「これは?」
「こないな、もらえん」
ショッピングモールの中の宝飾店で、明るい金色の髪をした青年が、銀の細く長い髪の女性にしきりにネックレスを勧めている。
シフォンケーキ
明るい金の髪の金造は、先頃めでたく兄と入籍した銀の髪の蝮の義弟となった。
―――今までだって兄弟みたいなものだったけれど、改めて正式な形で、義弟、義姉という間柄になるとなんだかこそばゆい。
だけれど、ほとんどその‘こそばゆいこと’への記念のように、二人はどちらからともなく一緒に出掛けることにした。
春。
桜の咲く頃だった。
金造の非番に合わせたそれに、出かける直前まで阿鼻叫喚という体だった夫が、蝮にはいっそ憐れに映った。
『ありえへん!他の男とデートとか、不貞行為や!』
『デートやのうて一緒買い物行くだけや。それに金造なんよ?』
『俺と顔一緒やんけ!』
馬耳東風というのはこういうのを言うのだったか、いや、確か違う。もっと適当な…などとぼんやり考えていたら、ガシッと肩を掴まれたので、蝮はそれを振りほどいて言う。
『なんか買うてくるわ。なにがええ?』
『蝮からプレゼントもらえる!』
自分の夫が、その彼の弟たちほどではないが、案外単純な性質であることは、先般承知済みである。
『撒いたか』
だから、先に玄関を出ていた金造の第一声はそれだった。それに蝮は笑ってしまう。承知済み、なのは弟も一緒だった。単純な性質ではなく、驚くほど蝮を愛している、というところを承知しているのだが。
***
大型のショッピングモールで、最初に見たのは、だから紳士服のコーナーだった。春物のシャツなどを眺めて、蝮は『プレゼント』にしてはいささか家庭的な、薄い色のカッターシャツを2枚買った。
「包んでもろたから、十五分くらい」
少し若向けのコーナーで、ダメージジーンズなどを見ていた金造に言ったら、彼はあからさまに顔をしかめる。
「あんま、特別扱いしとるとつけ上がるえ」
「あんた、兄様に対してなんちゅう言い様なんよ」
苦笑して蝮が言ったら、「ほな行こか」と金造が手を引く。
「ん?何かあるん?」
「何の目的もなく来た訳やないえ」
そうして彼が、普段よりもずっとゆっくり歩いて彼女を連れてきたのが、ショッピングモールの一角に設けられた宝飾店だった。
ぽかーんとしていた蝮に構わず、金造は様々と物色を始める。ネックレスを買うつもりで来たらしいということが容易に知れて、蝮は焦って言った。
「いらんよ、こないな!」
「指輪駄目やろ。婚約指輪も結婚指輪あるし。何より柔兄がおるからな。やから、ネックレス」
店員が寄ってくる前に後ずさろうとした蝮を押し止めて、彼はシャンパンゴールドの細いネックレスを指さす。
「あれとか?」
「ええって!」
首を振る蝮に構わず、手を引いて宝飾店の奥に行くから、困った蝮がもう一度「ええから」と言ったら、「金は嫌いか?」なんて、莫迦みたいな返答があった。
「金造様の金でええと思ったんやけどな」
「金造!こういう買い物は」
彼女は怒ったようにそう言ったが、ショッピングモールの宝飾店の品物の値段は、単独で店を構えるそれよりは安いし幅がある。だが、金造の給料でも手が届くのだ、ということを、蝮は分かっているようで分かっていなかった。
「色石にするか」
「金造、やめや!あんた若いんやから!」
とんちんかんな声を上げた蝮と、叫ばれてきょとんとした金造に、笑った店員が近づいてきた。
「彼女へプレゼントですか?」
「え、あ、いえ…」
困ったように蝮がうつむいたら、金造は、その頭にポンッと手をのせて言った。
「いやあ、姉様ですわ」
自然な声音でそう言われて、蝮はちょっとだけ顔を上げる。その笑顔は、夫に似ているようで、だけれどずっと幼く見えた。姉様、と彼が言ったからかもしれなかった。
「仲の良い御兄弟なんですね。お誕生日ですか?」
微笑んだ店員に言われたから、金造は、我が意を得たり、という風情で笑みを濃くした。
「結婚祝い」
「……な!」
「ちゅーことやから受け取れや」
にやっと笑った顔は、まるでいたずらを思いついた子供だ。そんなふうに言われたら、彼女が断れないのを知っていて言うのだ、と思ったら、どうにも困ってしまう。
「いけずやなあ」
だから結局負けてしまった彼女が苦笑して言ったら、彼は快活に笑った。
「いけずで結構」
***
水の入ったグラスを持つ彼女の指には、きらりと光る環がかけられている。柔造の贈った指輪だった。そのグラスが持ち上げられて、胸元に差し掛かる。Vネックセーターの間からは、彼女の刺青が見えて、その隣に、その刺青よりももっと赤い石が、一瞬透明なグラスの水を通して歪む。
白い肌に、銀の細い鎖。その先についているのは小さなガーネットだった。
「悪いなあ」
水を一口飲んでから、彼女はその色石に触れて小さく言う。先ほどの店で、金造が最終的に選んだのは、銀にガーネットのネックレスだった。
『包まんでええです。すぐ着けて行きたいんで』
箱にお入れします、と言った店員を制して言ったら、快く首にかけてくれて、そのほか鑑定書や箱をもらった。なんだか申し訳なくて、蝮はすぐにモールの中のカフェに彼を押しこんだ。「奢るわ」と言ったけれど、こういうところのカフェなんて、たかが知れている。だから、悪いな、なんて言ってしまった。
「お前、ほんま気にしすぎやわ」
向かいでアイスカフェラテを啜って金造は言う。そんなこと気にしなくたっていいのに、彼女は必要以上にいろいろなことを気にしてしまう。そこが蝮の長所であり、短所であることを知っている金造は、だから笑ってそう言った。そう、言われてしまうから、彼女は彼女でどうしたらいいか分らなくなってしまうのだが。
「姉様に結婚祝いくらい、普通やろ」
「そういうことやったら先に…」
「言うたら付き合うてくれへんやろが」
ちょっとした口論になりそうなところで、注文していた品が届く。蝮は期間限定の桜のシフォンケーキ、金造は抹茶アイスだった。
薄いピンク色のケーキに、やっぱり薄いピンク色の生クリームがたっぷりついていて、金造は、蝮が存外こういった甘いものが好きなのだ、ということを再認識した。
それから、話の腰を折るようにやってきたアイスを一口食べる。彼女も、やっぱり何も言わずにシフォンケーキを切り分けたから、その丁寧な手つきを見て、彼女がそれを口に運ぶ前に、彼は緑色のアイスが載ったスプーンを彼女の口許にずいっと差し出した。
「なに?」
食べろ、という意味は明確だったけれど、その中に含まれる様々な事案が分からない。分からないから、『何か』と訊いたのだけれど、それはそれで馬鹿げている気がして、蝮はパクっとそれをくわえた。冷たくて、甘くて、そうしてちょっとだけ苦いアイスが舌にのったら、銀色のスプーンが口許から出ていく。そうしてそれから、彼は言った。
「幸せか」
唐突な問いだった。だけれど、彼女は口の中の甘くほろ苦いアイスの味と同じような感覚で、自然に、その問いに応えることができた。
「もちろん」
答えるのではない。それは最早、問いであるのに『応える』ことと相違なかった。
様々な懊悩を押し殺して、彼は『幸せ』か、と問う。
様々な懊悩を押し殺して、彼女は『もちろん』と、応える。
懊悩と彼女の隣に、『彼』がいるから、彼は問うことができた。
懊悩と後悔の隣に、『彼』がいるから、彼女は応えることができた。
だから、彼は一口アイスを食べる。甘くほろ苦いそれは、隣にあるのが自分では、絶対にあり得なかったことへの、惜別に似ていた。だけれど、手をすり抜けた彼女を救うのはやっぱり己の兄だったのだ、と思ったら、それはそれで嬉しいのだ。―――複雑で、雑多で、そうしてシンプルな、ずっと前に忘れた感情が、疼痛をもたらした。甘い痛みが脳を席巻したところで、クリームのたっぷりついた薄桃色のシフォンケーキを、今度は蝮が差し出した。
「甘くておいしいえ」
小首を傾げて言った彼女の指先に、銀色の環がかかっていることが、どうしようもなく嬉しい。そうしてその白い肌に、赤い石が光ることが、嬉しい。
だから彼は、雛鳥のように、ぱくりとそのフォークの先の甘い甘いケーキを食べた。
ああ、帰りに紳士服コーナーに寄らないと、兄が怒るだろうな、なんて、その甘さの間で彼は思った。
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こんにちは、現在の私
さようなら、過去の私
2013/2/24