先週の誕生日に、「欲しいもんあるか」と訊いたら「嫁」と即答された。
 志摩家の人間は全員が全員阿呆らしかった。





 嫁にする、と言われたけれど、結婚宣言されたけれど、私の心はまだ定まらなかった。やって、そんなん赦されるはずがないと思うから。
 片方だけになってしまった目で、距離を測るのにはまだ慣れない。デパートの人混みは、少々骨が折れた。
 だけれど、片方だけになってしまったこの目こそ、私の犯した罪の証で、そうであればこそ、彼と結婚することは出来ないと私はもう一度強く自分に言い聞かせた。
 ―――言い聞かせなければ、そのあたたかな腕に飛び込んでしまいたい自分を、抑えきれない気がしたから。





「お疲れ様です」
「蝮ちゃん!めずらしな。体調ええんか?」

 出張所の入口近くで八百造様を待っていたら、定時から少し過ぎて出ていらした。今日は八百造さんも定時で上がれるやろ、と父に言われいたがその通りだった。

「外寒かったやろ。入ればよかったんに」
「いえ、入れませんから」

 微笑んで言ったら、八百造様は苦虫をかみつぶしたような顔をなさる。

「気にせんでええんや。蝮ちゃんは悪ない」

 その優しさが、ひどく胸に閊えた。

「ありがとうございます。でも、仕様のないことですから」

 そう言ってから、私は八百造様に大きめの紙袋を差し出した。

「家族一同、お世話になってます」
「お、今年もすんません」

 先程までの沈んだ空気がほどける。それは例年通りのバレンタインの遣り取りだった。紙袋には、志摩家全員分のチョコレート。男性陣だけではなく、おばさんの分も、盾姉様の分も、弓の分も入っている。
 対する志摩家からは、午前中のうちに盾姉様が非番の父がいる家にうちの家族分のチョコレートを持ってきていた。プレゼント交換会みたいなものである。

「あ、蝮ちゃん、ついでやし家寄ってかんか?」

 その一言に、私はちょっとだけ心臓が跳ねるのを感じた。そうだ、渡さんといかんものが、先程渡した紙袋の他に、ポーチに入っている、というのを思い出したからやった。

「お茶だけでも飲んでいき」

 そう言った八百造様は、自然と私の死角をかばうようにして歩きだした。その優しさが、八百造様の息子に良く似ていて、私は少しだけ嬉しいような、寂しいような気持ちになった。




「蝮やん!」

 八百造様とお茶を飲んでいたら玄関から男の声がする。

「柔造帰ってきたんか」

 靴を見て私だと気付いたらしい志摩がどたどたと居間に入ってくる。

「蝮!」
「うるさいお申やこと」
「ほうや柔造、ちゃんと挨拶せんか」

 振り返ったら、志摩は思いっきり相好を崩した。そういうところが好きで嫌いや。
 そうして私は、今日特有の彼の装備がないことにきょとんと首を傾げる。

「あれ?」
「どないした」

 襖近くで、私が首を傾げるのに合わせるように首を傾げた柔造に私は思ったままを言う。

「チョコは?」

 そう、チョコだ。例年なら抱えきれないほどの包みを持たされて、金造が歯噛みするのまでが恒例だったのに、今年の彼は至って軽装だった。包みなんて一つも持っていない。

「はあ!?お前ドアホやな!今年は本命以外から、っちゅーかチョコなんぞ受け取るか!」

 そう叫んだ彼に、八百造様が面倒そうに耳を塞いだのがちらりと見えた。そうして、私は柔造からガッと肩を掴まれる。

「俺が欲しいのはチョコやのうて嫁や言うてるやろ!」

 蝮ちゃんごめん、と八百造様の呟きが小さく響いた。





 ごめんと呟いてから、八百造様は新聞新聞と呪文のように呟きながら奥に行ってしまった。新聞は、私たちがお茶を飲んでいた居間に落ちていたけれど。

「志摩」

 二人きりになってしまって、志摩はまだ私の言葉に怒っているらしく、どうしたらいいかと私は声をかける。

「なん?」
「チョコいらんの?」
「お前からの義理は要らん」

 不機嫌丸出しの彼は、嫁にするとか嫁が欲しいとか、結婚しろと言っている相手から、他の女性にチョコを貰わなかったのかと訊かれたのが相当癪らしい。それもそうだろう。ほんまに駄目な女、と私は自嘲気味に思った。

「義理やない、言うたら」

 その一言に、柔造はばっと顔を上げた。私はポーチに入れてきた包みを取り出す。

「作ってみた。上手くいったか分からんけど、これは志摩だけの分」

 嫁にはなれんけど、本命。と消え入りそうな声で言ったら、柔造はその包みごと私を抱きしめた。

「ついでやから嫁にもなれ」

 ついでってなんや、と私は可笑しな気持ちで言った。
 嫁になるなんて赦されない、は、嫁にはまだなれない、まで溶かされた気がした。
 だって、本当は好きだから。本命はずっと志摩だけだから。
 この恋模様は、快晴とまでは言わないけれど、晴れているのは間違いないような気がした。


模様晴れ