見逃してよ。
この子だけは見逃してよ。
いいじゃないか。
もう全部奪ったんだから、この子だけは見逃してよ。
―――神様、いいでしょ?
嫁入り
兄貴が優しくなったって訳じゃない。そう単純なことじゃない。
ただ、あの人はボクと兄貴の鎹になってくれた。間に入ってくれる人がいれば、ボクらは案外仲のいい兄弟だった。だけど、ボクにはたったそれだけのことがひどく嬉しかった。
兄貴と折り合いが悪いことを引け目に思っていたのかもしれない。それは実家とか貴族とか、そういうもの全部への反発だったのかもしれなくて、今になって思うと子供だった。
浮竹に彼女が処刑されたと聞いた時、その裁定をしたのは四十六室ではないとボクはほとんど確信していた。神様に取られちゃったんだ、と。
ああ、でもそれはボクのせいだ。彼女から、神様の剣を盗み取って隠したのはボクだから、その咎で彼女は死んでしまったんだ。
今日ボクはその日のことを、或いは昔日の全てを振り返りながら、これから始まる日々を思った。
「この剣はボクが持っていてはいけないんだろうね」
ぽつんと呟いた声に応える者はない。もしかしたらお花が何か言っていたのかもしれないけれど、ボクは知らない振りをした。
「ごめんね」
一人きりになってしまった伊勢の女の子から、ボクはこの剣を隠し続ける。
一人きりになってしまった兄貴と彼女の大事な女の子から、ボクはこの剣を奪い続ける。
だから神様。
この子だけは見逃してよ。
新入隊士たちを見渡してから、ボクはちらりとその子を見た。彼女の瞳に映った自分が、上手に笑えていたらいいと思う。
ボクを、驚いたように見つめている斬魄刀を持たない少女の奥にいるその「なにか」に僕は祈った。
この子が見つからないように、と、祈った。
*
こんな日が来るなんて、思いたくなかった。
ああ、こんなにも大切に隠してきたのに。
ボクが隠したのはこの斬魄刀じゃないんだ。
ボクが隠したのは、本当に隠したかったのは、君なんだ。
君を神様から隠したかったんだ。
ねえ神様、この子だけは見逃してよ。
アンタは兄貴も、兄貴の一番大事な女性も奪ったんだから、もう十分じゃないか。
この子しか、もう僕には残っていないんだ。
ああ、これはボクの我儘だ。
だってそうだろう。ボクは彼女がボクの枯松心中に巻き込まれるかもしれないことは受け容れたのに、この斬魄刀を渡すのは嫌がるんだ。ああ、本当にただの我儘だ。
取られたくない。
ボクの一等可愛い女の子を、神様なんかに取られたくない。
神様なんて信じてなかった。
呪いなんて信じてなかった。
だけれど、櫛の歯が欠けるように失ってしまった大事な人たちが遺したこの子まで、伊勢家の仕える「神」は連れて行ってしまうような気がした。
ああ、だからボクは七緒ちゃん、君をこの隊に入れたんだ。本当は鬼道衆に行くはずだった君を、だけれどボクは傍らで見ていなければ収まらなかった。ボクの手元において、掌の中で守って、隠して、そうしてしまわないと怖くて怖くて、収まらなかった。
たった一人の少女すら、神に連れていかれるのが怖かった。
ああ。
こんな日が来なければ良かったのに。
こんな時が来なければ良かったのに。
「君は呪いを受ける覚悟なんだね」
八鏡剣を手にした彼女の背中に、ボクは小さくつぶやいた。
「君も神様を選ぶんだね」
ああ、こんなのは世迷言だ。
こんなのは分かり切っていたことだ。
初めから、或いはあの日、彼女の母がその呪いを断ち切れなかった日から。
隠し通せなかった。
神様はやっぱり君を見つけてしまった。
君はやっぱり神様の刀を手にしてしまった。
「君はその呪いを受け取ってしまうんだね」
呪い?違う。きっと伊勢の女は神に愛されているだけだ。
その愛に、横恋慕した男はいつも殺される。
「それでもボクは」
君を守る。
たった一つ残された君を。
ボクは早死にするだろうか。
君は不幸になるだろうか。
……ボクが死んだら、君は不幸に思うだろうか?
「そうだといいな」
ボクは小さく嘯いた。
もしも君が呪いを受けたら、ボクらは神様に妬まれてるんだよ。
ああ、そんなに遠い愛しか、ボクには望めないけれど。
「見逃してよ」
ボクは初めて口に出してそう言った。
七緒ちゃんを見逃してほしいのか、ボクを見逃してほしいのか、ボクらが共にあることを見逃してほしいのか、それともその全部を見逃してほしいのか、今はもうどうでもいい。
遠くの神に、ボクはもう一度呟くように祈った。
「お願いだから、見逃してよ」
……神なんて、信じてない。
だから、君は―――
嫁入り
(もう奪わないでくれとボクは叫ぶけれど、神様から大事な女の人を先に奪おうとしたのは、多分、ボクらなんだ。)
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神婚の話。
2015/11/23