背の君


「あーあー!」

 隊舎というかほとんど研究室に改築されたそこで、ウチは奇声を上げた。自分でも奇声だという自信がある声やった。

「うるさいネ」
「これどうすんのや!」
「これ、とはなんだネ、猿柿副隊長」
「これ!」

 ワザとマユリに聞こえるように言うたんさかい、ある意味成功したそこで、ウチは机に突っ伏して起動停止している少年を指差して言った。

「睡眠不足だろうネ」
「見りゃ分かるわ!このガキもう三徹目やぞ」
「寝かせておけばいいだろう」
「ここ寒いねん。風邪引くやろ」

 突っ伏して寝ている少年……阿近は、この研究室で三日連続で何かやっていた。ウチには理解不能の実験は、阿近曰く、気温だか湿度だかに左右されるらしく研究室の室温はずいぶん下がっている。書類を置きに来たらこの有様で、昨日までせかせかと動いていたと思うが、今日は来てみたらまんじりともせずに机に突っ伏して動かない。寝不足というよりあれじゃないのか、冬眠的な何か、と思いつつ、とりあえず監督責任だろうと思ってマユリを呼んだワケやった。

「フム…実験は終わっているようだネ。阿近も流石に実験途中では寝ないか」
「じゃあええやろ。仮眠室にでも叩き込んどけ」

 装置をいじって記録を見たマユリの言葉に、書類を机に置いて言ったらマユリはあからさまに面倒そうな顔をした。

「この後実験があってネ」
「監督責任!」
「それを言うなら隊員の監督責任は副隊長の監督責任だろう。研究員の監督責任、の、監督責任、だヨ」

 ほとんど揚げ足を取って、勝ったという表情で笑っているマユリに一瞬で血圧が上がったが、正直に言えば返す言葉がないような気もする。研究員の監督責任の監督責任とは上手い言葉を考えたものだ。巡り巡って隊員だから、という言い方が非常に腹立たしいが、ウチが副隊長である以上、そこには責任が発生する、ような気がした。

「前から言おうと思っとったんやけど」
「何かネ?」
「副隊長っちゅうのは雑用係やないねんで!!」
「ああ、どうせ実験は終わっているし、仮眠室ではなく寮の部屋に叩き込んでおいてくれたまえ。これが鍵だヨ」
「せめて聞けや!!!」

 チャリンと鎖から外した鍵を渡されて、ウチは絶叫した。
 絶叫しても起きない阿近は、やっぱり冬眠なんじゃないかと疑いたくなったけれど。





「…?」
「おう、起きたか」

 背中で阿近が動く気配がして、ウチは軽く首をひねって振り返る。
 状況把握ができていないらしく、バタついた彼を叩き落とそうか考えて、それからウチは説明することを選んだ。

「実験終わってん」
「は?」
「実験終わって、研究室でお前が爆睡しとって、マユリに寮まで連れてくよう頼まれたから、優しくて世界救える副隊長様が運んどるところや!」

 分かったか、とほとんど押しつぶされるぐらいの大きさの阿近に言ったら、彼はわりと軽い身のこなしですとんとウチの背中から降りた。

「わり…」
「悪いと思うなら体調管理くらいせえや!ほんまに研究室の連中っていっつもこうやな!」
「悪いと思ってるけど…なんでこんなとこにいるんだ、俺たち」

 背中から降りて、きちんと覚醒したらしい阿近はきょろきょろとあたりを見回す。西日が差すここは、護廷の隊舎からはだいぶ離れていて、ということはつまり彼の寮がある場所からも離れているから、不思議そうにするのは当たり前やった。

「お前の部屋、寒かってん」
「?」
「もともと実験室冷やす実験やったんやろ?ただでさえ体冷えてるのに、わざわざまた寒い部屋にぶち込むのも問題やと思っただけや」

 暖房入れたけどまだあったまるまでかかりそうやし、と続けたら、半分理解して、半分分からないという顔で阿近は首をかしげた。

「悪い、な?それはいいとして、なんでここなんだ?」

 研究室で研究している時は、本当に三割増しいけ好かないガキやけど、こういう微妙に頭が回らないところを見ていると、ほんまにただのガキやなと思ったりもする。自分が小さいから勘違いされやすいが、正直阿近はウチから見ればまだまだただの子供やった。
 斬魄刀の扱いも、使える鬼道の種類も、歩法や白打といった体術も、何もかも、自分の方がずっと上で、いや、上とかそういう以前に、コイツはただの子供で。

「陽が当たる方に歩いてきただけや」

 そう思ったら、どうしてか居心地が悪くてウチは地面を見て言った。


 少し前まで、自分も子供だったのを知っとったから。
 副隊長になっても、ずっと子供だったような気がしていた自分は、多分とても甘やかされていたのやろうと思う。
 それが喪失やないと思いたいから、出来れば自分もそんなふうになりたいと思う。
 それが過去でも、それが喪失ではないと思いたい。
 悪くはないもの。
 確かに、隊長は変わった。
 隊の方針も変わった。
 だけれど、それが全部悪いことだと言うほど自分が子供ではなくなっていたのと、そしてそこがそんなに悪いところじゃなくなっていったことが、全部が悪いことじゃないと教えてくれた気がした。
 誰かにその分ウチが、曳舟隊長がそうやったように、出来ればいいと思うから。


「ありがとう」
「ふん」

 素直に礼が言えるあたり、まだマユリに毒されきってないようやな、なんて思いながらウチは隊舎に足を向けた。

「帰るで」
「ああ」
「お前、どうせ道知らんやろ」
「……ああ」

 決まり悪そうに間を置いて返した阿近に、ウチは背中を見せる形になっていた。

「たまには散歩くらいしいや」

 ずんずん進む自分の背中をタタッと追う足音がして、妙に安心した。
 夕暮れが、すぐそこまで迫っている。
 早く帰ららないと、と、思った。





 目を開けたら、視界がありえない高さで、ウチは息を呑んで叫び出しそうになった。

「なっ!」
「起きたか」

 視界の端には黒い髪。どうしてこんなことになっているのか、と考えるよりも早く、寄り掛かっていたその体に負ぶわれているのだと気が付いた。

「暴れんなよ。落とす自信あるぜ」
「あ…こん?」
「寝ぼけてんのか?」

 クッと喉の奥で笑った男は、だけれど自分の知る少年ではなかった。かろうじて霊圧が一緒やったから記憶の中の少年と同じ人物なのではないだろうか、と思ったくらいやった。

「阿近だけど」

 人を喰ったような返答に、ウチは何か文句をつけるとか、そういうこと以前にひどく安堵していた。
 阿近で良かったと思ったのかもしれなかった。
 阿近やなかったらどうしようと、心のどこかで思っていたのかもしれなかった。

「なんか一服して研究室戻ったら、懐かしいっていうかそういう馬鹿が爆睡してるわ、隊長から邪魔だからどっか持ってけって言われるわ、散々だよ、猿柿元副隊長殿」

 卯ノ花隊長に、先の戦いで受けた傷の診察するから瀞霊廷に来るよう言われて、診察が終わった後、現世に戻る前にふらふらと立ち寄ったのがあの研究室だった。立っている場所は変わらなくて、帰巣本能みたいやなと自分でも思った。中身の器具はだいぶ新しくなっていて、ついでに事後処理で忙しいのだろうか、誰もいなかったのでぼんやりしていたら眠ってしまっていたらしかった。
 背中にウチをのっけたままで、ちらっと振り返った男の顔立ちは、だけれど自分の記憶の中にある阿近ではなかった。少年だ、子供だと思っていた彼は、もう立派な青年やった。
 それでウチは、百有余年の長きを初めて覚ったような気がした。

「ったく、どこほっつき歩いてたんだか」

 呆れ果てたように阿近が肩をすくめて、視界が少しだけ揺れる。彼の髪から、懐かしい薬品と、真新しく感じる煙草の煙の匂いがしてウチは何となく泣き出したいような気分になった。

「すまん」
「結構待ってたら、百年だぜ」

 声色は面白がっているようなそれだけれど、彼が本気で言っているのは分かった。ウチも、その機微が分からないというほど子供ではいられなかった。

「悪い」
「お前が悪くないのは知ってるけど」

 阿近は静かに言って視線を真っ直ぐ前に戻した。顔が見えなくても彼が阿近だと分かる自分がいた。
 ―――本当は、顔も、背格好も、声も、何もかも昔とは違っている彼が、あの日の少年と同じ死神だと分かっている自分がいた。
 ウチはトンと阿近の背中を蹴る。蹴って、その軽い反動で地面に降りる。阿近は何も言わなかった。その背中に、ウチは声をかける。

「帰る」
「ああ」

 卯ノ花隊長に借りた地獄蝶が、ウチをせかすようにひらひらと肩に止まった。昔は、百年前なら、地獄蝶くらい自分で持ってこられて、現世に行くも帰るも、迷う心配なんてなかった。今は、死神の誰かから借りなければ行き来もできない自分が、本当に死神だったのかと思う反面で、目の前にいる青年が、確かに記憶の中の少年だと思う自分もいる。

 その過去が真実なら。
 その過去が真実だと知っているなら。


 多分。きっと。


 どんなに拒んでも、その日々が暖かい限り、自分は死神だったのだろうと、思えた。


「俺が昔研究室で寝こけた時と逆だな」
「ずいぶん昔のこと持ち出しおるな」

 ウチに背中を向けたまま、阿近が言う。ウチはその背中に言った。

「ほんとはさ」

 呟くように阿近は言った。

「お前が帰るなら、こっちだろって思う」
「……」

 ウチは、背中だけで言うその男にどんな言葉を返すべきか迷って、そうして何も言わなかった。何も、言えなかった。

「今も、引き留めて、同じ道を帰りたいと思う」

 そう言う彼は、もしかしたら相変わらず子供なのかもしれない。
 そんなはずないと知りながら、そんなことを思った。

「でも多分」

 静かに彼は言った。

「お前は帰ってこないんだろ」
「……お前のせいと違うけどな」

 かろうじて返した言葉は、彼を気遣うと言うよりは、彼をどうやったら慰められるだろうとか、そういう、子供を扱うような言葉だったけれど。
 ウチの中で、彼はまだ子供やったかもしれない。
 彼の中で、ウチがまだ死神やったように。

「ごめんな」
「お前が謝ることじゃないけどさ」

 そう言った彼に、ウチは背を向ける。
 本当は、背中合わせではなくて、互いの背に寄り掛かれるはずだったのだけれど。
 今はもう、背中を合わせることしかできないけれど。
 ザリッと、どちらともなく歩を進める。その方向は、全く逆だった。
 背中を向け合っていても、それが彼だと分かる。
 それだけで、今は十分だった。

「じゃあ」
「ああ」

 不器用な言葉しか出てこないウチらは、まだ子供なのかもしれないなと、小さく思った。
 黒い門が口を開く。
 死神の彼に別れを告げるように、その闇に足を入れる。


 彼の足音が、自分を追ってくることはもうなかった。


 背の君。
 背中合わせの君。




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シリアスというか、悲恋というか。

2014/10/06 ブログ掲載
2014/11/14