。考えているのに呟いたのだ、と思ったらひどく億劫だった。
水筒を撃てと声がした。それでそこにいるのが花京院典明とJ・Pポルナレフだと気が付いた。
ポルナレフはまあいい、と思ったのは、彼はエジプトという土地というかなんというかそういうものにはそんなに関りがなかったから、というのは少し言い過ぎかもしれないが、彼には明確な目的があったからだ、と考え直す。

「復讐、だったな。妹の復讐のために力が必要だった。そうしておれはJ・ガイルが死んだことにも彼の仇討ちが成ったことにも……まあDIO様の命である勤めを果たさないことには両者どちらにも思うところはあるが、どちらにも然したる興味がない」

音を拾いながら呟く。独り言が多い、と言ったのは誰だったろう。アイスか、ダービーか……いずれにせよDIO様ではない。ならどうでもいいな。
そう思い直して改めて考える。

「記憶がない、そうか。三ヶ月……少なくともそのうち一ヶ月程度は……そうか……全く覚えていないのか……」

『水筒を攻撃しろ』
『エメラルド・スプラッシュで』
『ぼくだっていやだ!』

エメラルド・スプラッシュという単語が出てきたことでそれは確信に変わる。それは落胆に変わる。それは怒りにも似ていて、それは哀惜に似ていた。
「水筒に吸い込まれるこれを見ても、音とも気づかずに、水とも気づかずに……覚えていないのか」

『スタンドにもいろいろあるのですね。水ですか?』
『見えないなりに、な。音で何とかしているから……ああ、だが射程距離がハイエロファント・エメラルドより長いのはおそらくおれくらいだろう、と』
『それで日本に戻る前に扱い方を聞くようにとアイスが』

そう少年は言った。人を殺す道具でしかないそれ。だが彼はDIO様という「『友達』ができたこと」が嬉しくて仕方がなくて、安心して仕方がなくて、そうやって生きられると、そのためなら何でもできると、だから日本のジョースターの一族である空条承太郎の最初の……。

「そうだな。もし記憶もなにもないのなら、それこそ肉の芽なんてものは関係ないだろう? ただ単に、お前がもういらないと整理した記憶だったというだけだ」

だからお前のことは殺したくない。お前はあの方に殺されてほしい。

「おれは……DIO様を喪うのは嫌だ。怖い。それでは生きていけない。あの方がいない世界には生きている価値がない、と思う。いや、あの方に見放されて、あの方に捨てられた世界で生きていく自信もなければ、そもそも価値もない。お前がまだ生きられる、とあの方に感じたように。だったらお前は自害も、あの方以外に殺されるのもいけない。きっとあの方に殺されてくれ。だけれどそれはそれとして、おれはおれでお前のことが少し腹立たしい」

これはこれで本音なんだ。九十日分の記憶。ないならないで構わないが、遠距離の射程を持ったスタンドの使い方を教え直してやろう。

「お前も目が見えなくなっても、ハイエロファント・エメラルドの操作には困らないはずだろう?」

何せ使い方はきちんと教えただろう、花京院?

初めて、スタンドという能力で悪を行使し続けて生き永らえたそれを肯定された。
物を盗むことも、誰かを傷つけることも、人を殺すことも、『悪いこと』だと分かっていた。だが、どれもこれも痛みを伴うということはなかった。

「仕方がないことだった」

生きるために必死で、目が見えない、というそのことを差し引いても、生きていくには必要なことであるから、それが悪事だとしても、言い訳だと言われても構わないから『悪事』を続けるしかなかった。
だから、スタンドは便利だった。だけれど、スタンドがなくともおれは悪を行使して生きていたと思う。
だが、その能力を、いや、おれという人間を、必要とされたときに、だからおれは。

「怖かった、DIO様が、あまりにも」

怖くて仕方がなくて、そこにいてくれないと、生きていけないと思ってしまって。

「いや、この方がいれば生きていけると思ってしまって」

今までは生きるために悪事をしてきた。それが『悪いことだ』と思った。急速に現実に引き戻された。ああ、おれは何をやっていたんだろう、何を考えていたんだろう、と。

「DIO様がいることで、悪という現実に引き戻されたのに、この方のためだけに悪を働こうという夢のような話になってしまう」

それがおかしいと思うのに、だがおれは、あの方のためならば死ねると思った。いや、違う。あの方に必要ないと、いらないと言われるのだけは怖いと思った。それが今まで生きている中で初めて感じた恐怖だった。
誰かを傷つけることも殺すことも怖くはなかったのに、もっと言うならば、自分自身が誰かに殺されることも怖くはなかったのに。

「だってそうだろう? 今まで散々やってきた。自分だけは殺されたくない、なんていうのは不公平だ」

だが、そうやって言うことは出来てもDIO様に必要ないと見限れらるのだけは怖かった。それが生まれて初めて感じた恐怖だった。

「だからおれは、あの方に救われた」

あの方に、生きるというのはこんなにも苦しいのだと、初めて知ることが出来たのだから。

誰もいなくなった病室。見えない世界。
ぼくの目を切り裂いた敵の名前は『ンドゥール』。スタンドはエジプト9栄神の『ゲプ神』。
意識が戻ってそれから、そう財団の人から告げられたそれに、ぼくはその時にはただうなずいていたが、人がいなくなった夜のそこで真っ暗な視界の中で恐怖とはまた別の……いや、恐怖に等しい感情で嘔吐しそうになっていた。

「忘れて、いたのか? ほんとうに?」

はやく、承太郎やジョースターさんたちに教えなくては。9栄神の情報はアヴドゥルも知らないはずだ。ポルナレフは知っているのか?

「ぼくは、知っていたのに、なぜだ?」

そうだ、エジプトで、半年ほど前に。
ぼくはンドゥールに会っていたのに。

「まだまだ生きられると、意味もなく思ったのに」

意味もなく? 違うだろう?

「『友達』が出来て、そうして生きることの意味を見出して」

ああ、だからこんなふうに目を切り裂いたんですか、あなたは。あそこでぼくを殺してくれたって良かったじゃあないですか。相変わらず、良い性格していますよ。

「自害、か。DIOのために……納得だな。ンドゥールならそうするだろう。生きる意味を奪われるくらいなら、というよりも、DIOに必要とされる自分を喪うくらいなら、彼は」

吐き出したいほどの恐怖。それは自分自身に重なるような感情。
自分の中の生きる苦しさを、誰かに気づかされたこと、誰かに担保されたこと。

「悪とは」

彼と同じように見えない目で問う。
自分自身に。目が見えない、一人の悪党に。

 

 

「本当に?」

悪とは、と反芻する。自分が数十日前に花京院に言ったことだ。DIOに操られて、DIOに忠誠を誓った彼に。

「自分自身のためだけに何も知らない弱者を利用し踏みつける者?」

本当に?

「この男は自分自身が悪であることに疑問を抱いていなかった。そうだ、この男の振る舞いは悪だ。財団の人間を巻き込んで殺した。俺たちと敵対した」

それが悪だというのなら、それをこのンドゥールという男は間違いなく受け入れるだろうし、意にも介さないだろう。そうだとすればそれは間違いようもなく『弱者を踏みつける行為』であり、悪である、と言い切れるはずなのに。

「じゃあコイツに生きる意味を与えて、死ぬ意味さえ、自分自身を殺す意味さえ与えたDIOっていうのは、本当に悪なのか?」

その理論なら悪だろう。悪でしかない。だが。

「俺はたぶん、ンドゥールというこの男を悪と呼べても、この男を裁くことは出来ない。断罪したときに、なんかを踏み外す気がする」

哀惜もなければ同情もない。だが、敬意を表することは出来る。そういう相手であると同時に、一つだけ確かなことはあった。

「だがな、自分が思っていたよりももっと根深い悪は一つ見つけたぜ」

ンドゥールという男に、自らの脳天を自ら貫かせ、自害させたDIOという男の在り方は、救世主であると同時にある意味で『悪』なんだろうと思った。
操るわけでなく、脅すわけでなく、ただ意味を与えた。その悪に意味を与えたそれは、悪か? それを悪だと言うのなら悪なんだろう。だが、その悪が人を救う悪だとして、人を救う悪なんてもんがあるんだとしたら、それは誰が、どうやって裁くもんなのか、俺には見当もつかないが、だが、それは少なくとも『悪』なんだろう。
ンドゥールという男自身が言うように『悪』なんだろう。
だがそれは、今まで出会ったことのない、悪なんだろう。

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