そんな花京院の命日
DIOとしゃべっている3部の記憶有転生ものです。承太郎とポルナレフも出てくるというか、そんなですが、主に花京院がDIOに能楽の「隅田川」についてしゃべっているのは友達割引です。私がDIO花の好きな人なのでそう見えたらそういうことかもしれません。個人的には友達割引程度の気分ですが、クソガキ花京院クンの考えるこの世界について。
東京の1月16日とエジプトの1月16日とかについて。
花京院とDIOが不毛な会話をしていたり、承太郎とポルナレフがいたり、そんな話。
悲劇と狂気とクソガキと馬鹿野郎。
それから『世界』についての「友達」からの説教です。
隅田川
「君、能は見るか?」
「……いや? 承太郎にでも聞けよ。私の知識はオペラが限界だな」
というか一般的な高校生や大学生は能楽なんぞ見ないのでは? と思ってから、コイツは『昔』から一般からはかけ離れていたな、と思い出す。高校生がエジプトに家族旅行? 90日近く? いや、あり得んだろ。
「まあいいか」
「ひとの話は聞け」
「物狂い、女物狂と言って伝わりますか?」
「だからひとの話を……鬼女紅葉、桜川とか」
一応答えたそれに私に『知識あり』と勝手に判断したらしい花京院は続けた。ああ、言わなきゃよかった。コイツ勝手に納得しだすとうるせえからな。
「ああいうものに求められるのって、二つくらいあるんですよ。なんだと思います?」
「お前にご高説垂れられるのすごくイラつくんだが、一つはハッピーエンドだろうな。子供でもなんでもいいが失った女……母子が再会して、ハッピーエンドで観客も舞台も救われる」
一つの世界が救われるように、と付け足そうかと思ったがやめておいた。何となく分かっていたことだからだ。
「もう一つは?」
「ハイハイ、花京院先生今日絶好調ですね?」
「嫌味はいいから早くしろ」
あー、もう面倒くせえ。
「狂気の発露だよ。ギリシャ悲劇やオペラの悲劇と一緒だ。ひとは『これは現実ではない』という舞台で起こっていることを見ながら、これが狂気の発露であり、自分が落ち込むかもしれない狂気を体験する。どんな舞台でも演劇でも、観客はそれを舞台だということを分かっている。分かっていながらそれを現実に重ね合わせるから楽しいし悲しい」
かつてニーチェはギリシャ悲劇の合唱隊のコーラスは、まるでそれを現実のように悲しみながら歌う「理想的な観客」と呼んだ。それくらいに舞台上の狂気や悲哀は「現実との境目を忘れさせる」効用がある、と。
「そこまで分かってるならディオ……DIO様にお勧めの能の演目を一つ」
「あ?」
うっわ、こわ。
「隅田川。ぼくの一番好きな演目です」
笑った馬鹿の顔を見ながら私は面倒ごととこのひねくれたクソガキはどこまでも、と思いながら一応見てやるか、と考えた。だいたい結果は見えているが。
*
「ひっじょーに、お前らしいというか、君らしいというべきか。うん、胸糞悪かった」
「正直な感想どうも」
女物狂はだいたい相手と再会できる。子供でも好きな相手でも。それで舞台の女は正気に戻り、狂気の発露を体験した観客も納得して感動できる。だが「隅田川」にそんな救いは一つもなかった。
「再会はない。子供は死んだ。母は……女は狂ったままだ」
「名にし負はば、いざ言問はむ都鳥。わが思ふ子はありやなしやと……聞いたところで死んでるんだから最初から聞かなきゃいいのにな」
笑った花京院のこれは狂気か、と思ってからため息が出た。そんな御大層なものでもないな、と。
「おいクソガキ。年の功と昔お前を殺した責任感で言っておいてやるがな、本当の意味で狂気や悲哀に……いや、『世界』に浸りたいのならそんな面してるんじゃあない」
「は?」
ああコイツ、もういっぺん腹に風穴空けて殺してやっても分からないか?
「本当の意味でもう会えない誰かのために嘆くのでも、狂うのでもないのに無駄な時間を費やすのなら、お前なんぞと友になろうと思う人間は一人もいないという意味だよ、花京院クン」
その目が怒りで見開かれたが、私は別に本当のことを言っただけだ。
「馬鹿は死んでも治らんな」
お前は自分の死を納得するために、俺を殺したことを納得したいのか?
それとも俺を殺したことを納得するために、自分の死を利用したいのか?
「生死去来、棚頭傀儡。まさに能だな。その生きていたか死んでいたかの狭間すら、そんな曖昧な世界の狭間すら、自分の納得や後悔や、そんなちんけな話のために、そんなもんに浸りたいがために使うのなら、そこには一生お前の求めるモノはない」
「なに、言って」
「そのままだよ。能の大家、世阿弥の言う通り、生死の去来するは、棚頭の傀儡たり、一線断ゆる時、落落磊磊ということだ」
「どういう意味だ」
意味が分からないだと? 自分で振っておきながら? 馬鹿かコイツ?
「いや、花京院が馬鹿なのは知ってたが」
「うるさい」
「黙れクソガキ。だからな、お前が言う悲劇も狂気も、死生観もだ。そんなもん、舞台上の出来事でしかないと世阿弥は言っている。『隅田川』の観世のヤツの作者は知らんがな。能舞台を演目そのものとしたときに、生死がやってきた時に、能の舞台上の傀儡……その演目上の傀儡は生死がやってきた時に糸が切れた時にぷつりと切れて落ちて崩れ落ちるだろう。花鏡の極致だな。知らなかったか?」
それに驚いたように花京院がこちらを見ていた。
まあ学生には難しいか。花鏡だけじゃあなく、そのへんの坊主も遺偈に掲げていたらしいが。
「そんなもんだ。というか、本気で世界を舞台と見立てるなら、な」
「それ、は……」
俯いた花京院を見る。
「お前は、本当の意味で自分の死とやらを悲劇と思っているのか? 狂気の発露と思っているのか? それともお前の生きていた『世界』そのものを『悲劇の演目』と思いたいのか?」
残酷な問いだろうよ。それは俺がしていいことではいだろうよ。
少なくとも、こいつを殺した過去の自分がしていい問いではないと思う。
だがな。
「それを狂気の発露だと思うのは間違っているとだけは言っておこう。そうじゃあない。お前の人生を狂気だとか悲劇の生まれたそれだと例えたいのなら、それは馬鹿馬鹿しいとしか言いようがないな。お前の世界はそんなに単純なものじゃあなかったはずだ。少なくともお前を殺した俺には分かる」
そう言ったら花京院はひどく反抗しようとして、それから腹をおさえて、そうしてこちらを見た。
「そうして少なくとも今お前は生きてる。それでもまだ言うか? 言えるか?」
めんどくせークソガキ、と付け足したら彼は席を立ち上がった。
「帰る」
「そうしてくれ。なにかの縁だ。ポルナレフあたりによろしく」
「人選に悪意を感じますが?」
「そうか? 優良な人選だと思うが?」
*
今のぼくには転生だかなんだか知らないが、承太郎やポルナレフ、ジョースターさんやアヴドゥルがいて、イギーもそこにいる。
そうだな。悲劇に浸っているのは何か勘違いしているとしか思えない……あいつに言われたのは癪だが。
「どうかしたのか?」
1月16日、何でもないその日、東京は寒波に見舞われていた。承太郎にそう言われて通学したそこで、言われる。
「何も。帰りにポルナレフに連絡してどこか寄りませんか」
「それはいいけどよ、なんだ急に」
「いえ、別段。昔の知り合いにポルナレフに言付けを預かっていまして」
「は?」
不思議そうな承太郎に構わずポルナレフにスマートフォンから連絡を入れておく。何でもないことのように、大学終わったら適当なコーヒーショップに行くとすぐに返信が来た。彼は相変わらず文明の利器を使いこなしているな、と思ったらなんだか笑えてしまう。
「……承太郎は東京の1月16日とエジプトの1月16日、どちらを選びたいですか?」
「何言ってんだお前」
急に話を振った朝の通学の時間、呆れたような彼にも記憶があるのは知っている。そのことを分かっていながら、ぼくはぼく自身に呆れながら、勝手に答えていた。
本当に、自分勝手なのは変わらないな。
「ぼくはエジプト、カイロの給水塔あたりの1月16日ですね」
そう言ったら盛大にため息をつかれたが、あの旅はぼくにとって唯一無二のそういうものだった。
「馬鹿野郎が」
*
「悲劇の再演? 知らんな」
同情? 蔑み? それとも悲しみ?
ほんっとうに知らんな。
「ただ、お前を殺した、殺さざるを得なかったし、殺した結果があれで、殺した結果殺された俺から言わせてもらえば花京院クン。悲劇ってのは繰り返さない方がいい」
というよりも。
「お前の安っぽい悲劇より」
「なんですか、うるさい」
「今を生きた方がいいんじゃあないか?」
「それ、あんたが言うとすごくむかつく」
「それならまた最初から始めようか?」
安っぽいその最初から。その給水塔と、塵になった日から。
いや、エジプトで出会ってしまったあの日から。
「友達になろうよ、花京院クン」
古く、安っぽい言葉に彼は笑う。
「いいですよ、あんた友達少なそうだから」
……本当に友達甲斐のないクソガキだ、相変わらず。