徒花に実は生らぬ(FGO石田三成)

石田三成くんとノッブの会話です。
「それは敗者の理論だ!」ってこれ染様の有名な台詞なんですけども、これ本当にすごくすごく好きというか、三成くんとクコチーを見ていると思い出すのでここに引用しておきます。

「それは敗者の理論だ。勝者とは、常に世界がどういうものかでは無くどう在るべきかについて語らなければならない」(『BLEACH』 藍染惣右介)

これだいたいの戦国武将だなあと改めて川中島24時で思った次第です。ノッブも景虎ちゃんも、晴ノッブも、真様も、義元パパもみんなそうじゃんかよ……。そんな話。染様がこれを浦原さんに叫んでいたのは確か48巻だったと思うけども記憶が定かではないです。ただ台詞は間違っていないと思います。論理だったか理論だったかぶっちゃけ覚えてないけども。今確認する元気はないです。本棚探しに行くには暑いんだよ……。

神になるならないっていうのはあるよねっていうのと、徳川君と石田君は上手く行っていたら仲良く出来たんじゃないかなっていつも思うよっていうアレです。

徒花に実は生らぬ

神? 神。……神?

「不思議な男だ」
「……は?」

 問いを向けてきた信長公にそう言われる。そうして、値踏みするようだったその不敵な笑みは、ただただ面白いものを見るような目線に変わっていた。

「いや、面白い……違う。やはり不思議な男だと思うよ。茶々に聞けばまた違うことを言うのかもしれんが、少なくともわしには不思議に見える」

 自らを第六天魔王と称した御仁は、或いは憐れむようにこちらを見た。その視線の透徹し切っていることが、どこか何か怖かった。

「憐れとは思わぬ。それが正しいのだろう。だが、そうだな。そなたと秀吉と、そうしてあれともわしとも。皆が皆、目指すべき場所は違ったのだろう。それはあるいは、毘天の化身とも、甲斐の入道殿とも違う。今川殿とも違う。その差異がそなたに分かるか?」

 あくまで静かな問いに私は頷いた。頷くよりほかなかった。
 いつもならば楽し気に笑い、多くを語るだろう信長公は、静かに言った。

「乗り越えようとは思わぬのか?」
「思いませぬ。今も昔も、少したりとも」

 そう答えれば、その方はやはり笑った。その笑みは、一見すればどこか儚い童女のようでさえあり、その面影は確かに茶々様にあるというのに、それ以上に幼げであることと、純粋であることは、その方があくまでも「  」であるからだろうか。
 そうであるならば、確かに私は「  」であり、茶々様は「  」ではあっても「  」ではなかった。それは或いは――。

「欲のない男だ」

 静かに、静かにその方は言った。
 天下にその手を掛けた方は、言った。

『そなた、クコチーもそうだし、なんだっけ、あの人斬りサークルの芹沢さんちの鴨もそうだけども、いや、カモ関係ない? まあいいや。あれってさ、そういうこと考えたことあるワケ? まー、あの弱小サーの伊東某はちょっと違ったけども、まあ邪馬台国関係ないからノーカンで』

 カルデアの食堂で、信長公に不意に声を掛けられた。カルデアに合流したばかりでまだ慣れないなかなのもあり、周回と言ったか、それのあとにシミュレーターに柳生殿に付き合ってもらった後には昼食の時間は大幅に過ぎており、ガラガラのそこではなぜか織田信長公が茶と菓子を召し上がっていた。
 相席の申し出もそうだが、こんなことなら柳生殿を誘えばよかったと思ったが、それ以前にまだ用事があるらしかった彼を引き留めるのも何だったのは確かだ。宮本殿と言ったか。私も手合わせは願いたいが、セイバーとなるとどうしてもそういったことがやりたくなるのだろうか。

『そういうこと、というと?』

 訊かれた意図が分からずに問い返せば、氷菓を食べながら信長公は言った。

『そういうふうに聞き返してくるってことはないんだろうけども。神になりたいとかね、考えたことあるんかっていう』
『……は?』
『天下取るって大体そういう意味……ではないんだけどね、良い子のみんなは真似しないでね! そうじゃないけどもね、ある程度の大義名分的なもんいるじゃん』

 問いに絶句した私は、だとすれば。

『……ありません』
『ふーん……じゃ、サルのこと神にして満足した感じ?』

 神? 神。……神?

『分かりません』
『……』

 短い答えに降ってきた沈黙と視線に、言葉を間違わぬように答えた。

『分かりませんが、私は神にならんとはしませんでした。秀吉様が神であられたかも分かりません。ただ』
『ただ?』

 私はそこで言葉を切った。ひたすらに透徹したかつての『天下』にその手を掛けた第六天魔王の視線がこちらを射抜く。

『私のかつての友は、生きながら、その死後も、神たらんとし、確かにそれは叶いました』
『……あっ、そ』

 ……その男の名を、徳川三河守家康殿と言う。
 そうして信長公は言った。

『欲のない男だ』

 私は、豊臣の臣下であることを乗り越えようと思ったことは一度たりともなかった。二君に仕えるどうこうという小難しい話がしたいのではない。ただ単純に、私は秀吉様の、豊臣の臣であることを是としていただけた。それを乗り越えて、天下に名乗りを上げようと思えるほどに、私は――

「欲がなかったのか? 強くはなかったのか? 私はなんだ?」

 天下が欲しくはなかったか、と問われた。その代償は払わなければならないが、とその御仁は言った。信長公は、秀吉様は、クコチヒコは、壱与殿は、卑弥呼殿は、謙信公は、信玄公は、今川殿は、そうして家康は、天下を治めんと、平らげんと、その身を差し出そうともその代償を踏み越えた。自らの『人』という唯一性を差し出して、踏み越えた。

「私が臣であり続けたことは逃げだったろうか」

 そうだろうか。私は何かを望むべきだったのだろうか。望むために、血を流すべきだったのか。それとも。

「望まぬままに流した血には意味がなかったのか?」

 そうは思わぬ、思わぬが、ただ。
 ただあの問に答えた女の童のような信長公のその笑みは、一見すればどこか儚い童女のようでさえあり、その面影は確かに茶々様にあるというのに、それ以上に幼げであることと、純粋であることは、その方があくまでも「武人」であるからだろうか。
 そうであるならば、確かに私は「臣下」であり、茶々様も私も「臣下」ではあっても誰かの「主」ではなかった。それは或いは――。

「だが、私たちは確かに血を流した」

 神。
 神という存在に自らを付託して、それを差し出して、私たちは。

「儘ならぬな、家康」

 かつての友に、かつての仇に、言ってみた。

「貴様は確かにヒトだったろうに」

 儘ならぬ、どうしてか。

 

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石川智晶「逆光」

 

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