辺境


 人間は死んだらこちらに来る。じゃあ、死神は?と俺は至極不明瞭な問を浮かべて、フッと煙を吐いた。





「死んだら、ですか」
「そう」

 俺は、昨日から考えているそのどうだっていい思考を、自隊の副隊長に宛てていた。

「死神は、と言うより、俺は、どこに行くだろうな」

 誰だって良かったのかもしれない。たまたま技局の研究室にいるのが俺と彼女だけで、だったら、そこにいるのが彼女じゃなかったら、違う奴にだって俺は同じことを訊いた気がした。棚から薬品を下ろしながら、俺は書類を待つ彼女に問うた。


『死んだらどこに行くと思う?』


 不明瞭な問だった。消失すると知っている。霊圧は消失する。だから、どこにも行けやしない。
 そうだというのに、俺はどこかに行くことを望んでいるような事を言った。望んだってどこにも行けないのに。

「申し訳ありません、分かりません」

 本当に悩んだような声で言った彼女に、聞かれたのが彼女で良かったな、と思った。研究畑の奴らなら、笑い倒されていたところだろう。

「あー、いや、別に重要なことでもねえから」

(だって、分かってるし)

 後半に続く言葉を呑み込んだ俺に、漆黒の瞳の少女は首を傾げて言った。

「次まで考えておいても構いませんか?」
「……は?」

 あれか。「分かりません」ってのは、「今は分かりません」って意味か。副隊長殿の真面目なところは買うが、どうしたって考えなくてもいいことに労力を割くのこそ徒労と思われた。

「いい。別に」
「ですが…」

 押し付ける様に書類を渡して、俺は薬品を見詰める。薄い硝子の向こうの液体が、俺を映して歪ませた。





「三席」
「なんだ」

 珍しいな、と俺は書類片手に机から目を上げた。今日は研究が休みで(というか経過観察で)、特にすることもないから残務処理をしていたのが個人の部屋だったので(三席で個人の執務室を持っている、というのは、他隊では破格の待遇らしいが)、俺は副隊長の来訪にますます驚いた。手には茶を載せた盆があって、回って歩いているらしいことを示していた。

「お前なあ、前も言ったけど、普通の隊士どもは驚くから、そういうのは部下にさせとけ」

 他意も悪意もなく、ただの善意でお茶汲みをする副隊長、というのも考えものだったが、俺にしてみれば慣れてしまったことだから、受け取ってしまう。三席が俺だから、ここまで運んで来れば終わりだった。本当は俺からなのだろうが、後回しでいい、と前に言ったら、本当に後回しにされた。素直なのか、それとも甘えられているのか、俺が甘えているのか、付き合いが長くて却ってよくは分からないが。

「考えたのですが」
「あ?」

 茶を一口含んだところで、机を挟んで目の前に立った彼女が真っ直ぐな瞳でこちらを見て言った。

「よく分かりませんでした」
「何が?」
「……三席が亡くなったら、どちらに行かれるのか」
「って、マジで考えてたのかよ!」

 俺は噎せそうになりながら、思わず大きな声を出してしまった。一週間前の問は、彼女の中で消化されずに廻っていたらしかった。

「私には、死と謂う物がよく分かりませんでした」

 大真面目に言われて、俺は本当に呆れてしまう。それは、俺自身に対する呆れだった。どうでもいい問を掛けて、彼女を混乱させてしまった自分自身への呆れ。

「悪い」
「何故謝るのですか?」
「いや……」

 あまりにも馬鹿げているから、と続けようとして、俺はふと口を噤む。


 本当は、知りたい。
 本当は、担保が欲しい。


 消失点へと続く道すがらを。


「考えたのですが」
「ああ」

 もうここまで来たら彼女は自分の意見を述べるだろうという察しはついた。そういう性格だ、と知っている程度には付き合いが長い。
 だけれど、聞きたくない気持ちもいくらかあった。
 ただの消失点だから考えてもよく分からない、という、彼女の辿り着いただろう、そうして誰もが知っているその答えを、だけれど彼女の口から聞きたくない、という、ひどく勝手な思いがあった。

「消失しないと思ったのです」
「は?」

 だから、予想外の言葉に俺は首をひねった。

「はじめ、消失点だと思いました。ですが、三席が亡くなったとして、例えば技術開発局は混乱するでしょう」

 それに何の意味がある、と言おうとしたが、彼女は気にすることもなく続けた。

「皆、困ります。それは三席だけではありません。誰しもそうだと思ったのです」
「そういう、ことじゃなくてだな」

 遮ろうとしながら、だけれど俺はふと期待を掛けてしまった。彼女も困るだろうか、という、詮無い期待だった。

「三席が亡くなったら、たくさんのことが起こって、そうして私は―――」

 彼女はそこでふと言葉を途切れさせた。感情の起伏がほとんど感じられない声だった。それは、まるで彼女の語る俺の‘死’というものに対する、水鏡のような静かな返答のようだった。

「私は花を持っていきます」

 途切れた言葉の先を言って、彼女はふと微笑んだ。


(嗚呼)


 その微笑みに、俺は嘆息を漏らす。
 それが欲しかったのだと言ったらお前は笑うだろうか。それとも怒るだろうか。


 消失点のその先の、誰かを。
 消失点のその先の、何かを。
 その先の約束を。
 その先の担保を。


「どんなに遠くでも届くような花を、お持ちします」

 微笑んだ彼女に、俺は微笑みを返した。

「頼む」

 その死の先に、貴女がいると言うのなら―――






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阿ネム×シリアス