貴方はどの私にも平等で、どの私にも優しくて、どの私にもあたたかかった。
 それはマユリ様がくださる物に宿る歓喜とは違う感情を私の中に生んだ。
 あたたかな感情だった。
 それがとても嬉しかった。
 だからきっと私は貪欲になってしまったのだと思う。
 ‘私’には本来一般的な欲望などなく、全ての事柄が平均化されているはずなのだから。
 だから、貴方から受け取るものを、貴方に渡したいものを望んでしまったとき、私はきっとその均質化された数値を逸脱していたのだと思う。
 私は、いつからか―――いや、初めからだ。生まれた時から七號という七番目の眠としての自分にきっと固執していた。それはきっと、マユリ様が想定なさっていた眠の性能や数値を逸脱した‘感情’という機微だったのだと思う。
 だとすれば七號の私はもしかしたら出来損ないなのかもしれないと思うことはあった。
 目を閉じて、それまでの一から六までの眠の記憶と経験値を全て脳内で処理し、内面化する作業は私の好きな作業だった。目を閉じていれば眼前にあるのは漆黒で、脳の中に流れる眠たちの全ては私を形作る全てだったから、それが私の世界の全てだった。
 マユリ様が教えてくださったことが眠にとっての全てで、それが‘涅ネム’という名前を疑似的に与えられた眠の世界の全てだったからだ。

「これはなんでしょう」

 私はいつも通り内面化の作業を進めている途中に目を閉じたままぽつんと独り言ちていた。
 黒崎一護さんたちとの戦いが終結し、それから共闘関係になり、とたくさんの事が起こって、黒崎さんが死神としての力を失う形で藍染を封印したそのあと、尸魂界には束の間の休息が訪れた。束の間の休息、とはいえ、ひどい怪我を負った隊長、副隊長は多く、私が副官を務める十二番隊の技術開発局にも臓器回復などの患者が舞い込んでいた。
 しかしそれをするのは阿近三席を始めとする技術開発局の隊士たちで、私はそういったた知識がない訳ではないが、三席から休んでいるように言われたし、マユリ様が黒腔に行っていらっしゃる間、三席を始めとする技局の隊士が臓器回復などの処置で忙しい以上、私が隊の全権を委譲されていた。

 執務室ですることもなく目を閉じ、たくさんの眠の情報を励起している時に、ふと、その情報とは違う情報……いや、声がした。
 その声は、とても馴染み深い声で私は当惑する。


『俺は今のお前が好きだぜ。一號から六號までずっと見てきて、全員好きだけどさ』


 その声がもう一度聞こえて、私はぱちりと目を開く。昼過ぎの強い日差しが突然開いた目を射って、私の視界は眩んだ。

「三席?」

 その声の主はすぐに分かった。私の全てを形作る、マユリ様から与えられ、教えられた眠全てが持っているものとは違うものが私の内面にあることに、私は驚いていた。だけれど、驚くと同時に自分がいつの間にか阿近三席という存在に与えられるものに貪欲に、欲を見出していることも知っていた。
 それはマユリ様が私を一個体として認識してくださることとは違う感情だった。
 そうしてもう一度目を閉じる。そうしたら私の中に埋め込まれた一號から六號までの眠たちの情報の中の三席は、いつも眠を大切に扱ってくれていた。一號から六號までの眠全てがそれを感じていた。
 それに僅かに、不思議な感情が湧き上がる。嫉妬、という言葉の感情をマユリ様が教えてくださったことがあり、私にそれは必要のないことだと仰ったのだけれど、それはまるでその時に聞いた嫉妬という感情に似ていた。
 だけれど同時に自らが優位にいるような感覚も覚える。不思議だった。そんな感情、存在していないはずだったのに。
 眠一號から六號までを全て好ましいと言ってくださり、そうでありながら、今の七號の私を好ましいと言ってくださる三席のその言葉が、何か違う方向で嬉しい。
 その声を聞いたのはいつのことだったろう、と思って、私は隊舎の執務室の椅子から立ち上がると、技術開発局へと向かっていた。





「珍しいな」

 執務室にいるとばかり思っていた嬢ちゃんが技局に来て、俺はとりあえずそう声を掛けると適当な椅子から荷物や実験器具というかなんというかの、とにかく散らかり切ったそれらを落として座るよう勧めた。それに応じる前に彼女はかなり大きい保温水筒を抱えて、技局の給湯室に向かった。

「その前に皆さんにお茶をお持ちしましたから」
「いいぜ、別に」

 俺のそれに構わず、彼女はすたすたと給湯室に行ってしまって、今いる技局の隊士分の湯呑を用意しだした。こぽこぽと水筒から茶が注がれる音がする。

「副隊長の嬢ちゃんがそういうことする必要なんざないって何回も言ってるんだがな」

 頭を掻きながら言ったが、そう言ったときにはもう彼女は温かい茶をのせた盆を運んできて、各デスクに配膳していた。
 俺が最後なのはいつも通りだ。他の技局の連中は礼を言ってそれから一息入れる体勢に入っている。

「三席も、どうぞ」
「お前の分はあるのか」
「一応、淹れましたが」
「じゃあ一緒に飲もうぜ。茶を持ってきてすぐ帰るなんて言わせないぞ。どうせ隊の業務もないから来たんだろ」

 そうしたら、彼女は素直に「はい」と応じて、先ほど勧めた椅子に座ると自分用の湯呑を持った。
 彼女の持参した茶でいったん休憩となったここはがやがやとそれぞれが話しを始めたり、自分の研究を眺めたりと俄かに騒がしくなった。その中で、俺と彼女は差し向かいで茶を飲んでいる。

「どうした。局長がいない執務室が暇ならこっちにいてもいいぜ。さっきも言ったが今は隊の業務なんてないだろ」
「それは、そうなのですが」

 そう言うと彼女は茶の水面に漆黒の視線を落とした。

「どうした?」

 何か訊きたいことがあると察せる程度には付き合いが長い。だから問えば、嬢ちゃんは僅かに困惑するような、それでいながらほんのりと頬を上気させるというなかなかに珍しい顔をして言った。

「いつだか、三席が、私と眠たちみなを好きだと仰ったことがあったように記憶しているのですが、私の記憶違いでしょうか?」

 問われて俺は一瞬虚を衝かれたが、すぐに思い当たることがあってその困惑は長くは続かなかった。代わりに今度は俺が困惑しつつ恥ずかしくなるという高度な顔をしていたと思う。

「いや、嬢ちゃんの記憶違いじゃない。言った。俺はお前が好きだよ。一號から六號までも好きだった。だけど」

 そこで俺は言葉を区切る。今度は困惑や嬉しさではなく不思議そうに首を傾げて俺を見返す彼女に俺は腹を括って言ってしまう。

「俺は今のお前が一番好きだ。変わった七番目のお前が、好きだ」

 それに彼女は驚いたように目を見開いた。その目にしっかりとした光が宿っているのは、今までの一番から六番までの‘彼女’とは全く別物だったし、何より朽木ルキア処刑騒動から藍染との戦いを経る前の嬢ちゃんとも全くの別物の瞳だった。
 俺は一號から六號までのネムを全て知っている。それは局長と同時に蛆虫の巣から引き揚げられたからだった。

「変わった、私?」

 やはり不思議そうにしている彼女に、俺は言った。

「今のお前は変わったよ。自分の考えを言うようになったし、『申し訳ありません』って謝る回数も減ったし、何より表情に喜怒哀楽が見えるから」

 そう言ったら、驚いたように、そうだというのに嬉しそうに嬢ちゃんは微笑んだ。

「ありがとうございます」

 その嬉しそうな顔は、今や俺以外にも伝わる表情なのではないかと思うと少しだけ悔しいが、今の‘ネム’、いや、眠七號は今までのネムになかった自我も、感情も持っている。それが、俺にはとても美しく映る。
 一號から六號まで、全員のネムが俺は好きだった。だけれどそれはきっと局長の製作物だから、という部分があったのだろうと思う。
 だが今は違う。眠七號の涅ネムは、違う。俺にも感情を向けてくれるようになった、たくさんのことが変わっていったネムを、俺は愛している。
 だがそれは、今までのことが全て変わることではないのだ。

「嬢ちゃん…じゃないな。ネムでもない。眠七號を俺は愛していると誓う」

 雑多な部屋の中で、たくさんの喧噪の中で言った。その言葉はそんな中でも彼女にしっかりと届き、彼女の瞳が、顔が、身体が、精神が、全てが、色彩を帯びる。

「同時に、眠たち全てを愛していると誓う」

 彼女を、愛そう。眠という全ての存在ごと、その全ての存在を背負い、その全ての存在を内包する彼女を、愛そう。
 それは眠たち全てを愛していた自分への誓いで、そうして、眠七號、今の俺にとっては唯一のネムを、唯一の嬢ちゃんを愛するという誓いだった。

「ありがとうございます」

 眠七號はそう言って微笑んだ。





『お前が死ぬのは、私が‘死ね’と命じた時だ!』


 マユリ様が…いえ、眠七號の、私の父がそう言った。
 私はそれがとても嬉しかった。それはきっと、三席が言った「変わった私」だからこそ感じた嬉しさなのだろう。
 私はとても自然に微笑んでいた。


 そうして、私の中にいる全ての眠がその幸福に微笑んだのを、私は確かに感じていた。




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2015/09/02