「何の真似だ。」

 物の無い執務室に、無機質な低い声が響く。

「君の思いが、如何に不毛か、分からせてやろうと思ってね。それにしたって僕にこんなにも簡単に追い詰められるなんて、ちょっと優越感に浸っても構わないかい?」

 無機質な檜佐木の声とは対照的に、彼を、大して広くもない執務室の壁際まで追い詰めた綾瀬川は一種艶やかにも思える声音で言った。その声には、幾許かのからかいと明らかな憐れみが含まれていて、それが檜佐木を苛立たせる。

「勝手にしろよ。どうでもいいがその胸糞悪い面どかせや。こちとらさっさと書類あげなきゃなんねぇんだ。暇な五席殿を構ってる暇なんざないんでな。」
「元、隊長の分でしょ、どうせ。」
「…うるせぇよ。」

 揶揄するような彼の指摘は、却って檜佐木の頭を冷やした。

―どうでもいい、どうでもいい、どうでもいい

 氾濫する感情を抑え付け冷えていく脳。しかし綾瀬川は追い討ちをかける様に続ける。

「…まだ慕ってるんでしょ?こんな仕事しててすごいとか、あの人の正義とは何かとか考えてる。不毛だよ、それは。」
「うるせぇって言ってんだろ。」

 檜佐木は本当に面倒だという風に息をついた。

「どんなに君が慕っても、東仙要は謀反人なんだよ。」
「そんなこたぁ分かってんだよ。だが俺は必ずあの人にあの人の正義を質す。その時俺はあの人を斬るかも知れない。それはお前には関係の無いことだ。」

 一気に言って、彼は綾瀬川から顔を背けた。顔を背けることで、正面に立ち現れた刺青を白い指がなぞる。

「皮肉だね。君はこの数字さえ手にすることができないのに、彼らが守って、裏切ったこの九番隊を図らずも手にしてしまった。その上で、まだ殊勝にも『元』隊長を慕って、この数字に憧れている。不毛だよ、呆れるくらい。」

 自分でも分かっていることを指摘されて、自嘲の笑みが漏れた。そう、とても不毛。この手に落ちるはずの無い物ばかりをいつも求めている己が滑稽で仕方無い。同時に眼前の男を切り付けようとする実態のない刃が心に生まれる。

「じゃあ訊くが、お前のすることが不毛じゃなかったことなんてあるのかよ。」
「僕かい?」
「隊にだか、誰にだか知らねぇが、妙な操立てして斬魄刀も解放しないお前のやってることは、不毛じゃねぇのかって訊いてんだよ。」

 背けていた顔を戻すと、そこには、哀しい様な自嘲の笑みがあった。

(ああ、まるで―)

まるで鏡を見ている様だ。

 彼のその表情を、檜佐木の眼は鏡を見る様な気分で見つめた。今、自分の顔に載っているそれと、彼のそれが一分も変わらないことを、意図も容易く受け入れてしまえるくらいには、それは見慣れた表情だった。

「…そうだね、不毛だ。君と同じ。」

 見慣れた哀しい様な笑み。鏡に映る己の顔と、それはなんら変わらない。

「同じだからこそ、君のすることが如何に不毛かが僕には分かる。手に取る様にね。」

 伸ばされた手を、檜佐木は払い落とした。

「そんな馴れ合いには興味がねぇな。書類置いてとっとと出てけよ。」
「つれない男だね。」
「んなこと男に言われたって全然こたえねぇよ。」

 またひそりと浮かんだ笑みに、綾瀬川は知らず目を逸らす。

(―ああ、なんて!)

なんて二人はそっくりなんだろう―


 




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2010/11/10