「予約したから」
「え?」
「まむしのしょうらいは俺が予約したから」

 きょとん、と砂場のシャベルを持ったままの蝮は奇妙なことを言う幼馴染を見返した。いたく真剣な顔で告げられたそれに、なんと返答するのが正解なのだろうとちょっとだけ思って、だけれど特段困ったこともないし、砂場遊びを続けたかった蝮は答えた。

「ふうん?ええよ」

 その返答がまさか20年近くの時を経て彼にとんでもない言質を与えることになるなどと、その時の彼女は知らない。


ご予約の品


 予約、という言葉を蟒は反芻する。それはたまたま、機能が回復しつつある京都出張所のチラシ置き場に、魔障のワクチン接種などの広告に混じって志摩家の四男である金造が所属しているバンドのチケットだか何かの予約票を含むチラシが置かれていたからだった。

「公私混同やな。所長子息の職権乱用…撤去したうえで八百造さんの給料をカットしよう」
「えええええええ!!!!????」

 つぶやきにはほとんど悲鳴に近い返答があった。

「おったんですか」
「いたけども、いたけども俺は関係ないよね!?お母に殺されんよね!?」

 京都出張所所長志摩八百造は、自らの全く関与していない息子の咎による給料カット宣告に打ち震えていた。
 そこまでおびえる必要はない蟒による冗談だと思いたかったが、現在、志摩八百造並びに志摩金造の両名は蟒の一言一言を「冗談」と言い捨てることがほとんど不可能な状態に陥っている。……主に、志摩家次男、志摩柔造のせいである。

「冗談です」
「ほんま!?ほんまに給料カットされん!?」
「しませんけどもこれは撤去」
「ソウデスネ」

 蟒に指差されたそのライブのチラシの束を八百造はいそいそと持ち上げた。金造に返そう、そして二度とここに自分の個人的なチラシを置かないと誓わせよう、と八百造は決意した。

「それ」
「は?」
「予約票ついてるんやなあ」
「あー、なんぞけっこう調子ええらしいわ。前はよく買わされたけども」

 やっといつもの調子に戻って八百造は答える。前はよく、八百造だけでなく蟒もチケットを買ってくれたことがある。売りさばけないとライブ会場が使えない、というシステムはそういったことに全く疎い年代の二人にはよく分からないことだったが、そう言われればはいはいと財布を出してやる程度には、八百造も蟒も、金造や、彼だけでなく志摩家の彼の兄弟姉妹、あるいは宝生家の姉妹たちを大事に思っている。

「予約っちゅうのは手に入りにくいものを事前に対価を支払って後々手に入るように予め手配するシステムのことやんなあ」

 ぼんやりと言った蟒に、八百造の顔からサアっと血の気が引いた。彼の言葉と、彼の真後ろに走りこんできた、今一番見たくない男の姿を見つけてしまったためだった。

「料金後払いの場合もあるんすわ!!!」

 後ろから意気揚々と話しかけた、志摩家次男志摩柔造の顔面に、蟒の裏拳がクリーンヒットした。





 これだ!と幼い柔造は思った。
 小学生だった彼には、長兄が志摩家を継ぐという前提の上でひどく悩んでいることがあったのだ。

「どうやったらまむしと結婚できるかなあ」

 自分は次男だが、蝮は宝生家の待望の長女だった。どうやったら、どうやったらその跡継ぎをゲットできるだろう、というのがまだ長兄が生きていた小学生だったころの柔造の喫緊の課題であった。

「ほうじょうじゅうぞう……けっこう似合う!いんふんでるってやつや!」

 居間で宿題をやりながらぶつぶつつぶやいているまだ幼い自分の子供のそれを、八百造は微笑ましいな、とか思いつつもなるべく聞かなかったことにしていた。この年にしてこの思考回路ってたぶんロクな大人にならないなと思ったからだった。
 そこにひどく軽い音楽が流れる。そうしたら柔造はその音源の方に気を取られて宿題のプリントから顔を上げてしまう。だから居間で宿題はするなと言っているのに、と八百造は思った。居間にはテレビがあるからだった。


『限定版、ご予約承り中』


 軽快な音楽とともに、その言葉と画面にでかでかとその文字が並んだ。音声がついていたのと、経典をよく読ませているからか、柔造はその画面の言葉を理解してしまった。なんの予約だったかは、今となっては二人とも覚えていないし、どうでもいいことだった。

「これや…!!」

 バンッとちゃぶ台を叩いて何かに合点がいったらしい柔造に、八百造はひどく不安になったのを覚えている。





「ということがあって、次の日俺は蝮の薬指にキスしたわけです。やけど蝮がすぐ砂場に行ってもうて、俺は必死に追いかけて、将来的に蝮を嫁にすることを予約した旨を伝えました。そん時の蝮の返答は『ふうん?ええよ』でした。めっちゃ可愛かった!マジもう昔から俺の天使!言質取った!よくやった小学生の俺!」

 などということを明陀の役員総会で叫ばれて、志摩家、宝生家だけでなく僧正だろうと僧都だろうと、皆々閉口した。笑っているのはたぶんその報告をした柔造本人と座主である達磨だけであろう。

「そーいうわけで!仮に、もしも、万が一、何かの間違いで!蝮が婚姻を拒絶したからといってこれからも蝮にはちょっかいかけんでください!先約俺なんで!」

 僧正志摩家総領息子の高らかな宣言に、誰もが一様に目を逸らした。……不浄王の一件ののちの結婚宣言から、彼が蝮に手ひどく振られているところを皆一様に見てしまっているからだった。





「蟒様一回くれるて言うたやないですか!キャンセル不可品ですよ!?」
「やかましい!」

 蟒によってもたらされた痛みに顔面をさすりながら、柔造は言い募った。残念ながら蝮は限定版のCDでも、ケーキでも、況や犬猫でもないのである。
 信じられない、という顔をしている柔造の方が蟒にも八百造にも信じられないところなのだが。
 だから、その場に父の忘れ物を届けに来てしまった先ごろ京都出張所を退所した宝生蝮がやってきたことは、ほとんど天災に近いタイミングであった。





「キャンセル不可品ってなんやねん!!」
「当ったり前やろ!?人生にかかわることやぞキャンセルされたら困るやんか!」

 即刻柔造に捕獲された蝮は今その薄い肩をがっちりつかまれて「予約したからキャンセルはできない」という話を聞かされている。ちなみに内容が内容だったので役員会で宣言されたその意味不明な内容は蝮に伝えられていなかった。そのために、はるか昔に約束したその内容によって、蝮は自分のもの宣言を柔造が繰り返していることを蝮はその時初めて知った。

「蝮、そもそもあんたほんまにそう答えたんか?柔造さんの妄想ちゃうんか?」
「蟒様ヒドイ!!蝮覚えてるやろ!?」
「……そう答えてしまったような気がします」
「やった!蝮ゲット!」

 言質取っといて良かった!と叫ぶ柔造から、八百造と蟒は目を逸らした。
 目を逸らせないその女性は―――





「本気の本気なん」
「当たり前やろ!」
「ほんまに、あんたあんな小さい頃からそんなふうに考えてたん?」

 呆れたように言って、蝮は柔造の前にお茶を出した。二月最初の日曜日、蟒が出勤しているのをいいことに、珍しい休日の非番に柔造は予約品受け取りという名目で宝生家を訪ねていた。

「うん、考えてたよ」

 普通に返されて蝮は赤面する。そういうことはもっと早く言え、とも思ったし、そんなことならいちいち彼女を作って自慢するな、とも思った。

「俺が志摩の跡目になった時に「あ、これ特例キャンセルや」って絶望して何となくいろんな女の子と付き合っとったけど、今まさに契約履行の時!って不浄王の件片付いた後思うたよ?」
「さ、最低や…」

 あの危機的状況で…と蝮は思ったが、柔造は極めて真剣そのものである。

「え、でも蝮もええって二回も言うたやん?あれ?予約の時と、こないだの不浄王の後言うたやん」
「あ、あての意志とかもう全然関係なしに契約やーとか言い触らしてるやん!」
「え、うん。やって蝮もええって言うたから…?意志無視してんよね?」

 ケロッとしている弟どもも真っ青なドアホっぷりに蝮は大きく息をついた。

「もう一回」
「ん?」
「もう一回ちゃんと予約確認して、対価払って」

 だからそう言ってしまった自分はなんてわがままなんだろう、と蝮は思う。思いながら、どんどん頬が紅潮してくるのが分かった。その姿に、柔造はにっこり笑う。

「蝮の将来は俺が予約済みやったから、そろそろ受け取らせてくれませんかね」

 恭しく手を取って、その左手の薬指に口づけた男の額に、蝮は小さくキスをした。




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柔造さんおたおめ!

2017/2/5