「ひよ里…な、のか…?」
姿かたちも、霊圧も、彼女が自分の知る彼女であることを示しているのに、どうしてか俺の脳はその事実を拒もうとした。銜えていた煙草が滑り落ちる。
「ガキが、いっちょまえに煙草なん吸いおって!ガキはガキらしゅう飴でも舐めてりゃええねん、このハゲ阿近!」
呼ばれた名前に、俺の体は完全に停止した。彼女の足が自分に向かって伸びるのが視界の端に見えた。次いで腹に走る衝撃。その重みに耐えかねて、俺は思わずよろめいた。
「っ!!…何で避けんかった!お前、ウチの蹴り避けへんかったこといっぺんもないやん!」
叫ぶように言われたその台詞に、100年近くも前の出来事が逆流してくる。あの頃の俺は、彼女の放つ蹴りを避けては皮肉を言い、時には掴み合いの喧嘩もした。その頃の彼女と、今の彼女が重なって、俺の脳は悲鳴を上げる。服装以外ほとんど全ての事柄が一致しているのに、頑なに彼女が『ひよ里』であることを拒もうとする。
「何ぼさっとしてんねん、阿近!」
ギッと睨み上げる視線に、彼女はこんなに小さかっただろうか、と彼女の存在を拒もうとする脳とはまた違う、どこか冷静な自分が問いかけてきた。その問に、はたと気づく。
―違う。変わってしまったのは、俺の方だ
そう、過去と一致しないのは、彼女ではなくて自分。頑なに拒んでいたのは、彼女が変わってしまったからではない。変わってしまったのは自分だというその事実に俺自身が耐えかねているのだ。だが、その事実に気づいた今、目の前の存在を彼女と認めるほかない。
「ひよ里…なんだな」
確かめる様に手を伸ばす。触れた髪の柔らかさと温かさが『昔』となんら変わらないことに、驚くほど安心している自分がいた。
「撫でんなや、うっとうしい!」
くすぐったいのか、身を捩って俺の手から逃れた彼女の頭の位置が、本当に低くて、時間が流れた自分との差が克明に思われた。そのことにか、何なのか、突然、口寂しさを感じて、俺は懐の煙草に手を伸ばす。
「何やねん、お前。久々にウチが会ってやったんに、他にすることないんかい?」
彼女が仮面の軍勢に所属していて、先の戦いにも参戦していたということは、資料として伝え聞いていた。しかし俺は、今こうして本人に会うまでその事実を認識できなかった。というか、今本人を目の前にしても、まだその事実に戸惑っている自分がいる。
「タバコなん吸いおって…なんでタバコなんか吸っとるのになんで背ェ伸びてんねん。ムカつくやっちゃな。」
その言葉に知らず自嘲の笑みが漏れた。
知っているか、ひよ里。この煙草はとても甘い。100年近く前、まだガキだった俺が抵抗なく吸えたほど甘い。俺はあの日から一度も銘柄を変えちゃいないんだ。
―あの日。
お前が突然消えてしまった次の日、俺は煙草を買った。
何でもない、あんな奴どうでもいいと思おうとしたのに、いたはずのお前の空白に、俺は耐えられなかったんだ。気づいたら売っている煙草のうちで一番甘い、菓子みたいな香りのする煙草を俺は買っていた。感じられなくなったお前の声や、体温を埋めようとして、俺は煙草を吸っている。煙草なんて煙たいばかりで、今でも全然好きになれない。でもその甘い香りを肺に吸い込むことで、俺はお前の空白を埋め続けてきた。
100年の空白。それを埋めるのに、こんな煙草はなんの役にも立たない。それでも俺は、きっちり一日一箱この煙草を吸い続けてきた。
その空白が、今目の前にいる彼女によって埋められようとしている。そう思って、俺は銜えていた煙草を放った。空いた両手で彼女を抱きしめる。
「ちょっ!なんやねん阿近!きしょいわ!」
叫ぶ言葉を無視して、抱きしめる力を強める。ふわりと香る彼女の香り、伝わる温かさに目頭が熱くなった。
「すまん、何もしてやれなくて…お前の方がずっとずっと辛かったのに、俺は何もできなかった。」
死神が嫌いだと言う彼女。きっと、ただの自己満足だが、それは何もしてやれながった俺を恨んでいるのだということの様に感じられた。
「…なんや、阿近、ずいぶん甘い匂いすんなぁ。タバコか?」
抵抗をやめて抱きしめられている彼女が呟いた。
その言葉に俺はやっと、昔のように笑えた。
「お前の方がずっと甘いさ。」
甘い香り
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ひよ里との再会について。
阿近さんには甘い煙草を吸っててほしいなぁという願望。アークロイヤルとかブラストとか。前にも同じようなことを言った気がします。
2012/2/14