私に覚悟が足りないと言ったのは、誰だったろう。




空蝉




「暑いですね」
「ああ」

 声を掛けておきながら、だが、それは更木隊長がどうして甘味処にいるのかというか、そういう興味からくる単純すぎる言動だった。

「やちるのヤツが、ここの金平糖買ってこいってうるさくてよ」
「え?あ、あの!」
「なんでいるんだって顔してたぜ、虎徹。お前のとこの隊長と違って結構読みやすいな」
「失礼しました!」

 完全に心の中の興味を読まれていて、私はガバッと頭を下げる。それは謝罪もそうだが、恥ずかしさから赤くなりきった顔を隠す意味合いもあった。

「いい、別に」

 ぶっきらぼうに言った更木隊長に、私はふと顔を上げる。

「草鹿副隊長はいつもここの金平糖を?美味しいし人気ですものね」
「あー、そうなのか?俺はさっぱり分からんが、書類の押し付けあいでな」

 挙句使い走りだ、と苦笑気味に言った更木隊長に、私はこの人はこんなに饒舌だったろうかと思いながらも、頬が緩んだ。

「そういうお前はどうなんだ?一応業務時間だが」

 隊長らしいことを言う更木隊長も珍しい気がして、私はちょっとだけ笑って言った。

「卯ノ花隊長が暑そうでいらしたので、午後の休みに合わせて葛きりでもと思いまして」
「…そうか」
「出来上がるのを待ってるんですが、さすがに夏ですね。他の注文も多くて待ちぼうけです」

 そう言ったら、更木隊長はおもむろにクイッと顎で店内を示す。

「え?」
「外で待ってたらお前も暑さで参るぞ。何か奢ってやる」
「あの、そんな」

 御馳走には、としどろもどろに言ったら、更木隊長は今度こそ可笑しげに笑んだ。

「だったら、あとで俺にゃさっぱり分からんやちるの金平糖をお前が選べ。それでいいな」

 そう言って、有無を言わさぬように更木隊長は店の中に入ってしまう。私は急いでその背を追った。





 出来合いの氷菓なら、新たに作っている葛きりよりも出てくるのは早い。そう店員さんに言われて、私は甘くないものを、と更木隊長に言われたからほうじ茶の氷菓を二つ頼んだ。バニラやイチゴも捨てがたいが、この暑さでは私もさっぱりした物の方が嬉しい。

「いろいろあんだな」
「氷菓もだいぶ現世の物が多くなりましたね。アイスですね」

 他愛もない話をしながら届いたアイスに口を付ける。
 冷たい、と思ったところで、暑さゆえかどうにも回っていなかった思考が戻って来た。

「あ、あの!いまさらですが、私と一緒で大丈夫でしょうか…?」
「は?」

 珍しく素っ頓狂な声を上げた更木隊長に、私は余計にあたふたしてしまう。

「ですから、その、十一番隊の皆さんはあまり四番隊のことを、よく思っていらっしゃらないようですので、私といると更木隊長のお立場が」

 やっぱりしどろもどろに言ったら、更木隊長は、つ、と目を細めた。

「俺はお前たちを軽んじたことはない」

 細められた鋭い隻眼と、射すくめるような低い声に、私の肩はびくりと跳ねる。

「お前たちが何を言われているか知らねえし、確かに俺も救護なんざ必要としねえ。態度に出ていたなら謝罪する。だが、癒しの術は何にも優る一つの究極の形だ」
「え…?」

 もう更木隊長の陶器の皿にはアイスが残っていなくて、彼は一緒に出されたお茶を一口飲んだ。それはまるで、これから言う言葉を間違わないように唇を潤すためのようだだと何故か思った。

「回道は自己完結の究極の形だろうな」
「自己完結…?」
「お前はなぜ癒しの術を身に付けた?」

 更木隊長の言葉の意味も、問いの意味も分からなくて、私はぼんやりと彼を見ていた。

「回道に適性があったから、でしょうか」

 何が正解なのか分からなくて、私はごくごく一般的な回答をした。それに更木隊長はひどく詰まらなそうに、そうして私を諭すように、言った。

「お前には、まだ覚悟が足りねえようだ」





(ああ)

 ああ、と私の中で響く声に私は嘆息した。
 私に覚悟が足りないと言ったのは、更木隊長だった。遥か昔の出来事を、私はこの極限の場面で何度も繰り返しなぞっていた。
 そう、私の敬愛する卯ノ花隊長が回道を究められたのは、偏に自らを永遠に戦いの中に置くため。
 癒しの術は、即ち自らを生かす術。
 自らを生かす術は、即ち永遠に剣を振るうための術。
 だから彼は究極の自己完結と言ったのだ。

(本当に、良かった)

 今ならば、分かるのだ。
 私に覚悟が足りなかった理由も。
 今、彼が私にのみ彼を殺す権利があると言うのも。

「卯ノ花隊長は、幸せだったはずです」

 戦場を駆ける更木隊長の背中に、私は静かに言った。
 卯ノ花八千流という死神は、しかし自己を完結させる回道という形の向こう側に、一つの覚悟を持っていた。
 それこそが、更木剣八という死神に、その名を、力を、全て渡すことだった。
 究極のさらに奥のあの方の鋒は、完結した自身を超える死神を育てることを択んだ。
 それはきっと愉悦。
 あの方は、きっと、ずっと、己を超える彼の力を切望していたのだから。

「私は全てを癒します」

 私は刹那目を閉じる。
 あの方の髪のような、あの方の抱えていたすべてのような漆黒の闇が、一刹那、私の視界を覆った。
 私には鋒などない。
 私には力などない。
 だけれど、私は覚悟する。
 もうここにはいないたった一人の死神に誓うように、覚悟する。


「貴女の様には、きっとなれないけれど」


 頬を伝う涙が、吹き荒れる風に晒されて、痛むように冷えた。





剣八の話

2014/12/19