「イチャイチャイチャイチャイチャと!!!」
「ええやん…俺もう疲れた」
「お父はここで諦めるんか!?諦めたらそこで試合終了やぞ!?」
「……疲れた」
恋愛講座 補習
試合終了と言われて八百造は本気でちゃぶ台に読んでいた新聞を敷いてそこに顔を伏せた。
「終了したらええねん。試合終了、円満結婚でええやん」
「試合終了せんから困ってるんやろぉぉぉ!?」
金造の叫びに八百造はいっそ泣きたいと思った。泣くような内容は一つも起こっていないのに!と思うと余計つらかった。
次男坊が幼馴染に提案した「お試し恋人期間」が終わったのはつい先日のことだった。柔造と蝮、二人の話を八百造と蟒が総合するに、試すとかそういうのをやめてやり直すという至極前向きな内容だった。ああ、ずっと引きずってきた不信を払い、二人の幼いころからの恋心を叶えてやれるのだなと皆思った。思ったまではいい。というかそういう方向で話は進むのだとばかり思っていた。
だからそのあとに続いた柔造の言葉に八百造は何通りかの意味で固まった。
「やり直すっていうか、やっぱり恋人期間必要やんね!」
え、待って待って、と思った。どうせ結婚する前から、というか付き合う前から付き合っていたようなものだからいいじゃん、とやっぱりほとんど標準語になって突っ込もうと思ったときには時すでに遅しというやつだった。
だって残念ながらだいたい予想がつく。蝮の方は違うだろうが、柔造の方は「結婚してからじゃなくて恋人の時しかできないこと」をやり尽くす気なのだ、と。うなずかない蝮を説得する切り札がお試し恋人期間だった時点で「欲望優先しすぎて頭おかしい」と思っていた八百造と蟒だったが、晴れてお試しではない「恋人期間」を手に入れた柔造がやりそうなことなどだいたい想像がついたからその時点で砂を吐きそうになっていた。というか実際問題として恋人だからできて結婚したらできないことなんてほとんどないのに!というのが本当だった。それくらいなら結婚しろよというのは周りのわがままだろうか。
今までできなかったことをする、という名目上の「恋人期間」はやはりひどいありさまだった。
デートはもう何度しただろうか。「結婚したってできるから結婚すればええやろ」と蟒に言われて蝮が頬を赤らめて「なんかこう、新鮮な感じがあるんです」と言ったときは父として可愛いなと思った。2度目くらいまでは思った。3度目からは「もういいだろ」以外の感想が出てこない。これが普通の付き合いなら当たり前なのだが、ほとんど一生に亘って交際していたようなものの二人が、というのが一つと、柔造だけが楽しいはずだった恋人期間を蝮さえも楽しみ始めているのに蟒はちょっと意識が遠のいた。
お泊り的なことも何度かしたが、そのうちのいくつかはラブホだったことを金造は知っていた。なぜなら兄上様から直々に聞かされたからである。「なんかこうね!蝮ああいうところ行ったことないやんね!」と言われて、「あえて行く必要ないわボケナスゥゥゥ!!」と最初は叫んだが、今は叫ぶことに喉を使うことが大変もったいなく思えてきた。
何かの折に、「彼女待たせてるんで」という浮かれ切ったことを出張所で言われた時、八百造は「蝮ちゃんやろそう言えや!?お前蝮ちゃんのこと彼女って言ってみたかっただけやろ!!??」と持っていたペンをへし折りそうになった。話は個人的なことで、公の仕事を反故にされたわけではなかったことだけが救いだった。近くにいた一番隊の面々に憐みの目を向けられたことも悲しかった。
「最初は仕方ないかなって思うてたんや」
「げえ、蟒様いつからおったの」
「お邪魔してる」
自宅の居間で新聞に突っ伏す八百造の向かい、金造の斜め前にいつの間にか座っていた蟒は、二人がほとんど放心状態でここ3ヶ月ほどの記憶をたどっているうちにいつの間にか家に来て、いつの間にか座り、いつの間にかたぶん母か姉によって出された緑茶をすすっていた。深刻な面持ちなのがいろいろもうそんなに深刻な話じゃないのに、と思ったら金造は悲しかった。だいたいが自分の兄と、血は繋がっていないとはいえ姉のせいなのだ。
「明陀を信じられんくなってたあの子を、救い出してくれたのは柔造さんで、そういう不信感を持たせたうえで、自分が嫁になったらあかんて思わせてたのを溶かしてくれたのも分かる。分かるけども限度ってあるやろ」
「俺に言うな…俺に言うな…」
呪詛のように八百造は繰り返した。金造はもはや現実逃避気味に八百造と蟒がそろって家にいられる時間に帰ってこない兄は今どこにいるのか、デートじゃなくて残業だと大変うれしいなと考えていた。
「ていうか蟒がそういうこと言うってことは和尚様に説得してもらうの失敗したあれやん!!」
「失敗しましたわ!!『二人はこれからいくらでも時間あるんやから』ってこっちが諭されましたわ!悪いことしとるのかなって一瞬思った自分が憎いわ!!」
ああ、と金造は思う。さすがの二人も達磨に言われれば目が覚めるかなと思って頼んだのだろう。しかし、現状害を被っていない人から見ればただただ微笑ましいだけなのである。
「金造」
「へ、俺?」
「坊に電話せえ」
*
「蝮姉さん、ほんまに良かったなあ」
「ちゃうて、ちゃうやん!」
金造からのSOSをスピーカーにして聞いていた三人のうち、通話が途切れると子猫丸は感極まったように口元に手を当てたので廉造は本気で叫んでいた。竜士は死んだ魚のような目をしているので聞いていないだろう。
「志摩さんは分からんやろうけど、跡目っていうだけでいろいろと憚るものがあるんや!そのうえ蝮姉さんの裏切りはそら本当に大変なことやけど、そういう気兼ねなことも全部…」
「だからちゃうんや…あの変態阿呆野郎の趣味につき合わされた蝮姉さんがほだされてるのが最大の問題やから止めなあかんのや…」
頭を抱えながら言った廉造に、竜士はおもむろに声をかける。
「志摩…お前の兄貴やろ…何とかしろや…」
「無理っすわ!ていうか俺スパイですよ!?なんかやっぱこういうのは、」
「都合いい時だけスパイスパイ言うなボケナス!!」
「ヒドイ!!!」
*
夜景の見えるレストランで、小首をかしげてメニューを見る蝮に、柔造は倒れるほど感動していた。もう何度目かわからないが何度目でも構わないと思っていた。ちなみに明日は休みで、このレストランは予約を取っていたホテルの設備の一つだった。
「俺の彼女超かわいい」
ぼそりと彼女には聞こえないようにつぶやく。父や彼女の父である蟒は、結婚してもデートでも何でもできると言うが、結婚を視野に入れると蝮はこういった高級店でのデートは「経済的やない」とか言って断るだろうと知っていた。甘いな、と自分の父と未来の義父に思う。そういうところが甘いし蝮のことを分かっていない!と。
「ああ、でも経済状況を的確に把握する家庭的な蝮もかわいい…嫁って響きもかわいい…」
「なにか言った?」
こてん、と今度こそしっかり首をかしげてメニューから顔を上げた蝮に、柔造はでれでれの顔を引き締める。
「いや、別に」
「ほうか?なあ、このメニューよう分からんの。フランス語勉強したことないから、どういう料理やろね?」
あ、それ俺一から説明できる勉強した絶対蝮俺に惚れ直す!みたいなひどすぎる逸る気持ちを抑えて、出来る彼氏よろしく説明を始めた柔造の、サイレントマナーに設定された携帯に、勝呂竜士からの着信が10回はあったことを、今の二人は知らない。
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2017/01/11