月の花嫁


「えー!蝮、ジューンブライドとか興味ないんか!?」

 心底驚いたように言った柔造に、蝮は眉をひそめた。

「それは梅雨のない国でやるもんやろ?梅雨時じゃあ着物もドレスも汚れるかもしれんし、来てくれる方たちの足元が悪るなるから」
「夢のない蛇め」

 口を尖らせて言った柔造に、蝮はほほと笑う。彼の言いたいことが分からない訳ではないし、彼女だってジューンブライドにあこがれているところもある。だけれど日本には梅雨があるのだ。
 そんな二人は、今年結婚する。1月に準備を始めて、半年から一年で準備を終えて、挙式、披露宴という計画だった。準備に半年から一年かける、と蝮は思っていたのだが、柔造はあれよあれよと言う間に準備を進めて、気が付いたら2月には蝮のドレスも柔造のタキシードも購入済みだった。ちなみに蝮の白無垢は虎子が「蝮ちゃんに私の譲る」と言って聞かなかし、柔造の紋付き袴は八百造のものを譲り受けることになっていた。
 そうして3月、柔造は蝮に6月に結婚式をすることを提案しているところだったのである。
 蝮が不浄王を復活させてしまってから2年。柔造の求婚を受け入れたのが不浄王の件のすぐ後だったことから考えるとかなり遅くなってしまったのではあるが、魔障の治りや、廉造が戻るのを待ってのことだった。

「6月の花嫁見ーたーいー!」

 言い募る柔造は、もう披露宴の会場となる虎屋の大広間を確保しようと根回しの最中である。もちろん、そんなことを蝮は知らないのだけれど。

「そうは言うてもなあ」

 窘めるように、だけれど渋るように言う蝮に、柔造はぽんと手を叩いた。

「おん、そんならこうしよ。6月最初の土曜やったら京都はまだ梅雨入ってへんやろ、多分」
「そら、そうかもしれんけど」

 困ったように頬に手を当てた蝮に、柔造はニッと笑う。

「それにな」
「え?」

 秘密を隠すような、秘密を楽しむようなその笑顔に、蝮はきょとんとする。

「あー、でもこれは秘密。絶対秘密!」
「ちょっと柔造、あんたそれなんなん?」
「じゃあ、式と披露宴は6月の第一土曜でええな」

 秘密という言葉に反応した蝮をはぐらかすように彼は畳み掛けるように言って手帳を開いて蝮にバーンと見せる。

「よっしゃ!天は俺らの味方やな。6月の第一土曜大安や!」

 まだ聞かなければならないことがたくさんあると思った蝮だったが、その手帳になにごとか書き込みながらせわしなく虎屋に電話をかけ始めた柔造に、その『秘密』と言われたことがふと遠のく。

「幸せ者やなあ、あては」

 呟いた蝮の中では、もはやその秘密すら、幸せな何かだろうと思えていたからだった。





 そして6月が来た。3月からそれまではてんてこ舞いだった。一般的に挙式や披露宴を準備するには3ヶ月では絶対に足りないのだけれど、挙式は仏式で明陀の本堂を使うし、披露宴の会場は虎屋だ。料理の献立などは柔造と蝮の希望を聞きつつ虎子がまとめてくれた。だから、一般的な準備よりはずっと楽だった。とはいえ、招待状をどの範囲まで出すかとか、席順をどうするかとか、スピーチや余興をどうするかとか、そういうこまごましたことは急いで決めていかなければならなかった。京都出張所の面々に余興などは頼むとして、檀信徒をどの範囲まで呼ぶか、近隣の他宗の寺院からは誰を呼ぶか、スピーチを誰に頼むか、などなどのことは柔造と蝮だけでなく、八百造や蟒、場合によっては達磨にも相談しなければならなくて、時間は瞬く間に過ぎたのだった。

「帰ったえ」
「竜士様!子猫も、廉造も、三年やいうのに無理言うてすまんなあ」

 次の日に式を控えた虎屋で最終の打ち合わせをしていた金曜の夕方に、竜士と子猫丸、廉造がやってきた。午後を休んで土曜の式に出て、日曜帰るという強行軍の上、今年は三人とも学園の三年生だ。祓魔師のことなど考えれば無理がかかることは必至だから、無理をしないでいいと言っていたのだが「俺たちが祝いたいんや」と竜士たちに言われれば蝮も柔造も嬉しくて仕方がなかったから、その言葉に甘えることにした。

「蝮、綺麗になったなあ。春休みに会ったときよりずっと綺麗や。磨きかけたんか?」
「まあ、竜士様ったら!」

 ころころと笑う蝮を見て、廉造がポスッと竜士を肘で突いた。

「坊はやっぱしイロコイ疎いですわー。蝮姉さんはエステで磨きなんぞかけんでもじゅうぶん綺麗やん。憧れの結婚式に臨む女の人はみーんな綺麗になるですわ」
「志摩さん…歯の浮くようなセリフを…」

 廉造のそれに赤面してうつむく子猫丸につられて、というよりも、その廉造の言葉がやっぱり蝮も恥ずかしくて、赤面すれば、畳み掛けるように廉造は「図星でしょ?」と言った。

「ほんま、志摩の家のもんはみーんなタラシや」

 恥ずかしげに言った蝮に廉造が笑ったところで、どたどたと奥から走ってくる足音がしたかと思うと、気が付けば廉造はラリアットをかまされていた。

「ったああ!!」
「ちゃんと坊お守りしたんやろな、廉造!」
「金兄、暴力反対!!」

 武闘派を地で行く金造に首を絞められてギブアップを示すようにその腕を叩く廉造に構わず、彼の首を捉えたまま金造は言った。

「蝮、柔兄と女将さんが呼んどる。明日の着物とドレスのことやて」
「ああ、分かったわ。おおきに。金造、竜士様たちを今晩の部屋に案内してな」
「まかしとき!」

 明日から本当の義弟になる彼と言葉を交わして、彼女は柔造と虎子の待つ打ち合わせの部屋に向かった。



 そして当日が来た。寺で行われた仏式の結婚式は恙なく終わり、会場を虎屋に移しての披露宴が始まろうとしている。老舗とはいえ、現代の旅館だ。宴会用の広間だけでなくホールもあるから、仏前結婚では着られなかったウェディングドレスもタキシードもしっかり着られるそこだった。

「蝮、よう似合っとる」
「ほうか」
「ほんまに綺麗や。白無垢もえかったけど、こっちは俺の見立て通り」

 新郎新婦入場を前に後ろから彼女を抱きすくめた柔造に、蝮は首まで真っ赤に染めた。
 ドレスは二人で選んだのだが柔造が「蝮に似合うのは絶対にマーメイド!」と言って聞かず、二人で選んだと言えども柔造の好みがほぼ丸々反映されている。とはいえ、蝮に一番似合うのは柔造の言う通りマーメイドタイプのドレスで、そのことにはブティックの店員にも異論がなかった。それどころか「お客様は奥様のことを本当によく分かっておいでですね!」なんて言われていたから恥ずかしくて仕方なかった蝮だ。

「柔造、着崩れる、から」

 羞恥に震えながら言ったら、その恥ずかしげな蝮を楽しみながらも無理強いなどしない柔造だ。

「ほな行こか」

 そう言って、するりと彼女の手を取った。





 披露宴で程よく酔いの回った金造や祓魔一番隊の面々は、ホールからの帰り際に口々に「蝮さんのドレス柔造さんの趣味丸出し!」とか「柔兄の趣味なんは癪やけど蝮にあってたえ!」「ほうや、悔しいけど蝮さん綺麗やった!」と見送りに立つ二人に言った。ちなみに金造は親族側だから見送り側にいるのだけれど。

「ほんま、恥ずかしい」

 顔を真っ赤にして呟いた蝮の肩を柔造が抱く。

「ほんまのことやからみんな言うんやろ」
「やけど…!」

 見せつけるようなそれにお腹いっぱいです、と言うように帰っていく人たちは手をあげてしまう。その通りだろうと思われた。





 披露宴で柔造も蝮もそれなりに酒を飲まされたから、今晩は志摩家に戻らずこのまま虎屋の客室に泊まることになっていた。蝮はドレスから、柔造はタキシードから浴衣に着替えてやっとあてがわれた客室に辿り着いたころには二人ともくたくただった。
 でもそれは、幸福な疲労感だ。

「これでやっと、ほんまに夫婦やな」
「そやなあ」

 今までだって、ほとんど結婚していたようなものだったけれど、式と披露宴を経て本当の意味で周りにも認められた夫婦になれたのだ、という嬉しさから、二人はどちらからともなく笑い合って抱き締め合った。

「柔造、あんな」
「うん?」
「あて、不浄王を復活させてもうた時からずっと、こんな日が来たらあかんと思ってた。こんなこと、許されるはずないと思ってた」
「そんなことない」

 ぐっと抱き締める腕に力を込めて言った柔造に、蝮は小さく笑う。

「だけどあんたは、いつもそんなことないて否定してくれた。あてがここにいることを、柔造の隣にいることを望んでくれた」
「当たり前や。お前は俺が一等愛しとる女なんやから」
「うん。あても、あんたを一等愛してるよ。だから―――」

 そこで言葉を区切って蝮は少しだけ彼の腕から抜け出すと、言った。

「ありがとう、柔造。今までずっとあてを支えてくれて。これから、あての家族になってくれて」

 幸せでとろけるような笑顔で言われて、柔造は照れくさそうに頬を掻いた。

「そりゃこっちのセリフでもあるんやけどな。お前にそない言われると、立つ瀬がないわ」
「阿呆なお申」

 可笑しげに笑った蝮に、柔造はやっぱり照れくさそうに笑う。
 一頻り笑い合ったところで、蝮はこてんと首を傾げた。

「そういえば、秘密って結局なんやったの?ほら、3月にこれ決めた時言うてたやつ」

 3月、彼が秘密秘密と言ったそれを、今なら訊いてもいいだろうと蝮が言えば、あの日と同じように柔造はニッと笑った。

「6月の花嫁を、蝮にプレゼントしたかってん」
「え?」

 不思議そうに見返す蝮を、柔造はもう一度抱き締める。

「2日遅れやけど、今年の蝮の誕生日プレゼントは、ジューンブライドって決めてた」

 その言葉に、彼の胸板に押し付けられている顔がカアッと紅潮していくのを蝮は感じた。2日前、ここ一、二週間は忙しすぎて2日前の自分の誕生日なんて自分も、家族も気に留めている余裕がなかったから、今思い至ったようなものだ。

「ロマンチストのタラシ」

 真っ赤な顔を隠すように抱き付いて呟いた蝮の頭のてっぺんに、柔造は優しく唇を落とす。

「今年こそ、誕生日プレゼントに俺をもらってくれませんかね」

 ふざけるように言った彼に、蝮は笑った。幸せに押しつぶされそうになりながら、笑った。


「もちろん、ちょうだいするわ」


 窓の外で小雨がぱらぱら降り出した。彼女の好きな雨が降り出した。
 その雨音を、蝮はやっと家族になれた男の腕の中で聴いていた。




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蝮さん誕生日おめでとうございます!

2015/06/04