LOVE and PANIC!!
「副隊長は阿近を甘やかし過ぎだわ」
采絵の声がしたような気がして、俺は自分が半分以上寝ていることに思い至った。
明晰夢か。疲れがたまっている可能性があるな、と夢の中で思ったが、それもそうだろう。年末年始などという概念は残念ながら俺の職場、特に技局には存在しない概念だ。そういえば三、四日寝ていなかった気がする。
「ですが、お疲れのようですし」
采絵の声よりもより近くで、その彼女がたしなめた副隊長の声がしたような気がした。位置的に、彼女の頭を掻き抱いているような所からする声で、ずいぶんと都合のいい夢を見ているな、とぼんやり思った。
「セクハラよ、これ。局長に上申しましょ、副隊長」
「ですが」
夢の中で彼女が言い差したところで、唐突に脳天に酷い痛みが走って俺は覚醒した。
「ってーな!!」
「お目覚めですか」
「セクハラよ、阿近」
そこにいたのは、呆れたように多分俺の頭に振り下ろしただろうバインダーを片手に持つ采絵と、それから何故か俺の腕の中に収まっている嬢ちゃんだった。
*
「阿近三席に書類をお渡ししようと思いましたら、眠っていらっしゃったのです。書置きしていこうかと思いましたら、腕にとらわれてしまいました」
嬢ちゃんを無意識に掻き抱いていた腕から解放すれば、いつも通り真っ直ぐに立ってきっちりと手を揃えた彼女に言われた。後ろで采絵がバインダーをパシンパシンと手に打ち付けて音を鳴らしている。そういえばこいつは真正のSだったな、とぼんやり思った。
「わりぃ」
「悪いで済んだらセクハラなんて罪状は存在しないのよ、分かる?阿近」
そうしてそれから、彼女が松本副隊長と並ぶほど自隊の副隊長を妹のように溺愛しているのを思い出した。
「しかし、お疲れだったのです。意識もなかったようですし、私は何も困っていません」
「そういう態度が阿近を付け上がらせるのよ、副隊長。前々から言っているけれど、コイツを甘やかしてもロクなことないわ」
だって阿近は、と言い差した采絵に思わず手近な書類の束を投げつける。
「オイ、三席様の命令だ。今日中にその書類処理しろ采絵」
「都合が悪くなるとすぐこれよ、うちの三席サマサマは」
呆れたように言って、彼女はその書類の束をキャッチすると嬢ちゃんに言った。
「副隊長、松本副隊長も草鹿副隊長も楽しみにしてらしたから今晩の協会クリスマスパーティーには出てきていらしてね?局長にも卯ノ花隊長が外出許可の話を通してくださったそうよ」
「仕事が終わりましたら、参ります」
そう嬢ちゃんに言って采絵はひらひらと俺が投げつけた書類の束を振りながら俺の執務室を後にした。「変なことするんじゃないわよ」と余計なひと言を言い置いて、だが。
「阿近三席、お疲れなのですね」
「いや、まあ、寝てねえから。でも嬢ちゃん嫌だったろ、あんなことされて」
「……いえ」
少しの間ののちそう言って、彼女はちょっとだけ俯く。その首筋が赤くて、無意識とはいえ俺にされたことが相当羞恥や悔しさがあったのだろうかと思い、俺は俄かに焦り出した。
「本当に済まない!」
思わず叫ぶように言ったら、彼女はパッと顔を上げた。付き合いの長さからか俺の焦りや混乱に敏感な質の彼女に大声を出して謝罪するなんてこんな態度を取ってしまった自分を殴り飛ばしたい。俺が全面的に悪くても、こういった態度を表に出してしまえば彼女は自分よりも俺を心配するからだ。そんなの俺の考えた都合のいい驕りかもしれないが、それでもそれだけ彼女は優しいと知っている。
「違います!」
本当に珍しく俺に負けないくらい声を大きく出した彼女の顔は真っ赤で、本当の本当に珍しいことだ。そんなに嫌だったのだろうか、と落胆しかけたところで、彼女はまた俯いて、小さな声で言った。
「三席が、このように私に甘えたり、頼ってくださるのはいつもお疲れの時で、そのような時にしか頼り甲斐のない自分が恥ずかしく……それに」
いや、それむしろ俺の台詞だから。頼ってほしいの俺だから、甲斐性無しは俺だから、と思ったが、『それに』から先に続く言葉に少しだけ俺は期待した。ガキみたいな期待だ。赤くなっている彼女が、自分と同じ気持ちを持ってくれていたらいいのに、なんていう、幼稚な期待。
「それに?」
意地悪く訊き返したら、彼女は赤くなった顔をもう一度上げて言った。
「今日は、クリスマス、なのです」
「あー、ああ。日付感覚狂ってたがそういやそうだな」
思わず眼前の端末の日付を確認して応じれば、彼女は赤面したまま続けた。
「そんな日くらい、三席に抱き締められているのもよいことではないか、と思ったのです。軽蔑なさいますか」
その一言に俺は思わず目を見開く。確かに俺は先ほど采絵の言葉を遮った通り、彼女のことが好きだ。娘や妹じゃない。恋愛感情というやつだ。だが、それはなるべく表出しないように努力していて、彼女を甘やかしたり、彼女に甘やかされたり、そんな兄妹同然の関わりの延長線上で十分だと思ってきた。
だが、彼女のストレートすぎる告白だろうと思われる言葉に、俺は瞠目した。我を失うとは正にこういう事を言うのだろうと思う。
「軽蔑なんぞ、するわけないだろ」
やっとこさ出てきた言葉と共に、彼女をもう一度抱き締める。
百万回の言葉よりも、多分俺には実際動く方が似合いだ、と思いながら。
「なんだよ、もっと早く言えよ。つーか先に言うなよ。俺の甲斐性無し度合いが高まるだろ」
全く逆のことを言い連ねながら彼女を抱き締めると、腕の中で身じろぐ気配がする。
「あの、そ、の」
「好きだぜ、俺も」
ずっと昔から。いつしか彼女は妹でも娘でも、敬愛する対象でもなくなっていた。
ただ一人の少女として、振り向かせたかった。
先に言われたのは本当に癪だが。
クリスマスってのは現世の風習らしいが、聖夜の恋人云々かんぬんというのを享楽隊長が瀞霊廷通信のコラムかなんかに書いていたような記憶がある。
聖なる夜なんて言うには、俺たち死神にしてみりゃ全然関係ないことのようにも思われたけれど、しかも仕事漬けで寝落ちの末の、極めつけは彼女からの告白なんて色気もクリスマスも何一つない訳だけれど、そのくらいの温度が俺たちには丁度いいのかもしれないと思った。
恥ずかしそうに俺の胸元で俯く彼女の顎を持って口付ける。
「なかなかいい記念日になったな」
「三席!」
今日は珍しく声を上げるコイツが見られてそれも満足だ。
桜貝の色をした唇に口付けてから、俺は彼女を腕から解放して、がさがさとデスクの引き出しを漁る。
出てきた小瓶は、例えばこんな関係になれなくても、いつも通りの関係でも、男の意地で渡そうと思っていたクリスマスの贈り物だった。
「女性死神協会の宴会までまだ時間あるな」
「は、い」
恥ずかしさからかカチコチな動きになった彼女の手を引いて、俺の部屋で唯一荷物に占領されていない寝台に座らせる。
「これやろうと思ってたんだよ。お前は綺麗なのに色気がないから、松本副隊長たちにどやされんぞ。まあ、お前は素のままが一番綺麗なんだけどな」
そう言ってから、俺は小瓶を開けてやわらかな桜色のマニキュアを彼女の爪に塗る。
「あの!」
「安心しろ。手先の細かい作業は得意だ」
ほんとは真っ赤なものや真っ黒なものなどはっきりした色の方が白い肌に似合うかと思っていたのだが、塗っていけば控えめながら光沢のある色が彼女の指を美しく彩っていって、松本副隊長に頭を下げた甲斐があったなと心中思った。
「出来上がり。これは俺から嬢ちゃんへ」
「ありがとうございます」
嬉しいです、と小さく恥ずかしそうに続けた彼女にまだたっぷり中身が残っている小瓶を渡す。
「あの、もし落ちてしまったらまた塗っていただけますか」
「いいぜ」
上機嫌で言った俺に、彼女は物言いたげな目をして、それからもう一度言葉を発した。
「それから、『嬢ちゃん』ではなく、ネムとお呼びください」
彼女なりの我がままなのだろう。どうにも可笑しくて、可愛くて、仕方がない。
「隊長の前以外でな、ネム」
そう呼べば、彼女の顔がぱっと綻ぶ。
「阿近三席にも」
彼女が言い差したところでドンドンと俺の部屋の扉を叩く音が響いたのち、返答も聞かずに無遠慮に扉が開けられた。
「ネムー!阿近なんかに捕まってないでよー!そろそろ始まるわよ!」
空気読めや、と声の主の松本副隊長に思ったところで、彼女は俺を一瞥して言った。
「じゃ、阿近。ネムはアタシたちとパーティーなの!独身貴族は独り身のクリスマスを楽しみなさーい!」
失礼極まりないことを言いまくって、彼女は嬢ちゃん、基、ネムを連れ去った。
*
「あら、副隊長。そのマニキュア素敵ね」
「似合いますか?」
「ええ、とても」
采絵はシャンパングラスを持つネムの手元に目を留めて微笑した。
「ネム、阿近に渡せた?」
采絵が離れてから近づいてきた乱菊が彼女の耳元で囁く。それにネムは微笑を返した。
「まだですが、今晩必ず」
その彼女の胸元に仕舞われているのは、銀色のライターだった。
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フライングメリークリスマス!
2014/12/22