無題

祖父の遠忌だった。

身内として過ごした年数はまだだが、弟子として過ごした年数は師匠が亡くなった日から今日で越えてしまった。

弟子になろうと決めて内弟子になることが出来る環境に生まれたのだからとにかく幸運だったと思うし、入門を許可されて良かったと思う。

とにかく物事に拘泥しない人だったが、入門には一つだけ条件があった。

「あらゆる宗教と学問を勉強し続けること」。もし内弟子として過ごす中でそれを怠ったら破門するというのが約束だった。ほかの宗派や宗教を知らない、学問を修められない、知らないのになぜこれだけは学べると思うのか、それはあまりにも傲慢というのだ、とそれだけは繰り返し何度も言われた。

師匠が死んでからもっと師から学んでおけばよかったとか、ここがこうでと実感することは一つもなく、ただ単に、師に及ばないということだけは分かるそのまま弟子としての時間が師匠が死んだ時間より長くなって失笑した。

あの老子からよくこれが出来るものだと私自身は思うが、年々似てきたと言われる。死んだ伯母に似ているから顔立ちならいいと思うが、それ以外の素養と言われると笑ってしまうからいまだに駄目なやつだと西堂の方などからは注意される。それはそう。

どうでもよくもないが、祖父を祖父ではなく師匠と思い、仏道というよりも祖父のような人物になりたいというのでもなく、祖父のもとで学ぶことにした切欠になったのもこういう雪は降ってないのに馬鹿みたいに寒い日だった。

「信念や願いが叶うことは生きている限りほとんどない。まずないと言っていいと思う」これが私が祖父を祖父ではなく師として仰ぐことになった最初の切欠で言われたことだった。私ではなく私の親友に言ったことだったけれど、何度思っても子供になんてひどいことを言うんだろうね。

「他人を理解するのが難しいように他人から理解されるのも難しい、そのうえで諦めてもいいし明らめてもいい。ただそこにいるだけのものもある」

禅僧らしくもない問答以下というか、答えもないし、理想もないしなにもなかったけれども少なくともその時そこにそれを聞いていた人間は祖父の運転する車の中で私と友人のガキ二人がいた。

私の親友は大成したと思う。なんだかんだ言うが彼は上手くやっているし、「生きている限りほとんどないしまずないそれをやり遂げるだろうからお前はとにかく手を貸しなさい」と祖父が後々言っていた通りのことをやれたのだから所謂人を見る目が祖父にはあったのだろうし、あのひでえ言い方も励ましだったと言われた野郎も気付いていたし、まあいいんじゃないですかね。

私は祖父を師とすることで「そこにいるだけ」になることとなにがしかのライセンスが欲しかったがまだ手に入っていないので、今日からまた頑張ります。

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